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「ロード・ジム(下)」 ジョゼフ・コンラッド

鈴木建三 訳  講談社文芸文庫  講談社

現在は柴田元幸訳(河出文庫)でも読める。

亀の一瞬


 その口調には、生存というものに対するおれの観念、つまり亀が危うくなると甲羅のなかに身をすくめるように、誰しも危うくなると逃げこめるように自分のために用意してあるあの隠れ家からおれを追い出すほどの力(?)があった。・・・(中略)・・・だがそれは、ほんの一瞬で、おれはまたすぐにその甲羅なのなかへ引き返した。人はそうせずにはいられないものだ。
(P135)

その「一瞬」で、何かをかいまみた、と、マーロウは語っている。その「一瞬」だけあらわになる無防備な精神ー不安な精神。
20世紀の文学には、この「一瞬」から、無防備な精神がマーロウのように甲羅には戻らず、流出または展開し続けていく、そういう側面が確かにある。まあ、自分がそういう作品を好んで?読んでいるだけかもしれないが。マーロウの場合はそこまで行かずに甲羅へ戻った。が、その前と後では彼は全く同じ人間ではなくなっている。
(2008 01/06)

語り終わり?

 夕暮れの薄明が頭上の空からぐんぐん引いてゆき、一片の砂浜はすでに彼の足もとに沈み、彼自身も、小さな子供ほどにしか見えなかった。やがてそれがひとつの斑点ーけし粒のような白い斑点になって、暮れ落ちる世界へ残された光を一身に集めているように見えた・・・それから、ふとおれはその姿を見失った。
(P169)


マーロウとジムの最後の別れ、東南アジアのどこかの島、ジムはそこに残り、マーロウは立ち去って行く。
この文章は美しいが、人間の奥底を現しているような、まさに「闇の奥」という表現そのものである。また、この文章は「未開人」(当時のヨーロッパ人から見ての)の中に取り残されたジムという「白人」、を現しているようにも見える。
次のページで「マーロウの語りは終わった」とあるが、語り終えたらしい・・・といってもまだ下巻の半分程度残っている。おいおい、まだ四分の一残っているぞ、という感じなのだが、確かにこれで終わりではないようだ。
(2008 01/07)

偽コンラッドとフォークナー


マーロウの話を聞いていたという一人に数年後、マーロウから手紙と手記が届く。この話を聞いていた男というのが、昔船乗りでコンラッドの分身なのか?と思いつつ読み進めていくと、その男がヨーロッパ人種優秀主義のようなことを言う。内容は厳密にいうとヨーロッパ人種優秀主義とは違うものかもしれないし、そもそもコンラッドの分身という考え方が間違っているとは思うけど、とにかくびっくりはする。そんなこんなで、この偽コンラッドと共に読者は、海を思わせる描写で都会を眺望しつつ、マーロウの手記を読んでいくのである…

ここまで「ロード・ジム」を読んできて、対話が多いこと、表現が難解なこと、物語時間が直線的でなく行ったり来たりすること、人間の宿命が無慈悲で神話的で逃れようのないさまを描き出していること、とフォークナーに通じる雰囲気があると実感している。
(2008 01/08)

「ロード・ジム」の二つの謎


「ロード・ジム」を読み終えた。最終四分の一は急展開するオペラのよう。グイッとルーレット回したかのよう。誰が?神?

ジム達がそれでも平和に暮らしていた島に、ある日悪漢ブラウンがやってくる。ブラウンに「俺はこうして飢えてやってきたのだが、そういうお前はどうしてここへやってきたのだ?」と言われ、ジムはブラウンを逃す。そのブラウンは島から去る、とジムに思わせておいて、ジムの前にここに住んでいてジムといざこざを起こしていたコルネリウスの先導で、現地の王の息子の一隊を全滅させてしまう。

ここで二つの謎がある。ジムはなぜブラウンを逃したのか? 現地の人にとってはジムとブラウンがつるんでいたと思うのが当然であるのに。もう一つは、なぜコルネリウスをこれまでもそのままに放置しておいたのか? 上司のシュタインに報告などすれば始末できたのではないか?
ジムは周りの現地人からも謎の男であった。そして、多分、読者からも。マーロウの最後の言葉もジムをアンビバレントに見ている。
ジムは自らの命を絶ちに、王ドラミンの前に立たなくてはならなくなった。
(2008 01/09)

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