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「陽気なお葬式」 リュドミラ・ウリツカヤ
奈倉有里 訳 新潮クレストブックス 新潮社
同じく新潮クレストブックスから、「ソーネチカ」、「通訳ダニエル・シュタイン」、「女が嘘をつくとき」、「子供時代」、「緑の天幕」。群像社から「それぞれの少女時代」、「クコツキイの症例」。それぞれ翻訳されている。
ニューヨークの異国人たち
「陽気なお葬式」リュドミラ・ウリツカヤ。亡命ロシア人達のニューヨークのコミュニティで、画家のアーリクが死に臨んでいる。そこにかけつけた5人の女性たち・・・病院で死ぬことを拒否し自宅の部屋で死んでいく、それを見守る人たち、という図式は前の「無限」と重なる(同じ新潮クレストブックスだし)。
亡命者のほとんどは、二十キロの荷物と二十単語の英語だけを抱えて、百以上の物を捨ててー親と別れ仕事を手放し、住み慣れた町を、空気を、水を捨てて、それからこれは後になって気づくのだが、母語を話す環境を捨てーここへ来ており、言葉は次第に簡便で無味乾燥なものになっていく。
(p28)
(2020 08/09)
これで貴方も亡命ロシア人…
…というほど、亡命ロシア人の生活誌が興味深い「陽気なお葬式」。
ロサンゼルスに住み、亡命ロシア人とはほとんど付きあわず、ロシア語を喋るときは軽い英語訛りになるように心がけた。これはなかなか楽しかった。分かる人には分かることだが、訛りのニュアンスを付加するのは、訛りをなくすよりは簡単だ。
(p43)
死期が近づきニーナに「洗礼してくれないと死後あなたに会えなくなる」と言われたアーリクは、ロシア正教の牧師を呼ぶことにする。ただ同時にユダヤ教のラビも呼ぶ。この牧師とラビの巡り合わせが前半の読みどころ。
彼はその存在の不在をありありと感じた。存在でさえこれほどに強く感じ得ないのではないかと思うほど鮮明に、不在を感じたのである。
(p62)
「不在」という言葉は「存在」を前提にした言葉ではなかろうか。「不在」を語ること自体、「存在」を待ち侘びている現れではなかろうか。無神論、無宗教は神を無視しているのとは違う。
アーリクは目を閉じて横になっていた。瞼の裏では光沢のない黒の背景に、明るい黄緑色の線がリズミカルに跳ねては動きのある複雑な文様を作り出している。アーリクはかつて熱心に伝統的な絨毯の文様の意味を学んだ身でありながら、いま瞼の裏で織りなしている文様の基本形をどうしても割りだせずにいた。
(p69)
それは越えた国境線であり、途切れた人生であり、また先端の切り落とされた古き根を、成分も香りも色も異なる新しい土地に張りなおすことであった。
そして歳月が経ち、彼らの体の構成要素も変わっていった-新大陸の水、その若い分子が彼らの血を作り筋肉を作り、過去の古い細胞にとって代わっていく。反応や行動や、思考回路も次第にその姿を変える。
(p117)
それでも酒を飲む…
亡命した人たちの集まり。しかもテレビでは祖国がクーデターにより混乱状態に陥っているのが放映されている。死につつあるのはアーリクだけでなく、ソ連という国そのものもまたそうであった。
(ひょっとしたら、1992年くらいに一回書き上げた時点ではこっちの要素の方が強かったのかな、とも考えてみる)
こうしているうちに、最重要問題であったはずのアーリクの死は、割と淡々と訪れて…
その白い小舟は手から手へと渡されて、最後の停泊地へと進んでいく。小舟は頭上で危うく楽しげに揺れる。八月の灼けつく太陽が、不意に海風を運んでくる。掘ったばかりの穴の横には鮮やかなピンクの籠に土がこんもりと盛られ、その傍ではニーナが他人の墓石の台の上に立っていて、風が彼女の黒い衣装をなびかせ、色褪せた高貴な髪を船の帆のように膨らませていく。
(p173)
埋葬は出航のイメージ。動かないけれど動く。
すぐに「陽気に」はならなかった。アトリエはしんと静まり返っていた。アーリクはいつものように、とんでもないことをやってのけた。三日前には生きていて、それから死んで、今はそのどちらでもない不思議な存在になっていて、そのせいでみんな少し混乱もし、哀しくもあったが、酒を飲むのはやめなかった。
(p183-184)
個人的に予想していたのよりはあんまり「陽気」ではなかったが、昔レントゲン写真に溝掘って作った非合法のジャズのレコードとか、ワレンチーナが歌う北方の卑猥な民謡とか、パラグアイの音楽家とか、イリーナとマイカとの対話とか、しんみりとでも陽気なのかな。そうしておこう。
というわけで、「陽気なお葬式」読了…
(2020 08/10)
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