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「海峡を越えて」 ジュリアン・バーンズ

中野康司 訳  白水社
イギリス人から見たフランスとの様々な関係をめぐる、様々な短編。

「永遠に」

アイルランドの隠し味?
第一次世界大戦で亡くした弟の為に毎年フランスの共同墓地詣りをするイギリス人女性…ユダヤ人であることが最後の方になってわかってくる。 

 彼女の悲しみは、体の一部になってしまった。彼女の悲しみは、彼女のすべての行動の支えであり、もはやこれなしに歩くことは考えられなかった。 
(p117) 


「第一次」世界大戦にされてしまったからヒトラーと第二次世界大戦が嫌いとか、墓銘碑の文字の配置が気に入らない(辞書の校正の仕事をしている)とか、言い分はわかるんだけど・・・的な身近にいたらどうだろう的な人物なんだけど、彼女の視点に立てば1/3くらいは理解できそう。 

 永遠に。集合的記憶、つまり、個人の記憶の合計以上のものなど存在するだろうか、と彼女は思う。もし存在するなら、それはもちろん個人の記憶と重なり合うが、個人の記憶より豊かなのだろうか? 
(p122~123) 


上の文とも関係するけど、共感や世代間継承というものを、彼女(あるいはバーンズ)は否定90%、肯定(というか望み)10%くらいで見ているのかな。 

共同墓地巡りの中で(元)イギリス植民地からの兵士の墓も彼女は見る。南アフリカ・カナダ・ニュージーランド・・・その中にアイリッシュハープあしらったアイルランド人の墓もあった。この作品ではまあこのくらいだけど、「竜騎兵」ではアイルランドがかなり重要なことにあるらしい。
というわけで、「海峡を越えて」はもちろん英仏を巡っての短篇集ではあるけど、アイルランドも隠し味として控えているのではないか。 
では、他はどうかな。
(2016 11/27)

「電波妨害」

 世界はこれをすごく無頓着に行う。なぜだか知らずに、なぜだかわからずに、ただなんとなくカチッとスイッチを押すだけだ。
(p29)


死にいく夫の作品がラジオでかかるのを知って、村中の電波障害となるモーターを止めようとする場面から。今までのゆっくりした展開から、急に動き出すそこで、印象的な一文。

「ジャンクション」

フランスに鉄道工事に来たイギリス人技師と労働者達。それを見物するフランス人有力者と、鉄道とイギリス人を悪魔の手先だとする牧師。一番印象的だったのは最後の機関車に聖水かけて祝福する場面。中世にはイタリア人達がフランス各地に聖堂を建設していた。19世紀のイギリス人による鉄道建設もそれに比する行為だ、という。

「実験」

「あざやかなオチ」(解説より)。語り手の叔父がパリでイギリス女とフランス女をあてがわれたという実験は、実際には両方とも同じイギリス女だったということ、そのイギリス女が実はこの後すぐ出会って結婚するケイトであったこと…なんだろうけど…叔父の回想の噛みしめ具合からして、叔父はそのことを感づいていた?のかな。

 私の経験では、ある程度の深酒をする理由は、たとえば罪の意識、恐怖、不幸、幸福など、小さな理由がいろいろあるが、ひどい深酒をする大きな理由はただひとつあって、退屈さがすなわちそれだ。
(p67)


そうなのかなあ。
不幸と幸福が並置されているのが愉しいけど。
(2016 12/02)

「メロン」と「グノーシス仲間」


「メロン」はフランス革命前と後に渡仏した将軍の物語。ラストの召使いをじっと見る将軍が印象的。この時代は食事時などに召使いに話しかけるのも話しかけられるのもマナー違反だったという。
「グノーシス仲間」は古代のグノーシス主義とは関係のない?謎な文学者会議の話。なんだったのか眠かったせいもあってよくわからないけど、なんだか爽やか…
(2016 12/03)

「竜騎兵」


(英語タイトルだと「ドラゴンズ」)
「海峡を越えて」から「竜騎兵」。これが前に書いたアイルランドが隠し味になっている作品。南仏のユグノー教徒の17世紀の迫害は、国王側が竜騎兵という外人部隊をユグノー教徒(カルヴァン派)の家に送り込んで邪魔させるということに及ぶ。改宗を拷問や老人・子供に祭りや衣装などで誘い込んだりして、残った者に、その子供のイエズス会学校での教育費や免除される税の支払がどんどん上乗せされるというもの。また少女を連れ込むことも行う。その少女が「国はどこなの?」と言った時に、アイルランドのクロムウェルによる迫害がフラッシュバックされる。

どこかで断ち切ることはできないのか。この作品集の半分はそういう気持ちになるものがあるけれど、最後の作品でどう救われるのか(あるいはされないのか)。
(2016 12/04)

「ブランビッラ」


この短編は自転車ロードレース、次の短編はボルドーワインというなんだかどちらもフランスと言えば…みたいなのがテーマ。

 お前はピザの上に載った小さなトッピングみたいなもんだ。
(p191)


これは前者から、イギリスから渡仏したロードレーサーと踊り子のカップルの男が女に言う言葉。自転車レースもキャバレーの踊りもチームプレーだ、と言いたいのだけど、比喩がかわいい(笑)。

「ふたりだけの修道院」

接ぎ木の短編集

修道院と接ぎ木について。ボルドー近郊の葡萄園買い取った二人のイギリス人女性。時は19世紀から20世紀へ移り変わる直前の頃。
この時期、ヨーロッパでは葡萄の木が病気になることが多く、アメリカから接ぎ木を持ってくるか、消毒にするかで論争があった。また、不作の年に他のワインを混ぜて味を整えるということも行われ、これをエルミタージュと言うらしい。エルミタージュと言えばすぐペテルブルグの美術館思い出すけど、あれも作品タイトルに出てくる修道院という言葉も英語ではハーミティッジ。で、イギリス人女性園主コンビは接ぎ木もエルミタージュもどちらも拒否する。

接ぎ木といえば、この作品集全体のテーマともなっていないか。
(2016 12/05)

「海峡トンネル」

バーンズとおぼしき老作家が英仏海峡トンネル走る列車に乗る、近未来(2015年)の話…だけど、既に昨年の話…

2015年はイギリスEUにいたんだよなあ
というわけで、バーンズも想像できなかった?今年のEU(作中ではまだEC)脱退…「海峡トンネル」を読み終えた。

 つまり、作家になるためには、ある意味で人生を拒否する必要があるのではないだろうか。
(p233)

 自分の人生を十分に味わえないあるいは味わうことをしない、それで他人の人生を想像し入り込む…
思い出は野菜とちがって、癌細胞のように増殖するということだ。
(p255)


ここでいきなり出てくる野菜というのは、網の買い物袋に入れる野菜のこと…といっても、バーンズにはお馴染みっぽいけど、こちらはよくわからない…

 

 小説家の仕事は、記憶ー自分の記憶と歴史の記憶ーを集めて取拾選択し、記憶を接ぎ木して他人に伝えることだ。
(p263)


解説から、この短編「海峡トンネル」の箇所からの引用。この短編集全体がイギリスーフランスの接ぎ木作品と言える。作家自体が全てをこしらえることはなく、彼の仕事は接ぎ木を上手に行い、全く別の情景へと橋渡しすることにある。
(2016 12/06)

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