見出し画像

「謎とき「失われた時を求めて」」 芳川泰久

新潮選書  新潮社

はじめに
第一章 冒頭の一句について
第二章 「私」が窓辺にたたずむと…
第三章 《私》という形式、あるいは犬になること
第四章 モネを超える試み
第五章 メタモルフォーズ 隠喩的な錯視
第六章 小説という場所
第七章 描写のネットワークを読む
第八章 方法としての記憶
第九章 石への傾倒 小説を書く
第十章 死んでいる母と「ひとりの女」
第十一章 ヴェネツィア紀行
第十二章 知覚を宿す平面 プルーストとベルクソン
終わりに
参考文献一覧
あとがき

新潮選書「謎とき」シリーズ?第3弾。芳川氏は、角田光代と縮約版「失われた時を求めて」を翻訳。それが終わってからこっちを依頼されたという。
芳川氏自身はバルザックの研究者として知られる(元々自分で選んだわけではないと言って居るが…岩波文庫の「ゴプセック」など。また自分の持っている本だと、クロード・シモンの「農耕詩」の訳者)
漱石論始めとして日本文学論、ドゥルーズ始めとした哲学書翻訳、それから自作小説もあるみたい。

冒頭の一句について

 この「語っている現在」の浮上とともに、二十世紀の小説ははじまると言っても過言ではない。
(p34)

 読者はこの、《ローソクを消すとまもなく》で始まる半過去を主体とした描写になってはじめてこの風景の中に入り込み、もう窓枠の存在は見えなくなるのであるが、冒頭の一句だけではまだその風景そのものの中に入ることは許されず、風景と同時に、その風景が見える窓を読者に提示している存在を認識することが要求されているのである。
(p36 工藤進 「「失われた時を求めて」の冒頭の句について」)版。

物語を提示する語り手と、その物語。ディスクール(語り)とかエクリチュール(書く)とかが、その語り手としての層を示す。この二つの亀裂を提示したのがプルーストの冒頭の一句「長いあいだ、私は早くから床についたものである」(芳川訳)。

(井上究一郎の筑摩書房版はこのことが見えにくくなっているという…1992年のちくま文庫版ではここを芳川訳のように直しているらしい。あと、この冒頭の一句は、「早くから床についたものである…だけど、今はそんなことはない」というニュアンスも伝える。要するに、今語り手が語っているのはどんな状況なのか?という読者の疑問とその解答が(どちらが先かはともかく)現れている)
(2021 03/07)

ヴェネツィアの窓辺

窓つながりから次の章へ。ヴェネツィアでは小道を彷徨いながら様々な窓を見る語り手。
シャルリス男爵やヴァントゥイユ嬢のソドムやゴモラを、こちら側からしか見えないという「窓」の視点で見る語り手。

 「私」でありながら、そこに存在しないように振る舞うことを要請される「私」とは、半ば匿名化した存在である。「私」なのに「私」ではない、とでも言えばよいか。ちょうど、絵を見る視点がさまざまな「私」を許容するが、だれの視点でもないのに似ている。だれもが絵を見る。そのだれもはみな一人称単数として見る。
(p57)

そして最終巻「見いだされた時」では、語り手が自分が書く本の読者をそのように想像している。
(2021 03/10)

第3章「《私》という形式、あるいは犬になること」

プルーストの習作「ジャン・サントゥイユ」では三人称の語り手が一人称単数に変わってしまう箇所がある。ジェラール・ジュネットが指摘して有名になったところ。そして「失われた時を求めて」の草稿でもそうした箇所があったという。プルーストの《私》には二つの機能がある。一つは印象や感覚の直接性を受け取る《私》、もう一つは匿名性、《私》は読者の数だけ存在するという機能。

 つまり「私」とは、直接的でありながら、本来的に匿名なのだ。直接性と匿名性の交点には、そのような「私」がいる。
(p66)

その《私》を極限まで押し進めると、章の後半にある「犬」になる。実際、プルーストは友人の音楽家の飼い犬に手紙を出してもいる。

サミュエル・ベケットの「プルースト」

 私の意味するプルーストの印象主義とは、現象を歪めて、理解しやすいようにしてしまって原因と結果の連鎖のなかにむりやりいれてしまわないうちに、現象を知覚した順序と精確さを保ちながら、非論理的に現象を記述することである。
(p74)

先の二つの機能のうち、匿名性は前章からの流れ、直接性は次章への流れという構成になっているのかな。
(2021 03/16)

第4章「モネを超える試み」


 二つのイメージで「一枚の連続した絵」をつくろうとするのだ。この二つのイメージを一つに収めることができる表現方法とは、隠喩にほかならない。その効果とは、二つのイメージの重合によるにじみであって、これが絵画にとってむつかしいのは、色のにじみが濁りを招き寄せるからだ。その意味でも、この試みは言語という領域に向いているのかもしれない。これまた第七章で具体的に見るが、ここにプルーストの発想の重要な基底部がのぞいている。

 そして時間を主題にする小説を書いている作家が、異なる光による二枚の絵をトータルで連続した一枚に収めようとするとき、たとえばそれが頭のなかの試行であっても、時間の問題に逢着せざるを得ないだろう。光量の変化とは、時間の推移にほかならない。異なる光量の絵を一つに収めるとは、単に二つの光景を「一枚の連続した絵」にしようとしたとは考えられない。むしろ逆だろう。
(p87-88)

この二つの光景を一つに連続させる、その交わるところに、隠喩があったり、描写のネットワークがあったりするのだろう。モネの連作を並べて一つの作品にする試みに似ている。プルーストはおそらくジョン・ラスキン経由で、モネのルーアン大聖堂を知ったのだろう。
(2021 03/17)

第5章の隠喩とかメタモルフォーズとか錯視とか

 つまり、海を陸のように描き、陸を海のように描く。
(p96)

 プルーストが「文体」について語ることと「隠喩」について語ることは、ほとんど同義である。「文体」という語を「隠喩」と置き換えてもよいくらいであり、そのことは、プルーストの文体における隠喩の決定的な重要性を示唆している。
(p99-100)

 錯視という方法じたい、いま見ているもののうちに、過去という異なる時間に見たものを重ねて想起するための方法ともなり得るのである。
(p101-102)

プルーストでは、「直喩」も「隠喩」の中に含まれているようだ。あと、隠喩表現と同じくらい頻出するのが、「突然」という言葉。これは、前の章にもあった、知性が印象を振り分ける前の純粋印象を重要視しているからなのだろう。
(2021 03/18)

マルタンヴィルの鐘楼体験

第6章。窓枠、記憶、時間、言葉、隠喩とこれまでの論点が出揃い、内容が濃くなってくる。

 「私」という主体と視点が先行してあるのではなく、窓枠があることで稀有な光景に遭遇できる視点と主体が必要になるのではないか、と私は考えていた。
(p111)

 無意志的想起によって姿を現すことになるのはまさに〈時間〉という真実であり、具体的には過去の時間、つまり記憶だと答えることができるだろう。しかし、このときの年少の「私」には、過去の時間も貯蔵も充分にはない。その〈時間〉に代わって姿を現すのが、「言葉」にほかならない。「言葉の発生」と呼ばれる事態だが、それが『失われた時を求めて』においては、真実の開示の代わりをしている、ということだ。
(p124)

 後年の「私」は偶然性に支配されない時期を「純粋状態の時間」と呼ぶ。「私」はそうしながら、隠喩が自らのなかで異なるもの(とはいえ、そこには共通の特質がある)どうしを結び合わせることで、錯視として両者に共通な本質を引き出すのだが、そのとき、その二つのものを「時間の偶然性」から救うことになる、と考えるにいたる。
(p126)

「スワン家の方へ」のマルタンヴィルの鐘楼体験。ゲルマントの方への散歩が長引いたある日、ペルスピエ医師の馬車に家族は拾ってもらい(初めて?気づいたのだが、ここでの散歩って自分は「私」一人の散歩とばかり思っていたけど、家族での散歩だったのか)、マルタンヴィルの鐘楼二つと、谷一つ向こうのヴィユヴィックの鐘楼計三つの見え方に魅せられて、医師に紙と鉛筆を借りて今の印象を書き留めようとする。
その書き記した文章には「私」が体験した「脱自」の恍惚体験が書かれていない。その代わりに「隠喩」が三つ書かれている。野原にとまった三羽の鳥、三本の黄金の軸(これは麦穂のことで、少し前に別の鐘楼を麦の穂に見立てている場面があるので繰り返しを避けたのだろう)、そして三つの花。花は伝説の三人の若い娘に変容し、「自分たちの道を探して」たがいの影が溶け合い夜の中に消えていく…
この「私」って何歳だ? こんな文章書けるのか? と思っていたら、1907年の「自動車旅行の日々」というノルマンディの教会巡りの旅行記が元になっている(この二つの読み比べはほんと楽しい)。三つの鐘楼の動きは実は馬車ではなく自動車での見え方だったのだ。

ともかく、このマルタンヴィルの鐘楼体験とその文章化という場面が、最後の「見出された時」のヴェネツィアでの「不揃いな舗石」と文章化(それは話者が書くべき小説、すなわちこの『失われた時を求めて』自身)という場面に呼応している。

隠喩の連鎖ネットワーク

第7章。『記憶の場所』のピエール・ノラは、ベルクソンとフロイト、そしてプルーストが記憶に注目した人々だと述べている。ベルクソンとの対応は第10章で詳しく出てくるはず。

 農村社会が変質し、多くのものが消えてゆくとき、記憶にも変質が生じる。つまり多くの記憶もまた消えてゆくのだ。そしてそうした事態が、逆に記憶に注目を集めることになる。記憶は失われて、その貴重さが高まる。プルースト自身、少なくとも、いま見たように教会の危機というかたちで、農村社会の変質を察知していたことは確かであり、そのような多くの記憶の消失を背景に、記憶を主題とする『失われた時を求めて』が執筆されたことは、まったくの無関係とは言い切れない。なぜなら、農村社会の変質と記憶という問題系の浮上は、時代の共通認識のようなものであったからだ。
(p143)

芳川氏が指摘する、プルーストの隠喩の連鎖ネットワーク4箇所。海原となる麦畑、鐘楼が麦の穂になる、雨が鳥となって降る、少女がカモメになる。現在、二つ目のとこまで読んだ。

これらは海を陸に、陸を海に見せるエルスチールの「カルクチュイの港」の絵を示唆する。これら4箇所は「カルクチュイの港」が出てくる前に出てくる(この絵が話者に見られる場面はアルベルチーヌの名前を知ることになる場面でもある)。海と陸の隠喩による隣接性は、コンブレー、バルベック、ヴェネツィアという町の移行をも示す。プルーストの初期の構想ではバルベックの後にすぐヴェネツィアへと繋がっていた。

p147で指摘している「とりかかろう」というフランス語の単語が、「船が岸に着く」、「他船に衝突する、敵船に乗り込む」という意味をも持つというのは、さっきの第6章、マルタンヴィルの鐘楼体験の文章で

 鐘楼はじつに荒々しく馬車の前に飛びかかってきたので、すんでのところで教会のポーチにぶつかりそうになり、ぎりぎり馬車をとめる時間しかなかった。
(p128)

という、ぶつかる寸前というのと呼応しているのでは。それも馬車の方ではなく、鐘楼が向かってくるという逆表現、ここは読んだ時ちょっと違和感を持ったのだけど、ここ、そしてエルスチールの絵をも含めると、動きというもののプルースト的(ベルクソン的?)考えでもあるのだろう。


第8章「方法としての記憶」

有名なマドレーヌを紅茶に浸す追憶場面も、元々のレオニ叔母さんの時は菩提樹のお茶だったり、他の追憶も微妙に違ってたりする。しかし、プルーストの隠喩は違ったものをその力によって同等とすることで大きな力が与えられるものである、という。

 われわれは、「私」を襲う無意志的な想起に慣れすぎている。その際の、偶然に、向こうから、といった操作性の余地のない条件を、「私」とともに素直に認めがちである。しかしこの場面をどのように書いたのか、というプルーストの視点を考えると、この場面も、この場面を支える挿話も、じつに小説家の意志的な構想のもとに書かれているのが分かる。その両方に触れることが、小説としての『失われた時を求めて』を味わうということなのだ。
(p182)

前に「小説を書こうとするけど自分に才能がないとか思い込んでいる私」という描写が4箇所ある、と書いてあった。
そのうち2度、最初(マルタンヴィルの鐘楼体験)と最後(不揃いな敷石)では、プルーストの「あまのじゃく」な書き癖で正反対の結果が「とつぜん」現れる。
後の中間の2度(「見出された時」での、ジルベルトからゴンクール兄弟の日記(プルーストにとって天敵である)を渡された時と、療養生活をしている時)は、自問というよりもう諦めきっているので、「とつぜん」も無し、という構成らしい。
上の文章にあるように、この小説にとっての「私」とは匿名性を保ち、プルーストと同等では全くないのだが、実はプルースト自身にも確かに、文学から遠く離れていた時期があるという…という気になる話題とともに、次章に繋ぐ。
(2021 03/20)

ヴェネツィアと舗石

第9章から第11章までは、ヴェネツィアと舗石という流れでまとまりあるもの。第9章では、上で言及あったプルースト自身の文学中断期間からの脱却の理由として二つ、まずはラスキン(ここだけでなく、第2巻でも会話中に言及有り)と石の芸術の著作、それをプルーストは翻訳もしている。

 極論すれば、ラスキンによって惹起された石の教会建築への興味が、小説執筆の再開への胎動と一続きのものなのだ。
(p194)

そして、ヴェネツィアの舗石の着想は、マドレーヌと紅茶よりも古くからあったらしい。

 「まぶしい」という一語は、まさに日射しの光量をうかがわせる文言であり、それが最初期の創作ノートに記されていたことをもっと重要視してもよいだろう。
(p207)

ゲルマント大公邸の舗石での想起の中に、ヴェネツィアでの運河に映える太陽や、マルタンヴィルの鐘楼の夕陽も含まれていた。

もう一つの理由は母の死。ということで、次の章。


第10章は、ゲルマント大公のマチネーでの舗石体験と対応するコンパス体験のうちの近過去、第6巻のヴェネツィア、サンマルコ寺院の洗礼堂。ラスキンの翻訳等の為、ヴェネツィアを訪れたプルーストと母、作中の話者も同じく母と二人で訪れた。ここのプルーストの文章は、過去形の中に現在形(完了形)が入り混じっている。また別の箇所では必要以上(と思えるほど)にコンブレーが重ねられて出てくる。現在形の方は、現在、それは母親が亡くなった後の時点であるが、特に断ることなく混入している。これは、今までも出てきた隠喩、海を陸のように陸を海のようにした「カルクチュイの港」の方法で、生と死を一つの絵(文章)に流し込んだものであろう。

 ヴェネツィア旅行とは、母とともに行きながら、母を亡くした後の時間と思いが混入していて、「私」にとってこそ、まさに喪服の旅にもなっているのだ。
(p222)

ところで、実際のプルーストの旅の方は、実はプルースト自身の方が死の危機にあった、という。彫刻を見るプルーストに母はショールをかけてあげた。その姿がピエタのようにも見え、話者はそのピエタとしての母の姿はサンマルコ寺院にずっと見出せると述べている。
だが、作品中で名前が挙げられているカルパッチョの「聖女ウルスラ物語」の女とは、微妙に異なり、また現在はこの絵はサンマルコ寺院内にはない。芳川氏は、プルーストが最終的には母と同定した、隠喩関係のもう一人の女とは別の何かではないか、と現地に赴く…と、ここで第11章に繋ぐ。


ヴェネツィア探索記たる第11章、小説冒頭のホテルの部屋の下の隙間の光なども回想しながら、実際にサンマルコ寺院へ行ったら肝心の洗礼堂は改装中。意気消沈した(この辺り、ひょっとして盛ってない?)著者を救ったのは、博物館の売店で買った絵葉書と1階で買った写真集だった。キリストの隣の聖母マリアのモザイク画がそれだと芳川氏は言う。

第12章 ベルクソンとプルースト、そしてフロイト

ベルクソンは「物質と記憶」。プルーストも1910年頃に読んでいる。それとプルーストの母のまたいとこの娘ルイーズはベルクソンと結婚したということもある。

 それは、現行の平面として現在を刻むと同時に、すり減ったことでそこに同時に過去の時間をも刻む。すり減った石の不在の面とは、だから常に現在と過去を共存させている平面ではないか。すり減った石の表面には、常に二つの時間が刻まれている。
(p261)

この二人にとって重要なのは、自らの知覚を自らの外に投げ出すこと。そうして外の物質にイメージの網が張られる。

 少なくとも、プルーストにとってもベルクソンにとっても、「隠喩」を介して物質と精神がイメージによって繋がれたのである。もちろん、ベルクソンにとっては、そうすることが客体と主体の二元論を免れる試みであり、プルーストにとっては、過去の感覚(記憶)と別の瞬間(現在という瞬間もそこに入る)の感覚(記憶)を免れる試み、つまり時間の外に立つ試みだったのである。
(p271)

前にも書いたピエール・ノラの指摘でプルーストとベルクソンとあともう一人、フロイト。ヴェネツィアの母のいる過去と母のいない現在が混在する箇所を回想しながら、著者はあとがきでこう述べる。

 フロイトが、孫の一人の行動に着目した光景で、その言葉もまだ獲得していないくらいの幼児が、母親のいなくなったときに発明する一人遊びについて書かれている。有名な光景なのだが、それを、母親の現前(存在)と不在の双極構造がゲームの発明(これこそ記号の操作にほかならない)を生んだ、と考えるのがフロイトを刷新したフランスの精神分析家のジャック・ラカンで、私は、母親のいる・いないをもとに、じつは「隠喩ゲーム」をめぐるもう一章を書いていたのだった。
(p284)

それ、どこかに掲載してくれませんか・・・

プルーストとベルクソンについて注から。この二人の共通点と差異を検討したのがメゲイの著作。

 プルーストはじっさい、常にベルクソン的な持続に背を向けている
(p290)

芳川氏によると、このメゲイの労作は詳細に検証しているが、二人の主張の内容面での比較照合に終始している、とのこと。ベルクソンが持続なら、プルーストは瞬間。違うように見えても、同じことの違う側面もしくはアプローチなのかも。小説家と哲学者の方法が、違う面に光を当てる。もちろん違いはあるのだろうけど。(2021 03/21)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?