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読書記録「森と木と建築の日本史」

寺や神社に行くと大体どこも木造で、特に屋根まわりのデザインはすごい凝ってるなぁと思っていた。ちなみに写真は日光。豪奢すぎる。

完全に素人感丸出しの感想だが、素人なのだから仕方ない。木材への知識も建築の知識もまるで無いのだ。でも最近、ほそぼそと御朱印を集めはじめて、どうせならもう少しだけ詳しくなりたい!と手に取ったのがこの「森と木と建築の日本史」。

今更言うことでもないけれど、日本は森林資源が豊かな国だ。森林伐採や砂漠化が世界中で問題となって随分経つが、それでも日本は森林が多い。これは昔から日本人の意識が環境保全に傾いていたというわけではなくて、気候の影響が大きいのだと思う。

日本のように雨が多く温暖な気候下では、植生は放っておくと森林へと遷移する。日本で自然に草原や荒地が形成されるのは海岸や標高の高い場所がほとんどで、それ以外は人為的な影響が大きいとされている。例えば焼き畑や茅場といったものが相当するが、逆に言えばそれ以外は基本的に森林だ。当然、人は身近な資源として木を活用する。

この本では古代から近代、現代に向かって時代区分ごとに章立てがされていて、実際の建築物や遺構の木材分析、そして絵巻や文献から当時の状況を読み取り、考察していくという流れ。

たとえば神社などの祭祀施設を建てるにあたって、すぐれた自然観察者であった古代人が材質にこだわらないはずはない。

かつて頻繁に祭祀施設に用いたられたのはヒノキだという。見た目や加工のしやすさ、有用性等、合理的な理由があったのだろう。人類の持つ時代ごとの木材加工技術や流通技術、そして信仰といった要素が絡み合い、日本が「木の文化」を形成していった道筋がわかり、なかなか面白い本だった。柱にはヒノキを、荷重のかかる部分にはケヤキを使おうなんて、木の特性を熟知してないと思いつかないだろうし、そこに至るまでもたくさん失敗があったんだろうと思う。すごいなぁ、人間。

中でも驚いたのは、中世の時点で実は森林資源がかなり枯渇していたのではないかということ。枯渇というのは単にはげ山になっていたというわけではなく、いわゆる「巨木」が確保できなくなっていたということ。奈良時代以前、すでにヒノキの巨木を相当数使っていたようだ。木は数年では大きく育たない上、遠すぎると運搬も困難だ。加工技術と流通可能範囲と、都合の良い木はそうそうなかったというわけだ。

そして製鉄により木材消費はいよいよ激しくなり、本格的にはげ山ができていく。建材として燃料として木の需要は高まり、朝鮮や中国といった海外へも輸出していたらしい。その流れの中で、「森林の育成」という資源サイクルが消極的であれ積極的であれ形成されていく様は興味深い。

また、地域面でも特性があって面白い。日本は国土が縦長なので、樹種ごとの植生限界の影響も受ける。東北と近畿の都とでは植生が全く異なるし、琉球のような島では海を渡るための木が必要になったりもする。

建築の本だと思って手に取ったけれど、文化的、経済的な面にも触れつつ環境問題のことも考えられる良い本だった。林業についてももう少しちゃんと考える必要があるんだろうなと思う。

今後神社に行ったら、どんな木が使われているかじっくり見てみよう。まぁ、見ても区別つけられる自信は全くないのだけれど。


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