見出し画像

今必要なこと、そして社会へ。

久しぶりの投稿である。私自身の人生そして今について考えることについて、記している。これを読んでいただいた方は温かく見守っていただけると幸いである。

 今自分自身そして社会を見つめ直していくこと、日があっという間に過ぎていく。そんな思いに私は毎日いろいろなことを考えるようになってきている。私はこれまでの人生を考えると様々な出来事があったように思える。私の幼児期は、言葉の遅れがあったり、周囲の輪に入ることが苦手としている子どもだったことは記憶として覚えている。そんな中で、私は週1回に児童発達支援事業所に通所しており、そこで出会った仲間たちと交流することが今でも忘れることなく、特に遠足に行って楽しんだ思い出がある。

 小学生になった私は、仲間とのつながりはそこそこであったが、特別支援学級に休憩時間になって遊びに行くことがあったことは確かなことである。さらには、親が勤務していた精神科病院でインフルエンザ予防接種を受けて、その後に精神科病院の患者と交流したことも思い出としてある。この時の私は精神障害者に対する偏見もなく、怖さも感じることもなかった。そんなある時に他害行為が激しいと噂になっていた精神障害者と出会い、私に手を差し伸べてきた。その精神障害者は私の手を握りしめ、涙を流していたのである。この気持ちは何を意味しているのだろうか。もしかしたら、本人にとって思い出すことがあったのか、あるいはお互い生きていこうという気持ちがあったかもしれない。この時の私はことばの教室に通っている時でもあった。話し方や文章にすることへの苦戦を強いられ、なかなか改善されない、そんな思いを自分自身が葛藤している時代でもあった。

 中学校に入ってからは、私自身が苦しめられる時代に入る。それは”いじめ”であった。特に成績が良い人が悪い人をいじめる、そして運動が出来ない人に対していじめるといった現状であった。当然のこと私は、成績も悪く、運動も出来ない人であった。毎日、陰口や暴言・暴力が当たり前のようにあり、苦しい日々であった。この時の私は先生に頼っていも意味がない、結局放置されるのは私のように弱い人たちなんだというネガティブ思考になっていた。そんな中で私にとって救いになっていたのが、小学校の時と変わらず特別支援学級の先輩と後輩と交流していくことであった。先輩からは部活動で知り合い、技術を教えてくれたり、一緒に歩み寄ってくれたことにあった。さらには、一人で孤立している時に「僕たちがいるよ!大丈夫!」ということ、言語障害であって休憩時間に私にハイタッチを求めに来てくれたことに励ましになったのである。これまでの出会いには、優しさというものが存在しているという実感を湧いた中学校時代の私であった。この時、私はふと思ったことは「障害を持っても一人の人間であるし、私たち日本人は基本的人権の尊重というものを受け入れているのか。障害者差別がない社会が必要なのではないか」という疑問を持って考えるようになった。この考えを持つことが福祉への始まりなのではないかと私は思う。そこで見つけたものがボランティア活動であったこと。自分自身が今この状況に立たされているが、何か変化出来る可能性を信じ高校でボランティア活動を始めたいという意欲がここにあった。

 高校時代、私は入学式が終わって数日後にボランティア活動を始めようと決断し、学内のボランティアサークルを開設した。他にも地域でのボランティア活動を展開させていき、多様な場を見つめ、そして自分で企画することから実行していくことを修得していけるボランティア団体に2つ加入した。新しい人間関係によって生み出される出会いが学びになっていく、そして私も変われる可能性が増えていく。当たり前のことではなく、自分自身を見つめて捉えていくことへとつながっていったのである。しかしながら、子の中であっても、”いじめ”は消えることはなかった。それでも私は諦めなかった。高校教諭にボランティア活動禁止令や新人に対する勧誘禁止などが出されることもあったが、私自身は活動を断念したくなかった。新しい挑戦にもなることを常に経験を積み重ねていくこと、高校2年の1年間で35回の地域活動に参加したのである。このことを受けて自分にでも企画してみようという気持ちになり、リングプル回収活動を近隣やつながりある機関とつなげていくネットワークづくりを努めていった。車椅子までにいかなかったが、多くのリングプルが回収され寄付した。つまりお互い支え合っていく社会が必要なのだということ、一つの輪になって成り立つものがあると考えた高校生の私であった。この他にも多くのことが学びとなったことがあるが、ここで締めていきたい。

 大学では、社会への視点に立つことが重要な意味があると考えさせられるようになった。特に現在、新型コロナウイルスによって外出制限や自粛を余儀なくされている私たちが当事者意識をするようになった社会において、必要不可欠なのが誰一人取り残さない取り組みが必要なことだと認識するようになった。そのために今一度、ネットワークづくりを形成し一つにしていくことを目指して今に至る。このことを考えるようになると、自分そして社会への問いを持ち、日頃から社会の出来事を考えること、疑問を持つことを考えさせられたことであった。私が現在学している恩師の教員からは「ソーシャルワークは社会の出来事、いわゆる日本や世界の出来事を見ていく必要がある。そのためにソーシャルワークというものがある」という言葉に刺激を受けて、世界情勢など幅広く見ていくことが重要だと今取り組んでいる。そこで始めるのが、誰一人取り残さない、私たちが見ていく未来へ発信しつながりをもって、一つにし、団結していくことを目指して、独自に当事者交流会をオンラインイベントを企画して踏み切ったのである。そんなある時に私と過去に学習会や障害者との交流に参加した学生から、「僕はあれからADHDになりました。だけど、あの時は自分自身の葛藤があった。その葛藤を冷静に受け止めてみると、僕は障害者で良かったと思いましたし、学習会や障害者の交流を図るボランティアに参加して大きな材料になりました」という言葉に、私は感動した。つまり私たち社会で生きていく中で当事者意識を持つことが今ここにある教訓で考えて、そして行動することが重要なことであるという必要性を受け止める。この発展にこそ社会福祉の思想を持ってのソーシャルワーク実践がここにあるのだということ。今後も自分や社会を見つめていき、誰一人取り残さない持続可能な開発を努めていかなければならないし、私たち一人ひとりが生きる上で必要な生命すなわち生命そして生きる意味を考えていくものとして、展開していかなければならないのである。

文章が長くなったが、今後私たちに必要な意味を込めて、今回の記事に記載させていただいた。不適切な表現があるかもしれないが、私は100%理解して欲しいとは願っていない。少しでも理解していただき、”いいね”と共感していただけると幸いである。               

                       2021年6月10日 楓帝昭

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?