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「デミアン」 ヘルマン・ヘッセ

高橋健二 訳  新潮文庫  新潮社

シンクレールとデミアン


今日から(厳密にいうと昨夜少しだけ)ヘッセの「デミアン」を読み始めた。10歳の頃の前思春期の社会参入の思い出…心理…そんな感じ。
(2010 07/22)

今日はデミアンの感化第二段階。この小説の面白い特徴は、例えばシンクレールという若者の成長各段階に出会う人々は、実際には違う人である場合がほとんどであると思われるが、それを強引に?「デミアン」という一人の人物に集中させてしまったこと。それにより、シンクレールの人格形成にもその影響が出てくる・・・のでは?
(2010 07/25)

善悪が結婚して…


「デミアン」中盤。今までキリスト教はよい世界だけ祝福し、悪いものは見てこなかった。ただその悪は必要性がある。善と悪が結び付くことにより何かが生まれる。という考えが展開されてきていく。アプラクサスという拝火教の神様がキーポイントになりそう。
にしても、前読んでいた「快楽の館」が意味から逃れ続ける小説だったのに対し、こっちはまた最初から(たぶん)最後まで意味にドップリ…(笑)。

 われわれの内部に、すべてを知り、すべてを欲し、すべてをわれわれ自身よりよくなすものがいる、ということを知るのはきわめてよいことだ
(p115)


それは進化の過程と関係があるのかな?自分の中には自分以前の連綿と続くなにものかがいる。

 「鳥は卵の中からぬけ出ようと戦う。卵は世界だ。生まれようと欲するものは、一つの世界を破壊しなければならない。鳥は神に向かって飛ぶ。神の名はアプラクサスという」
(p121)


デミアンがシンクレールの描いた絵(少女→デミアン→鳥、と変化)を描画技法で心理分析した結果?・・・ヘッセはこの頃息子の病気の関係で精神分析医と知り合っていたので、あながち勝手な想像ともいいがたい。うーむ、にわとりが先か、たまごが先か・・・拝火教に関係ありそうみたいだが、このアプラクサスという神。

 消え行く暖炉の火の中で金色に燃える糸が網になり、文字や形が現れ、さまざまの顔や動物や植物や虫やヘビの記憶を呼びおこした。
(p136)


なんだかDNAなこの作品のクライマックスの一つ。ここだけ切り離して何か別の所で引用してもいい感じ。
ちょっと解説先回り読みしたら、このシンクレールなる人物、第一次世界大戦で死んでしまう運命にあって、この小説はいうなれば遺稿みたいなもの、という設定らしい。独白か第三者の語りかという違いはあるにせよ、なんだか「魔の山」のハンス・カストルプと同じ設定。
(2010 07/26)

自分自身になろうとするシンクレール


今朝「デミアン」を読み終えた。文量の割には長くかかったと思う。
最初は「初めて大人の世界を知った日」みたいな少し甘酸っぱい感じが、最後は何かの預言書みたいになっていく。そうした中で第一次世界大戦を予言し?体験して…亡くなった…のかな?シンクレールは。

 どんな人もかつて完全に彼自身ではなかった。しかし、めいめい自分自身になろうと努めている。
(p9)


結局、ここへ戻ってくるような気がする。
デミアンはシンクレールの内部にしかいなかったのか?
(2010 07/30)

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