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働くってなんだろう

ここ1年ほど、仕事ということを考え続けた1年はない。ほぼオール在宅ワークになって働き方が変わったり、職務上のあれやこれやがあったりで、ここ一年このテーマを考えて考えて・・・
そしてまだ、答えがない。

仕事って何でしょう。

生活のためのお金を稼ぐ手段。
それは間違いない。
主人とは、親元離れて結婚した当初からお互いお世辞にも高給取りとは言えない状況で「二人で一人前だね」とか言って、収入も家事も分担してやってきた。
専業主婦になるつもりはさらさらなかったし、主人に主夫になってもらって私はバリバリ働くわ!みたいなつもりもなかった。(冗談で主人に提案されたことはあるが、本人は本気ではないだろう。)
何より育ちざかりの子ども二人が家にいる。この子達のためにお金に困ることはしたくない。

じゃあそれだけなのか?

それだけであれば、心を無にして黙々と仕事をすればいいだけだ。
与えられた仕事。必要なミッション。こなせば、ある程度の収入は得られるだろう。

でもそうじゃない。
それだけじゃないぜ、ってずっと私の中の誰かが言っているような気がしている。
じゃあ、仕事ってあと何なのよ?

なんとなく、見えている答えの一つは、「自己実現」かなと思っている。
自分が、何者なのか。何をしている人なのか。何をしていたいのか。

もう少し踏み込むと。
仕事とはいえ、ある程度自分のパワーを注ぐにあたって「何かに愛を注ぎたい」のかもしれない、と思っている。

少し前なのだけど、高校時代の友人と話をしたときに高校時代の体育祭の話になった。その友人がその日の話をまとめてくれていた。

(この「友達」が私)

そうだ、これが忘れられないんだ。
このランチの時から、私の中で見えない気持ちを言語化したような確信めいたものがあった。
パワーあふれる友人の熱量をガンガン感じながら、そこに私的最大級の愛を注いで一緒に走る感覚。リレーのような、チーム戦のような、二人三脚のような。
これが、今でも忘れられない。大変で大変で、それはもう楽しかった。
この時結果らしいものも残せて、高校二年生にして達成感の甘い蜜を味わってしまった。

もう一度、こんなことがしたいな。

仕事でお金を頂くものに対して、楽しいことばかりではないことはわかってる。
そんな個人的な達成感を求めていいのだろうか、みたいな想いもある。
世の中そんなに甘くないぞ・・・と。

答えはまだ出ないし、出るのは退職しておばあちゃんになるころかな。

その時に、後悔はしたくない。
もう少し考える時間は続きそう。

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