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医師と結婚して離婚した話〜それでも子どもを…


決死の………

元夫とは、一緒にいればいるほど、私の中の孤独感は浮き彫りになっていった。


一人暮らしの時よりも、圧倒的に深い孤独感だった。


何を言っても
「おん。」(うん)


しか言わない。
会話が全く広がらないし、
何を考えているかも分からない。


言葉のキャッチボールが出来なかった。



男性脳と女性脳は違うのも理解しているし、そもそも会話が苦手なのは分かるが…



まるで、壁と会話をしているようで…

そんなある日。


「そうだ、子どもをつくろう!」



と、思い立った。


こういうのって、思い立ってするものなのか?
と、いうのは置いといて…


子どもが出来たら、彼も変わるかもしれない。
この孤独も癒やされるのではないか。




と、まぁ…理由が不純なような、短絡的なような。



何しろ、「子どもは異物だ」と言い切る元夫を説得するのにしばらく時間はかかったが、とりあえず試してみることになった。



試し……何を??



一般的に子どもは授かりものだというが、
いつの間にか授かりました、と言えるほど、
そのようなことは致しておらず。



基礎体温と、排卵検査薬のダブルでタイミングをはかった。



私としては、決死の覚悟である。



何しろ、カマキリと………
(かと言って、共食いはしていませんよw)






結果。


見事に妊娠成立。



ほどなくして、私は重いつわりに苦しむことになり、出産まで実家で過ごすことになった。




出産


重度のつわりなどはあったものの、経過は概ね順調で、出産予定日が迫ってきた。



秋の気配が漂う爽やかな朝。


鈍い腹痛で目が覚めた。


出血もあった🩸
「おしるし」だ。



父に病院まで送ってもらい、父は車から降りることなく帰宅。



陣痛室でひとり過ごした。



なかなか陣痛が強くならないため、しばらく病院内を歩くと、夕方から耐え難い陣痛が……。



そこから先は記憶が途切れ途切れだが、黄金色の夕日が部屋に差し込んで、なんとも言えない風情だったことは覚えている。



ふぅー、ふぅー、と深い呼吸で痛みと、いきみ感を逃し、ひたすらひたすらひたすら耐えた。



産むまで少しも声は上げなかった。
(自分の中だけの密かな武勇伝だったりする)



意識も朦朧とする中、助産師さんが



「分娩室に行きましょうか」
と言うので、



ストレッチャーか車椅子が用意されるのかと思ったら、



徒歩でと。



えぇ、うそやん。
むりむりむり…



しかし、これは一般的なことらしいと後から知って驚愕した。



夜10時を過ぎた頃。



何度目かの壮絶ないきみの後、



「にゅるん」という感触の後に、
10秒ほど沈黙の時が流れ、



あぎゃっあぎゃっあぎゃっ



と、産声を上げた娘。



すぐに、私の胸にぽんっの乗せられた時の様子は、今でも鮮明に覚えている。


なぜか、一番最初に目に入ったのは、「鼻」



あはは、私にそっくりだ…🥹



分娩後、赤ちゃんルームには複数の赤ちゃんがいて、よく泣き声を上げていた。



不思議なことに離れた病室に居ても


「あ、これはうちの子の声だ」


と、分かった。
母親の勘というやつか?



元夫には、出産後わりとすぐにメールをしたと記憶している。



しかし、立ち会ってもなければ、付き添ってもいないので、あまり感動もなかったようだ。



こんな風にして、少し寂しい出産ではあったが、無事に娘が誕生してくれた。



その時は、
これから先。この小さな子が

私の人生に、これまでにないほどの彩りを添えてくれる存在になること。

そして、高度な忍耐と、適度な諦めを培うための試練を与える存在になること。


…なんて、とても想像ができなかった。


ママが寂しそうだったから

娘が4歳くらいの時に、一度、興味本位で

「何でママのところに来てくれたの?」
と、聞いたことがある。


すると、
「ママがさびしそうだったから」と…


どきっ!


「雲を掘って、雲の穴から顔を出してママを見てたんだよ」

なにそれ、かわいい🤣🤣 
(池川先生〜!)


確かに、先に書いた不純な(?)理由と合致していて、とても不思議な気持ちになった。




さて。
次回は、子育て場面におけるカマキリさんの様子を書いていきます。


教訓というか…呟き。
【出産時はできるだけパートナーがいてくれた方が妻としては心強いです…】

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