見出し画像

「カフカセレクションⅡ運動/拘束」 フランツ・カフカ

柴田翔 訳  ちくま文庫  筑摩書房


空中ブランコ生活


ちょっと前に買ったちくま文庫の「カフカ短編セレクション2」。今日は最初の方からぽつぽつ読んでみた。サーカス好きのカフカらしい短編「最初の悩み」。これはカルヴィーノ「木登り男爵」みたいに空中ブランコの上でずっと生活していく話。「断食芸人」に通じるものがあるが、またメルヴィルの「バートルビー」みたいに主役?は、その相手とも言うべき上司(ここでは興業主)。なんだかバートルビーにしても空中ブランコ達人にしても、実はごく当り前の人間であるこれら上司達のなんらかの心の一部なのかもしれない…と読みながら思った。

あと、「インディアンになりたい…」などの掌品というか下書というか…によく現れる疾走していきたい欲望、またそれと近くにあるものとして「通り過ぎていく」ものへの視線は、自分にとってカフカを考えていくうえで、新たな視点になるかもしれない。少なくとも自分の場合。この文庫セレクションの副題「運動・拘束」にも通じるものがある。
(2010 11/21)

「カフカ短編セレクション」相変わらずチビチビ読んでいる。このセレクションの副題が「運動・拘束」だから当然なのかもしれないが、無重力状態への憧れ…みたいなものにあふれている。ただ、その一方、夢中でさまよっていると、後ろが藪で閉じられてしまうというトラップも…カフカの世界に生きるのも、大変である…
(2010 11/25)

「断食芸人」、「ある判決」、「流刑地にて」

「断食芸人」と「ある判決」は、岩波文庫での池内紀訳と、この柴田訳と2通りこれで読んだことになる(昨日)。池内訳がある程度一貫して特徴でもあるとぼけた感じを出しているのに対し、柴田訳は作品によってそれに最もふさわしい文体を持ってきている感じ。「断食芸人」は新聞記事の文体に近い。「判決」の方にはそんなに違いはないけど、最後の「父立ち上がる」の場面では劇作に近い感じの柴田訳が躍動的かな?(単に2度目だからストーリーわかっているから、という説もあるけれど)
(2010 11/28)

流刑地士官は断食芸人の同類?
カフカセレクション引き続き。岩波文庫の池内訳でも読んだ「断食芸人」、「ある判決」、「流刑地にて」。
池内訳はどの作品でも訳者ならではのおとぼけ感があって、そこが魅力的だったのだけれど、この柴田訳は作品ごとに最適な文体を探し出そうとしている。
「断食芸人」はまるでなにかの新聞記事みたい。「判決」はそこまでの差はないけど父親が立ち上がるところでは劇のような迫力がある。「流刑地にて」。池内訳では、囚人・兵士の脇役コンビに目移りするけど、柴田訳では、注目は処刑装置を熱心に説明する士官に集まる。官僚機構そのものなのだけれど、一方で断食芸人にも通じる、自分の見つけたことに向かう姿勢みたいなものも感じる。読んでいた最中に考えていたことがうまく思い出せなくて歯がゆいのだが、まあ、そういうところ。
(2010 11/29)

「巣作り」


昨日の仕事前にカフカセレクションの「巣作り」を読んで、これでこの本を読み終えた。
「巣作り」…なんだか迷宮入りってことしかわからない(笑)。自分の普通の生活に疑問を持ち出すと、それは大変なことになる…という結論のよう(なにか違うような…)。
(2010 11/30)

関連書籍


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?