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「あまりにも騒がしい孤独」 ボフミル・フラバル

石川達夫 訳  東欧の想像力  松籟社



「あまりにも騒がしい孤独」。最近、あまり本読んでなくて、それも社会学関連か短篇集ばかりだったので、たまには長編(といっても130ページほどですが)を、それも一気に読み通してしまおう、と。ある文量以上を読む、今までのペース2、30ページを遥かに越えて読み通してみる。そういったことも必要ではないか、と。 

内容は、本を始めあらゆる紙、もしくは紙以外のごみなども含めてプレス機に投入する古紙回収業の「僕」が、そんな古紙の中から自分の気に入った哲学書やその他もろもろを救い出して、仕事をしながら、あるいはビールを飲みながら、読みふける。そんな物語。徹底的に下からの視線、クマネズミの争いに象徴的に描き出されているような、そんな視線。

「僕」もそんな下層の庶民ですが、「教養」もあり、プレス機の地下室で仕事をしてはカントの思想を胸に星空を見に行く、という本人的には満足の人生を送っている。が、そこに、古紙回収業も機械化・大型化が進み、それについていけない「僕」は遂に解雇される。

訳者、石川達夫氏はフラバル文学の三要素として、カフカの影響・(フス戦争でチェコの貴族層が壊滅的になったことを受けての)庶民的要素・チェコアヴァンギャルドの三つを挙げている。
その中で自分の読後感として今回は庶民的要素を多く感じた。この間読んだクンデラの「生は彼方に」にも似た印象を持った。下からの視線・政治に振り回される人間・チェコにまるでいるかのような世俗描写・・・などなど。 確かにチェコ文学には「庶民的要素」がフラバルでなくても現れるのかもしれない。
この作品は最初は詩の形式で書かれたそうであるが、この作家の作品には大長編とかなくて、このくらいの文量の詩的な中編が多いのかと、そう感じた(実際はわからないが)。
(2010 01/28)

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