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魂が求めているのは貞操観念からの解放

高校生の頃、立ち読みで読んだ『東電OL殺人事件』佐野眞一(新潮文庫)が、ずっと心に残っていて、娘が産まれた後、強烈に同事件が心にかかった時期がありました。

その後、自分なりに「被害者」女性巡礼の儀式をし、娘が3歳になる頃そこにまつわる記憶の浄化が完了したと思っていました。

この度、ご要望いただいた方の先祖のご縁を読み解くことをライフワークにしたいと思い、行動に起こそうとしている過程で、再び東電OL事件のことが心に浮き上がってきました。
そして今、女性たちが何故東電OL(以下、彼女)事件を自分のことだと思うのか、その構造が理解できたので、ここに書き留めておきます。

○彼女が徹底的に自分の性をつかうということを極めたことの動機は、母による呪縛から解放であり、母の呪縛とは、貞操観念だったということ。

○彼女の母は、さらにその母から貞操観念を植え付けられたはずであり、貞操観念の呪縛は、連鎖してきている。

○自分の性的なエネルギーは、自分が、自分のためにつかいたいというのは、生き物としての自然な指向であるが、明治期に家制度が整い、婚外子は戸主が認めない限り戸籍に入れなかった(未婚の娘が産んだ子の扱いに困る)という事情もあり、母は娘に貞操観念を植え付けるようになった(推測ですが)。

私自身が、立ち読みで読んだだけの東電OL事件のことが忘れられないほど心に残ったのは、高校生となり(生物的に性が熟してきた頃)、自分の性への興味の片隅には、被虐的な性への憧れめいたカケラも存在するのを感じる一方、母が「痴漢に気をつけなさいよ」と言ってきたり、「男の子とデートすることになった時は自分の身は自分で守りなさい。痛い目を見るのは女なのよ」の言葉を受け流すことへの引っ掛かりがあったからなのだと、今わかりました。

母から娘への貞操観念の植え付けは、あまねく広く子育ての途中で行われ、女性が自分の中に抱える(自分の性的エネルギーは、自分が、自分でコントロールしたい)衝動に対する枷となっていたから、東電OL事件は社会問題として大勢の方が心乱されたのだと思います。

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