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宇宙観は自分のために使うもの
「自分、宇宙から来たっすねん( ᷇ᵕ ᷆ )地球ラヴっすねん」と口に出すために触れておきたいことがある。
宇宙人、宇宙由来の魂、地球に来た宇宙人だとか
地球牢獄説、地球テーマパーク説、地球平面説…はちゃうか。
とにかく、ルーツが宇宙にある魂が地球に来てうんぬんかんぬん…、こういう話は特にコロナ以降は本当によく見聞きするようになったと感じる。
自分がそう(宇宙人)だと感じている人、身近な人間に対して「あいつ宇宙人やからな」と思っている人、そういうのはスピ界隈が言うてるだけやから、と一線を引いて捉えている人。
色々いると思う。
私がここで自分の肝に銘じておきたいなと思うのは、
「宇宙観やスピ観は人のためじゃなく自分のために使うもの」
だということ。
たくさんの人に広めて、迷える子羊を導いて行く人も勿論たくさんいらっしゃる。そういう人はそういう人。
そうではない大多数の、私のような一般の者は、それこそこの宇宙の中に無数にある宇宙観・スピ観の中で、自分に一致するものを選びとっていく。
そして、それで変わるものというのはせいぜい自分の生きている、見ている、感じている、実生活の範囲だということ。
スピリチュアルだって所詮はひとつの大きな価値観なのだと思うけれど、そこに「正しい」とか「間違っている」とか「本物」とか「まがい物」とかをくっつけて考えるのが、私は得意じゃないなぁと。私はね。
一人につき一宇宙、
あって、
みんなその中で生きている。
普段、実際の生活の中で湧いてくる考えや想いすらも、全員が全員一緒にすることなんてできない世界。
そんな中で、目の前に提示できない曖昧なことについての解釈を合わせようとすることが、そもそも無理な話ちゃう?と。私はこっそり思う。
そして、だからこそ自分の身に"現実"としてあること、"事実"として起こったことは、疑わずに信じてあげたいと思う。
自分がアルクトゥルスから望んで地球に来たんだということ、それを思い出す出来事があったこと、そのあとに自分の始祖が現れたこと、今はその始祖が私を守護してくれていること、今も変わらずというよりも一層、地球ファン🌏💐であること。
誰かにこのことを開示する時に、「信じなくてもいいし話半分くらいで聞いてほしいんやけどさ〜」と思っているし、実際にそう伝える。
だって相手の目の前に、私が見たものを、感じたものを、提示することはできないから。(私だって相手の言うことを信じられないことはよくある)
ただ、その時に自分だけは自分のことを信じていてあげたいよね。という話。
自分を信じられていないと、気のせいかな…とか、私頭おかしくなったんかな…とか、思いがちだけれど、思わなくていい。
実際に自分の身に起こったことを、無かったことになんてできないって結局あとから思い知らされてしまう。
目に見えない世界や見えない存在がただそこに、この世界に「在る」ということを感じたのなら、そこからどうしていけるのか。
自分のために、どんな風にそれらと関わっていけるのか、ただそれだけの事なのだと思う。
自分のためにやっている事が、結果誰かのためになるということがあったとしても、それはただの結果であって。というよりも、その形しか本当は存在しないんじゃないかとも思う。
そして自分の宇宙観みたいなものがある程度固まってくると、前述した「せいぜい自分の生きている、見ている、感じている、実生活の範囲」が変わってくる。
せいぜい、自分の生活圏内。
たかが、手の届く範囲。
でも、みんなが、ちょっとでも「あれ…宇宙ってさぁ…」と思っている人間が、みんなが、「せいぜい自分の見ている世界」を変えていけたら…
"自分のためにやったこと"が"地球のため"もっと欲張って"宇宙のため"になってもおかしくないんちゃう〜( ˙ε . )?と、思うのよ。
って。おはなしでした。
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