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計算をしていると心を揺さぶられることがある

どうもこんにちは、いわゆる理系学生です。この世界には頭が良すぎたり、感覚が鋭すぎたりすることで起こるプチ超能力的なことがある。有名なので言うと絶対音感。音が音階で聞こえるとか聞こえないとか。あとは映像記憶なんかもその類だと思う。目の前の景色をそのままカメラで撮るように覚えちゃうとか覚えちゃわないとか。これらの能力はもちろん本人の努力なんかもあるだろうが生まれつきの才能や血筋に依るところが結構大きかったりもするわけで。その他大多数にとったらそりゃもう羨ましくて仕方がない。才能がある故の苦労とかは知ったこっちゃない。そんな持たざる者の僕ですが今までに一回だけ自分の中に才能の片鱗、特異の種が見えたことがある。友人に言っても気持ち悪いかかっこつけてると思われるだけなのでここに書いておこうと思う。

昔から算数、数学は比較的得意だった僕は数字に強さ的なイメージを持つことが多かった。ゲームなんかでも強さを数字で表すことは多いからこういう人は多いかもしれない。+軍vs-軍、分子軍vs分母軍みたいに。計算の過程はこの戦いの途中を見ているみたいで結構楽しくなる時もあった。+軍の巨大戦力に寄り添って-軍に引き入れる一見弱そうなスーパーブレイン[-1]、互いに-を掛け合う世紀のスパイ合戦、互いの大将級が約分によって散っていく涙の出そうな名戦。分母軍と分子軍の戦いによって荒れ果てた荒野に一人立つ[1]。

そんな計算の中でも特に心を揺さぶられるものがあった。それはn乗根を含んだ計算だ。ここからは中々共感できる人はいないのではないだろうか。いられると僕が特別じゃなくなっちゃうのでぜひいないでほしい。n乗根の数字例えば2^(1/3)なんかが僕にはどう見えていたかというと生まれつきハンデを背負った小さな子どもだ。それもアフリカの方の女の子。これはおそらく計算の面倒くささや根号が重いもののように見える(?)ことからきている。泣きそうになる感じが伝わるだろうか。こういう問題を解いたことがある人ならわかってもらえるかもしれないがn乗根を計算するタイプの問題は答えがきれいな形になることが多い。そのきれいな形になるまでの過程が僕にはハンデを持つ女の子をみんなで助けているように見えて仕方なかった。整数たちが周辺の状況を変えてあげたり同じ境遇の子どもに出会ったりすることでハンデを克服していく。計算の結果がきれいにならなかったときは「俺が力になれなくてごめんな、もう一回最初から計算してやるからな」と話しかける。これがもうドキュメンタリー。泣かせにきてる。模試の最中なのに。やめてくれよ。

となる。このよく分からない感性が役に立つことはおそらく一生無い。それでも自分は人と違うのではないかという淡い期待を抱かせてくれる。これからの人生でn乗根の計算をちゃんとすることは限りなく少なそうなので記憶が新しい今の内にここに記しておいた。

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