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「ビリー・バッド」 ハーマン・メルヴィル

坂下昇 訳  岩波文庫  岩波書店

岩波文庫2011年一括重版。

強制徴収


今朝は第1章。
ここでのポイントは2つ。まずは強制徴収。物語は青年ビリーが英国軍艦に乗り込むところから始まるのだが、それが同じ英国の商船を捕らえてその中のめぼしい人物を強制的に引き抜く、という今では考えられない、荒っぽいといえばそうだけど、素朴でもある、そんなやり方。あの「白鯨」でも重要な背景の一つだったらしいのだが…うーん、覚えてない…船名にもなんか寓意が感じられる。

ポイントその2は宿命論者。ビリーは期せずして宿命論者になったとある。でもここでいう宿命論者とは単に諦念だけでなく、何かもっと違うものらしい。それは巻末注に書いてある模様…

百合と薔薇


「ビリー・バッド」の注読んでたら、このビリー・バッドという名前は、ビリーという部分に百合、バッドという部分に薔薇、という意味合いが隠されているとあった。百合は始まり・清純、薔薇は終わり・性交というようにつながっていく、と。
そうした説明受けて続きへ。と、いきなりこんな文章に出くわす。

 船乗り渡世のおかげで、肌の百合はすっかり抑えこまれ、見るも鮮やかなバラの紅が、赤銅色の日焼けの間からほのめいているのが、心なしか騒いでいるように見えたのだけは別だ。
(p19)


直接的にはビリー・バッドの肌の色の描写なのだが、百合の無垢の始まり状態がカインの弟殺し…の子孫によって都市建設をし始め、今のような退廃した社会ができる(という、メルヴィルの視点)。それがこの二種併存型の青年にどう反映していくのか…

もう一つ、今日読んだところで主な3人の登場人物のうち2人が出てきたのだが、その2人の紹介の前に対比の意味で別のある意味で神話的な人物の話をポーンとだす。ビリーの場合は黒人、ヴィアの場合はネルソン。さて、あと1人の時はどうだろうか?
(2012 06/18)

恨みからロマンスは生まれる?

 ただ、船乗りは、恨みを誇張する、いや、ロマンス化する癖があるだけのことだ。
(p52)


新説?という気がする…が、まあそうと言われればそうかも。今で言えば都市伝説とか称しているのが成因近いかも。ただ、ロマンス…虚構…の必要条件なのか、それともあると効く薬味みたいなものか、そこら辺はも少し自分で考えてみたい。

筋的には、悪役?クラッガードと、古参の老人が出てきて役者揃った感じかな。無垢な青年ビリーが周りを気にして心配するところが序章(先の恨みからロマンスというところも、それからここも、なんていうかメルヴィル自身が投影されている気がする)。クラッガードの昔の分身?は出てこない?で、その代わり?その手下みたいなのがいる…
この作品、小説というより演劇的?
(2012 06/20)

もう一人の登場人物、そして遺稿


「ビリー・バッド」だが、昨日ら辺で主要登場人物が全部登場した…みたいなことを書いてたが、もう一人 、出てきた。それがダンスカーという老水兵。
悪を知り尽くして?いるけど、今は達観しているかのようて、ビリーに謎の託宣のようなものをする…といったような役回り…今のところ。メルヴィルの思想哲学はともかく、筋的にはなんか単純だった作品世界にも広がりが出てきた。

もう一つ。実はあんまり気にしてなかったけど、かなり重要なのはこの作品が遺稿であること。読むには差し支えないくらいですが(後代の研究者の作業含む)、メルヴィルが推敲できていないところがいろいろ。そこが逆に面白いところでもあるのだが、そこまで読み取れるかどうか…
(2012 06/21)

ビリー・バッドとバートルビの視線関係


今日は少し全体的な考察

今日読んだところではビリー・バッドを見るクラッガードの視線について突っ込んだ記述があった。なんか自分の中ではメルヴィルって超人的な神話的な構想の持ち主なのでは?と思っていたのだが、実はそれより、そういったものを見る一般的人間に焦点を当て続けた作家なのかな、と思い直している。この作品で言えばクラッガードの側。

そこで、思い出すのはバートルビの会社社長(でしたっけ?)。あれはまさしく理解不能な他人(他人は誰でも理解不能なんですが、その極端な例として、またはそれを越えた存在?)に対する対応が描かれている作品。そいえば、「白鯨」のエイハブ船長もその系譜かな。
(2012 06/23)

ビリー・バッドとは何者だったのか?


昨夜から今朝にかけて、ビリーがクラッガードを殴り殺す→海上裁判→処刑と劇の核となる部分が続いた。先日書いた「超人を見る側の視点」はクラッガードからヴィア艦長に移り、自然描写にも処刑の場面にも教会やらゴルゴダの丘やらを彷彿とさせる場面が出てくる。最後はビリーは昇天までしていく…

ただ、逆に、昔のキリスト教改宗以前のイギリス人(アングロ族)の話を引き合いに、キリスト教化された、または文明化された世界は死に対する怖れを植え付けるけれど、未開人(作中の言葉)はそれに影響されないという言葉もあった。ビリーは当然そちらの系譜…
どちらの視点で見るかは読者次第、果たしてイエスはキリスト教徒だったのでしょうか…
(2012 06/25)

ビリー・バッド読み終えとおまけ


遺稿ということで構成的にはまとまっていないところもあると思われたが、それだけにメルヴィルが何を伝えたかったのかひしひしとくるものがあった。
それが何かわかるかどうかはまた別問題として…
今のところはこれくらいにしておいてください(笑)

ビリー・バッド気になるところ集

付録の最後、頭の偏執狂と心の狂犬病という比喩は自分にとって何か得るところがあるかどうか。
俗謡の最後、ビリー・バッドは死んで自分の身体をあらたに(じゅくじゅくながら)身にまとう、注にあるイスラムの解釈では身からほどけていく。
付録の2つは、この話が後にどう伝わったのか示す。特に2つ目のではクラッガードとビリーの位置が入れ替わる…本編読んできた身にはこれが皮肉であることは確かだが…

も少しおまけ、この作品全編中にカルヴァンの悪口?が散りばめられている。この作品はひょっとしたら「プロテスタンティズムと近代資本主義の精神」を裏側から覗いた場合、ということになるのかもしれない、と考えてみた。
(2012 06/26)

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