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「哲学の誕生 ソクラテスとは何者か」 納富信留

ちくま学芸文庫  筑摩書房

「ソクラテス文学」

 哲学はいつも同じことを語る。その都度の始まりである。
(p45)


今日読んだところ(第3章)までの要点は、ソクラテス・プラトン・アリストテレスを三巨人として、自然学から人間の学へと転回した古典哲学として論じていくのは片手落ちで、それ以前の哲学にも、これ以降の哲学にも、そして同時代の他の哲学者をもっと掘り起こしていかなければならない。それは(多分半分は意図的に)忘れ去られていったものであるから。

ソクラテス死後、「ソクラテス文学」と呼ばれるソクラテスとの対話篇を土台とした一連の作家の作品群が出て来る。その中で現存するのはプラトンとクセノフォンだけであるが、アンティステネス、アイスキネス、パイドン、エウクレイデス、アリスティッポスといった人達もそれぞれのソクラテス対話篇を書いている。これらのうち大半は後の哲学諸派の祖とみなされる人達で、プラトンもその一人。

彼らはソクラテスの語りをただ引き写していたのではなく、自分の哲学形成をそれによって、また相手の対話篇に対抗しながしていったという。プラトンに関して言えば、従来の、初期がソクラテスの考えでそれ以降がプラトン独自であるとかいう線引きは重要ではなく、対話篇全てが「ソクラテス文学」なのだという。また、ソフィスト対ソクラテスという構図もプラトンにしか現れず(クセノフォンに一回だけあるけれど)、これはプラトンが同時代の対話篇作家やソフィストと対峙するために作り上げたのだという。
(2018 05/22)

「無知の知」


「無知の知」というソクラテスのキーワードな言葉が実は重要な誤りが含まれている、というのがこの本のコンセプトの一つ。「無知の知」ではなくて「知らないと思う」なのだ…と言われても、違いは?、どうなのだろう…少し引用して考えてみる…
「無知の知」という言葉には「知の知」というメタな構造が含まれる、ソクラテスはこうした構造自体を否定する。

引用コーナー(笑)

 人間の「知」のあり方は、「持つ/持たない」と同じ仕方で「ある/ない」と二分される単純なものではなく、「不知」という自己のあり方への関わりにおいて分化する。ソクラテス的な「不知の自覚」と、不知である自らのあり方を自覚しない「無知」が対比されている。
 「不知」は絶えず「無知」へと転化しようとする。これに抗して、知への関わりにおいて自己の思いを限りなく透明にすることこそ、ソクラテスが生涯をかけた哲学の営みなのであった。
(p299)
 ソクラテスが「知っている」と自認する人々と対話して彼らの「無知」を暴くことは、けっして当初からわかっていた結果ではない。
 ソクラテスは、自己について透明に「知らない」ことを確認し続けた。そこには何のイロニーもない。それを屈折したイロニーと捉えてしまう私たちのあり方こそが・・・(中略)・・・人間としての不知のうちにありながら、ソクラテスのように自己の「不知」を認められない皮肉な姿を現しているのである。
(p311)
 ソクラテスをくり返し論じながら多様なソクラテス像を生み出し、誤解さえも受け継いできた哲学の伝統は、この鏡において自己の姿を映し出す、試練の歴史であったのかもしれない。
(p312)

「悪法もまた法なり」


というソクラテスキーワードも(?)、日本近辺で流布している誤解の一つだという。このキーワードはソクラテス刑死の時に語ったとされているが、「弁明」ではこれより精緻な論をしている。この出処と、ローマ法学者ウルピアヌスの「厳しい法でも、法である」と混淆された。この「誤解」は日本の朝鮮半島占領下に流入し、韓国軍事政権の政治的抑圧の言い訳として濫用されたという。

ソクラテスとその他の哲学者


ソクラテスと他のソフィストや自然学者(ソクラテス以前の哲学者とされてきた人々)とは、当時においては明確な区分はされていなかった。それをソクラテス文学において区分しようとして現在まで続いているのがプラトンの作り出した構図なのだ、というのが本書の議論。ただし、それで今までの構図をただ捨ててしまうのではなく、これを受け継いできた西洋哲学の伝統を踏まえ、かつ見えなくなってしまっている他の哲学者とのつながりを探っていかなくてはならない。
(2018 06/17)

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