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「スコットランドの旅・Cain夫妻のこと」

エジンバラに、大好きになった老夫婦がいた。
老夫婦は民宿を営んでいた。
ぼくと妻が若かりし頃、エジンバラで宿を探していると、「うちに泊まる?」と誘ってくれたのが縁だった。

「どこなんですか?」ときくと、舞台女優のように腕をさーっとひらいて、「こちらよ」
窓のすみには小さな四角い白いプレートに「Bed&Breakfast」だけが白抜き。
いかにも安めなB&B。
でも、老婦人の笑顔が特級チャーミングで即決だった。

チェックインすると名刺を渡された。名刺には宿名はなく、「Mr. and Mrs.Cain」とだけ記されていた。

その旅の年は1992年。旅費は銀行からのフリーローン借り入れ。ギリギリの旅費で旅立ったぼくらの日々は、とうぜんカツカツだった。
昼ごはんをレストランで、どころかパブにさえ入ることができないお財布事情だった。

では、ランチをどうしていたか?

B&Bの朝ご飯、三角にカットされ程よく焼けた食パンはおかわり自由だ。そのパンにジャムを塗ってはサンドイッチをコソコソ作り、紙ナプキンでくるむ。それが僕らのお弁当だった。

だけど、公園や路上で食べるそれは最上のランチだった。

というわけで、そのB&Bでもコソコソお弁当作りに勤しんだ。


当然倍のスピードでパン立ての食パンは無くなる。するとCainさんがニコニコ奥から焼いたパンを持って現れる。それもすかさずに。

「ぼくらが弁当作ってるの、バレてるのかな?」
「追加のパン、持ってくるタイミング、絶妙すぎるよね。バレてるね。カメラでもついてるのかな?」

時代は1990年代だ。モニタリングカメラがついていたはずはないと思うけど、それでもCainさんのウインク混じりの表情は、ぼくらのランチ作戦を見抜いていたと思う。

エジンバラ滞在の終わりの日、ダイニングテーブルにやってきたCain夫妻に、コッソリ弁当作戦で引け目のあるぼくらはこんな言葉をかけた。
「ぼくらの旅はcheapで恥ずかしい」

夫妻の言葉はこうだった。

「キミたちの旅は、ほかの誰にも体験できないオンリーワンの体験だ。とてもexpensiveなことなんだよ。誇りにしていい」

その言葉と真面目な笑顔が忘れられない。

「また来ます!」

さよならエジンバラ、そしてCain夫妻。
嬉しいハグを交わして、リュックを背負った。


旅先での「また来ます」「また会おう」は、なかなか叶うことはないけれど、素敵な言葉だといつも思う。

だけど、この時のCain夫妻へ伝えた「また来ます」は、7年後に叶うことになる。

ぼくらには2人の子供ができ、叶えたかった「家族バックパッカー」を実現に移すことになった。
真っ先に家族で訪れたかったのがエジンバラ。そしてケイン夫妻の家だった。

もらった名刺のナンバーに、「エジンバラにまた行きます。泊まれますか?今度は子供が2人が追加で4人です」とファクスを入れた。
(今ならメールだけど、当時はメールがまだ無い)

数日後返信ファクスが。
「OK!子供用のベッドも用意しておくよ」

当時娘6歳、息子は3歳のバースデー迎える直前のエジンバラ再訪。

B&Bのベルを押す。
懐かしい大きな黒いドアが開く。

「チビちゃんたちも一緒にようこそ!よくまた来たね!」

五つ星の笑顔で両手広げたケイン夫妻が迎えてくれた。

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expensive

旅に終わりはない。
あの日以来、実は日々起きていることはexpensiveなことなんだと思うようになった。

日常は流されがちな日々だけど、Cainさんは、日常の中でも別の人となり目の前に現れているんだ、と思う。

旅は終わらない。どこまでも螺旋のように続いている。

その旅から11年後、3度目のエジンバラ訪問時、再び連絡を取ったが、すでに番号は使われておらず、ファクスは届かなかった。
それでも泊まった家まで行かずにはおれなかった。

B&Bのプレートはやはりなかった。

だけど、それでよかったのかもしれない。ぼくらの旅のアルバムでは、Cain夫妻は今でも当時のままだから。

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