映画 遠いところhttps://afarshore.jp/
昨日、工藤将亮監督の「遠いところ」を見て来ました。
そこには、若年出産、DV、女性への性の偏見、貧困、親から子へ愛情不足の連鎖、世代間の価値観の違いによる偏見、誰に寄り添っているのか分からない行政への違和感。などが写し出されているように私は感じました。
全て悪いのは、彼女、彼ら、であるかのように責められ、見下され、弾かれる事に、大きな違和感を感じました。
環境が変われば、解決できる問題なのでしょうか?
経済的に貧しくなければ違っていたのでしょうか?
早く結婚していなければ違っていたのでしょうか?
若くして子供を産んでいなければ違っていたのでしょうか?
私には、環境ではなく、「知らない」というか、「知るという事すら知らない」だけのように感じました。
では、彼女、彼らが「何を」知らないのか。
それは、
「自分の視野が狭い事」と
「自分は自分を愛して良いっていう事」
です。
「自己肯定感の低さ」をもたらしたのは一見環境によるものに見えるかもしれない。
でも、本当は
本人が本人としての人格を形成していく過程で、「自己肯定」を低くしていかないと、生きていけない状況が雪だるま式に連鎖して行ったからだと思う。
もう一度言います。
「低くしていかないと、生きていけない状況」です。
生きるために、そうする以外の選択肢を知らないのです。
これって、彼女や彼達が悪いでしょうか?
ただ、ただ、必死に「生きるため」の選択をしただけではないでしょうか?
視野の狭さを知らない。
その知らない事を
「なんで知らないんだ」って怒ったって、しょうがない。なんの意味もない。
知らないんだったら、
「今のあなたは視界が狭いのよ」って教えてあげる事。
そして、
広い視野を教えてあげる事。
自分で自分を愛していいって教えてあげる事。
それだけなのではないかと思いました。
根底は自己肯定。
たとえ、彼女や彼達が、20年後30年後、全く違う環境に居れたとしましょう。
でも、当時の自分を無かった事にして、否定して生きて行くのでは、本当の幸せだとは思いません。
受け入れず、否定している限り、
「また、あーなっちゃいけない」っていう脅迫観念で生きて行くとこになるから、一生苦しいし、苦しいから、昔に戻っちゃいやすい。
20年後、30年後、
「あの時の私も生きるために必死に頑張っていた。何も分からなくても必死に頑張っていた。あの時の私がいてくれたから、今の私がある」って過去を受け入れてられるようにならないと、本当の自分として生きていけない。
環境だけを変えるのではなく、心を置き去りにしない事が何より大事。
だから、
今の自分を知る事。
そして、
学ぶ事。
「知る事」と「学ぶ事」によって、
自分自身でしか、自己肯定をあげる事はできない。
自分自身でしか成長はできない。
責める事も、責められる事も、卑下することも、何一つもない。
今は過去の結果でしかないし、
未来は今の変化なんだ。
私はそれを伝えたい。
工藤監督は「現状をたくさんの方に知ってもらう」という愛だと思った。
私は現場で肌が触れ合うほどの近くで、本人達に「本人達の今を知ってもらい、学んでもらう」お手伝いをしたい。という愛です。
今の私に何が出来るだろう?
今後の私に何が出来るだろう?
自分を愛する事をやっと分かりかけて来た私の今までの経験も学びも体験も、そして、これから学んで経験して行く事もそれらを全て伝えたいです。
伝える事で視野を広げるお手伝いをしたいです。
今は未熟すぎて、こうして独り言を言う事しか出来ないけど、絶対会いに行くから。
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