見出し画像

短編その8 ワタセくん

文字数:2,200字程度
------------------------------------

 幼い頃、私は毎年の夏休みに、叔父の家を訪れていました。
 叔父は畑をやっていました。人参にトマト、ピーマンにきゅうり…とにかく沢山、育てているようでした。
 叔父の家に行くと、私はいつも畑の手伝いをさせられました。でも、悪い気はしませんでした。都会っ子の私としては、虫や植物と触れ合うのは新鮮で、テレビやゲームよりも楽しかったですし、手伝いが終わると、叔父はお駄賃をくれました。それで、近くの駄菓子屋で駄菓子をたらふく食べる…それが、お決まりのコースでした。
 その年の夏も、例年どおり過ごすのだろうと思っていました。
 夏の日差しを浴びながら、雑草を取りつつ、虫達と戯れていた時だったでしょうか。おーいと、後ろで誰かを呼ぶ声が聞こえました。
 振り返り、声のした方に目を向けます。叔父の畑のさらに向こうには、水田が広がっています。その間の畦道に、人が立っていました。
 その人は全身真っ黒で、まるでお日様を浴びて出来た影がそこに立っているかのような。それくらい、真っ黒な人でした。
 おーい、おーい。その人は叫んでいました。どうやら私に向けて叫んでいるようです。何か用があるのだろうかと、その人に近づいていきました。
 が、そこで現れた叔父に手を引かれ、私は叔父の家の中に強引に連れ戻されました。
「ワタセくんに、関わっちゃいけねえ」
 開口一番、叔父はピシャリとそう告げました。
「ワタセくん?」
「…昔の知り合いだよ。あの辺りで死んだな」
 死んだ。私が友達と言い合う冗談と、意味が違うことは、幼い私でも分かりました。
 叔父の話によると、ワタセくんは二十年前の叔父の同級生で、畦道の横に走る水路に転落して、亡くなったそうです。
「でもな、あいつは死にきれなかったんだ。地縛霊っての。居ついちまってさあ。ただ居るだけなら良いんだがな、時々神隠しをするってんでな」
「神隠し?」
「お前みたいな子どもを、あっちに連れ去っちまうってことよ」
 ワタセくんは友達を作りたいがために、子どもをあの世に連れて行くとのことでした。
「ええか。あそこでお前を呼ぶ声が聞こえたら、すぐに逃げろ。お前の親の姿を真似たり、声を変えたり。あの手この手でお前を連れ去ろうとするかもしれん」
 叔父の話は嘘に思えず、その時背筋がヒヤリとし、身震いした記憶があります。

 その一件があってからか、私は叔父の家に行くのが怖くなり、その後畑の手伝いで足を運ぶことはありませんでした。
 月日は流れ、私は高校生になりました。
 叔父の失踪の報せを受けたのは、その頃です。数日前から、山に山菜を取りに行ったっきり、行方が分からなくなっているそうでした。
 しかし私の両親を含め、親戚の皆は叔父の畑の話で持ちきりでした。
 なんでも都市開発のせいか、土地の価値が変わったらしく、あの畑がべらぼうに高く売れるというのです。叔父が死んだ訳でも無いのに、叔父の畑をどう配分するか、皆目の色を変えて話していました。
 誰も叔父の安否を気遣う人はいません。そこで私は初めて、叔父が親戚内で嫌われていたことを知りました。
 場の雰囲気に耐えられず、私はその夜一人で叔父の畑に行きました。夏半ば、蒸し暑い風に肌を撫でられ、思わず畑を手伝っていた当時のことを思い出します。
 このまま叔父が現れなければ、この畑は無くなってしまうのだろうか。思わず涙が出そうになったところで、それは聞こえてきました。
 おーい。どこからともなく、声が聞こえてきました。声がした方向を振り向く私の動作もまた、まるであの時のようで、既視感を覚えました。
 遠く、黒い影が見えました。夜分に灯りの少ない畦道です。それが誰だか、しっかりとはわかりません。
 影はふらふら、ゆらゆら。今にも消えそうな様子です。それでも声は変わらず聞こえてきました。
 私は嬉しくなりました。その声…数年ぶりに聞いた叔父の声のようだったのです。
 私は影の方に走り出しましたが、待てよ、と立ち止まりました。
 昔の叔父の言葉が、ふと頭をよぎったのです。
 ——あの手この手でお前を連れ去ろうとするかもしれん。
 それにあの影がいる場所は確か、昔ワタセくんを見た場所と、同じ気がするのです。
 あれは叔父じゃない。叔父のふりをした、ワタセくんじゃないか。
 思うが早く、私はその場を離れました。あのまま影の方に向かうと、彼に連れ去られてしまう。嬉しさは不安と恐怖に変わり、その場にいられなくなりました。
 帰るや否や、私は親戚の皆にワタセくんに会ったことを話しました。すると彼らはすくっと無言で立ち上がり、畑に向かい出しました。
「お前はここで待っとれ」
 そう父に気圧され、私は母と大人しく待っていました。
 その後、彼らは何事もなく戻ってきましたが、誰も何も話してくれません。
 私はその夜、もやもやとしたまま眠りにつきました。

 次の日の朝です。
 叔父が見つかりました。
 畦道横の水路。叔父はそこにぷかぷかと浮かび、死んでいました。足を滑らせた末での事故とのことでした。
 そんな、私は驚きました。そこは、昨夜私がワタセくんを見た場所と同じ場所だったのです。
「ねえ。昨日私が見た人影って」
 叔父だったんじゃ。言いかけたところで、私は見てしまいました。叔父の遺体の首元に、紫色の痕があるのを。
 声を出せない私に、父がにっこりと笑って言いました。

「お前が見たのは、ワタセくんだよ」

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?