ただ他愛のない話をしたいの【母への手紙】
書くンジャーズ日曜日担当のふむふむです。
今週のテーマは【母への手紙】
先週の母の日、自分はオットとムスメに祝ってもらったのにもかかわらず、私は電話をする勇気すら出ずLINEの文字のみ。
反省を込めて心の内を手紙としてしたためました。
今まで実家の悩みはだれにも相談することもできず、胸に秘めていました。
一人きりの孫であるムスメの姿を見せるため実家に帰省するたびに自己嫌悪に陥り、体調を崩していたけれど、これを機会に自分の本当の思いを探ってみようと思います。
末娘として
家の跡取りとして大事にされてきたお姉ちゃんに対し、次女である私は何をしても目立たなかった。正直、幼稚園や学校では褒められることの方が多い子供だったのに、なぜ家では何もできないダメな子、味噌っかす扱いなんだろう。
暗い顔をしているせい?
一重で顔がかわいくないから?
子どもながらにどんなことをしたらよいかと考え付いたのが、勉強を頑張り、お姉ちゃんとテレビの番組争いをするよりも本を読んでいること、嫌われないためにいい子ちゃんであること。
クリスマスのプレゼントだって望むものは本。お姉ちゃんはおしゃれなロングブーツやらアクセサリーやら本当に欲しいものを手紙に書いていたのに、私はいい子の見本であるためにいつだって褒められる子であろうとした。
子どもの夢の存在であるサンタクロースにさえも嘘をついていた。
お姉ちゃんよりもいい子なのよ、だから私を愛してってそんな思いをいつも抱えていた。
よく末っ子は甘え上手とか世渡り上手とかいうけれど、私は残念ながらそのどちらにも当てはまることはなかったね。甘え下手だし、一般的な子どもらしく聞いて聞いてって自分を前面に出して話をすることもできなかった。考えをまとめて話すのが苦手なのは話す量が少なかったせいなのかもね。
お母さんが私のことを「神経質で困るのよ」とよく知り合いや親戚にこぼしているのを見て、お母さんを困らせているシンケーシツを直すにはどうしたらいいんだろうとさらに悩んだ。悩むという単語を知る前から頭の中はいつもどうしたらいいんだろうとぐるぐるしていた。
悩み癖、考え癖は今も変わっていない。そして堂々巡りをしているだけで答えが見つからないのも同じく。
もしかしたらお母さんはそんな私のことを持て余し、可愛げがないと思っていたかもしれないね。
私は無条件に大好きなお母さんを困らせたくない、ただ愛されたい一心で、どんな時でもお母さんの味方をし、愚痴や悪口を処理する役目を果たした。正直悪口や愚痴を聞いていると頭痛や吐き気がしてくる。それでも毎日聞いていたのはなぜだかわかる?ただただ大好きなお母さんに好かれたかったから。
みんなが愛する大事なお姉ちゃんよりもこんなに頑張っているよ、どうか私を見てと毎日心の中でアピールしていた。そして自分の心が張り裂けそうになってもお母さんを守るんだと思っていた。
同じ母という立場になって
お母さんは私に勉強しなさいと言う事はなく、ただただ具合が悪くならないように無理をしないように早く寝なさいとそれだけを願っていたね。それは大学の推薦入試のための勉強中でさえも。普通は勉強しろ勉強しろって言われてムカつくとかいう話を聞いたけど、私は早く寝なさいっていう言葉に反発して勉強した。
物心ついた時から、元気に走り回っていっぱいご飯を食べている周りの子供たちと比べると、とにかく疲れやすく、びっくりするほど体力がなかった。疲れたらご飯を食べるよりも一刻も早く寝てしまいたかった。
自分では気をつけているつもりでも、登校前に吐いたり、毎日お腹が痛かったり。学校に行きたくないと思っているのではなく、むしろ学校に行くのは好きだったはずなのに、すこぶる快調と思える日は経験がなく、毎日体調が悪かった。
それでもやりたいことがいっぱいあった私を海外の一人旅に送り出してくれたのは相当な勇気が行ったんじゃないかって思う。団体行動は体調の関係で難しいけど、一人なら体調を見ながら動けるからって。それって一体どんな理由だって思うけど、一人でもやればできるって自信になったし、その後お母さんを連れて案内できたのも親孝行になったのかなって気がする。
新卒で入社した会社は結局2年でドクターストップで退職することになったけど、夢破れかけて心身ともにぼろぼろの体で金曜の最終特急に乗り実家に帰る私を夜中の駅まで迎えに行き、日曜の夕方には私が食べられるおかずを作って持たせてくれた。
お母さんはいつも心配していたね。「健康な体に産んであげられなかった、くれぐれも無理をしないで」と事あるごとにそう言われると、私も申し訳なくなった。今ならこれが私だから気にしないでって言えるんだけど。
いい年した大人が結局一人では何もできなくなっていた。あの頃は自分を支えるだけで精一杯だった私には見えなかったけれど、娘を支えたい一心でここまで出来るものなのか。
それから数年後に結婚、しばらく夫婦二人の暮らしが続き、もう孫を見せることはできないかもと告白した3か月後、奇跡的に妊娠を報告できた私はその後つらいつわりに悩まされ、実家で長いことお世話になりましたね。食べられるものも桃のカンヅメやたまごサンドだけ、それを毎日毎日私のために自転車で買いに行ってくれてありがとう。こりもせず同じものしか食べられない私に面倒だとも言わず、横になっていても怒らず、気長につわりが収まるのを待ってくれて、濃い愛情を実感しました。温かい愛に包まれて幸せでした。
それはムスメが生まれてからも同じ。産後無理をすると後に響くからってなるべく体を休めるように心配するお母さんに私は強がりを言って、これから向こうに戻ったら全て一人で面倒を見ないといけないから自分で頑張ると言ってしまった。お母さんはきっと私がやると言っているのに余計な手出しをしてはいけないと思ったんでしょうね。またいい子ちゃんを演じてしまった。
でも子育ては想像を絶する大変さ。10時間の陣痛や出産の痛みなんて大したことなかったと思えるほど、先の見えないワンオペ育児、それに加えて体力のなさが私を襲った。
本当は体が八つ裂きにされるほど辛くて、痛くて、助けてほしかった。いい子ちゃんであろうとした私がだんだん崩壊していくのが分かった。
さらにダメージを与えたのは産後五か月で九州への転勤。全く知らない場所でまた一から再出発。知り合いもいない場所でもう誰にも助けてもらうこともできない。
大変でも「母親なんだから、子どもを守るために笑顔でいないといけないよ」と言われるたびに、お母さんだって私にずっと愚痴を聞かせてきたじゃない、笑顔じゃなくてヒステリーをまき散らすことだってあったじゃない、それでも嫌われたくない思いで必死で聞いてきたのにと怒りが渦を巻いた。今もう限界に近い私の話を聞いてほしいのに、私の話は聞く価値がないの?どんどん悪い方に考える。私が素直に大変だ、助けてほしいと言える娘であれば、こんなにゆがんだ感情を持たずに済んだはず。
全く余裕の持てなくなった私は、お母さんの愚痴を聞くことすら苦痛でたまらなくなった。要はまた偶像の、理想とする良い母親になれず自分の子育てが破綻しかけたから。
でも、お父さんの病気やお姉ちゃんの離婚問題が重なって、いつもの単なる愚痴以上の辛さを抱えていた時だったんだよね。
毎日電話をしていた私に拒否されて、寂しがり屋のお母さんは一体どうやって苦しさを解消していたの。
私が突き放してしまってから、実家に戻ったお姉ちゃんとお母さんの距離がより近くなって、私はもう用なしだった。
たった一人の孫を見せることが出来たのに、冷たい私はもういらなくなっちゃったね。
自分が母親になっても本当はまだお母さんの前では娘でいたかった。つらい時に話を聞いてほしかった。結婚して子供も生まれて、素直ないい子に育っている、私の未来予想図ではいい子ちゃんであれば用なしになるなんてことなかったはずなのに。
大人になり切れなかった私の心が悲鳴を上げているの。今なら話を聞く余裕もあるんだけど、もうお母さんは私に遠慮して電話してこないもんね。私も電話する勇気が出ないの、何か急ぎの用事でもない限りは。
前みたいに話せるようになりたいって思うのは私のわがままなんでしょうか。
一人の人間として
お願いです。お母さん、自分の人生を自分のために生きてください。
お父さんやお姉ちゃんに気を遣うことなく、もう自分のやりたいことをやったらいい。
お姉ちゃんが離婚したのも、病気になったのも決してお母さんの責任ではない。誰のせいでもないんだから、なんでも自分のせいだと抱え込むのはやめて。私にはお姉ちゃんの面倒を見ずに済むように何とかするからと言われると、あの時私が本音を話さず、全てしまい込んだままにしておけばこんなことにはならなかったのかも知れないと思うと苦しくなる。
お姉ちゃんだってもういい年。いつまでも親に甘えてばかりで入られないと早く気づいてほしいけど、私が言うと角が立つ。
実家に帰るたびに、年老いていくお母さんを見て、心苦しくなるの。元気なうちにあと何回会えるんだろう。本当は私でなく孫であるムスメだけが遊びに行ったらお父さんやお姉ちゃんも楽しめるんでしょうけど。
私だって本当はいっぱい愛されて育ってきた。ひねくれて考えているのはうす汚い私の妬みのせい。いい子ちゃんでいなければと演じ続けてきたせいでいつまでもそう在らねばならないとがんじがらめになっていただけ。お姉ちゃんはお姫様体質でもあるけれど、ただ素直に自分の感情を人にもぶつけ、露にしていたからそのまま受け入れてもらえていたんだってことに気づいたのはつい最近。私は愛されたいというエゴから自分が作り上げたいい子ちゃん像に苦しんでいた。
お姉ちゃんのことはいくつになっても娘としか見られないけれど、私のことは娘を生んだ同じ母親としての立場で見たり、末娘が生意気を言うなの観点で下に見たり、お母さんとしても意見がぐらついてしまうんだろうな。だから私も言葉を受け取る時に額面通りにとらえるのではなく、一歩引いて落ち着いて聞けるようになるから。
私が健康で精神的にも強くなって、ある程度稼げるようになったらお姉ちゃんの面倒を見ることが出来る、それが私にできる一番の親孝行。そうしたらお母さんも安心する?
たまには一人でぶらっとお茶でも飲みに行ったり、映画を観に行ったり、自分のための時間を作って。良かったらこっちに遊びに来ない?いつでも大歓迎、ドーンとお迎えするから。
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