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【小説】私は空き家(吹田市築53年)1

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「あ、なつかしい。こんな写真が出てきたわよ」
色褪いろあせた写真を手に、次女のミチエさんが長女のナツミさんに声を掛けた。
「不思議なところから出てくるものねぇ。これは…白浜かしら? 小学校の夏休みに家族旅行で行った」
ミチエさんの持つ写真をのぞき込みながら、ナツミさんもなつかしそうに表情を緩ませる。
「そうそう。海水浴、楽しかったわよね。きょうだいみんな大はしゃぎで」
ミチエさんが声をはずませるのに、ナツミさんも笑ってうなずく。
「それを見守るお父さんもお母さんも嬉しそうで。本当に…あの頃は良かったわねぇ」
そうつぶやくナツミさんの笑顔は、どこかさみし気だった。



家財、荷物の多さが、この家の50年以上の年月としつきを物語っている。
月に1~2度、ナツミさんとミチエさんが片付けに訪れてはいるが、まだ終わりは見えない。

私が空き家となったのは、今から3年程前のこと。
奥様に先立たれて以来、一人暮らしをされていたご主人様。
そのご主人様が認知症のため施設へ入所され、誰も住まなくなった。
その頃から、ご家族の様子がおかしくなり始めた。

元々、この家には家族5人で住んでいらっしゃった。
ご主人様、奥様、お子さんたちは上から長女のナツミさん、次女のミチエさん、長男のトオルさん。
この家に初めて来た時には小学校1年生だったナツミさんは、今年還暦を迎えられた。

ご主人様に認知症の症状が出始めた頃から、近くに住むナツミさんとミチエさんが交代でこの家に通い、ご主人様の介護をされていた。
トオルさんは遠方に住んでいるため、必然的に姉二人が介護をになっていた。
デイサービスや訪問介護サービスを利用しながら在宅介護をしばらく続けたのち、ご主人様は施設へ入所され、そこでお亡くなりになった。



2年前、重苦しい空気がただようこの家で、ごきょうだい3人と、トオルさんの奥さんであるトシミさんを交えた4人での話し合いが行われた。
ナツミさんのご主人は「嫁の実家の相続に口を出す権利はないし、下手に巻き込まれたくない」と言って、話し合いには参加しなかった。
ミチエさんは離婚しており、成人した一人娘がいるが「お母さんたちが納得のいくようにしたらいい」と、こちらもやはり参加しなかった。

「この家もどうにかしないといけないわね」
ご主人様が残した財産は何があるのか、それをどう分けるのか。預金通帳や株券、保険証券などの確認があらかた済んだあと、誰にともなくナツミさんが言った。
「この家はお義父とうさんの名義ですよね? まずは相続の手続きを済まさないと」
ナツミさんの言葉に誰よりも早く反応したのは、トオルさんの奥さんのトシミさんだった。

「トオルは昔、自分の家を買う時に『実家は姉さんたちの好きにしたらいい』って言っていたわよね?」
トシミさんを不満げに見やってから、ミチエさんがトオルさんに話し掛ける。
「だから、この家は姉さんと私の名義にしていいわよね?」
「いや、ちょっとそれは…」
話を振られたトオルさんは、しかめ面で口ごもった。
口下手なトオルさんは自分の意見を主張するのが苦手だ。それをよく分かっていながら、ミチエさんは更にたたみかける。
「だって、トオルはこの家を相続したって仕方ないでしょ。必要ない人が持っていたって、かえって困るだけよ。お金はちゃんと分けるんだからいいじゃない」
話しているうち、これまで溜まっていた鬱憤うっぷん噴出ふんしゅつさせるかのように、ミチエさんはますますヒートアップしていく。
「だいたい、トオルはお父さんの介護も、お母さんのお墓の管理も何もしてないんだから。今更、勝手なこと言わないで! いいとこ取りはズルいわよ!」
「ズルいのはどっちですか! お姉さんたちは近くに住んでいる分、お義父とうさんから色々と援助してもらっていたんでしょう!?」
ミチエさんの言葉に黙っていられないと、割って入ったトシミさんが声を荒げる。

おかしい。
お子さんたち3人のこんな様子は、見たことがない。

長女のナツミさんは、穏やかなしっかり者。
次女のミチエさんは、活発な家族のムードメーカー。
長男のトオルさんは、内気だけれど家族思いの優しい末っ子。
きょうだい3人仲が良く、喧嘩けんかをしても後を引かずに、すぐに何事もなかったかのように笑い合っていた。

そんなお子さんたちが、見たこともない剣幕でめている。
め事の原因は、私だ。

「いい加減にしてちょうだい!」
黙って聞いていたナツミさんが、大きな声で場を制止する。
普段穏やかなナツミさんの苛立いらだった声に、言い争っていたミチエさんとトシミさんも途端とたんに静かになる。

「トシミさん、これは私たちきょうだいの問題なの。あなたは少し黙っていて」
ナツミさんにそう言われれば、トシミさんも口を閉ざすしかない。けれど、その顔には不満がありありと浮かんでいた。

「トオル、あなたはこの家が欲しいの?」
ナツミさんに聞かれ、とても言いにくそうにトオルさんが口を開く。
「…姉さんたち2人の物になるのは、不公平だと思う。この家、立地がいいだろう」
私が建っているのは、駅からそれほど遠くない住宅街の一角。
落ち着いた環境で治安が良く、スーパーなど生活に必要な店も充実していて利便性が高い。住みやすさから、今も住宅地として人気のあるエリアだ。「この家と土地を売って、そのお金も3人で分ければいいんじゃないかな」
そう自分の希望を口にしたトオルさん対して、ナツミさんは深い深いため息をついた。
「…トオルの気持ちは分かったわ。でもね、私もミチエと同じで、あなたに対して思うところはあるのよ」
ナツミさんの声は静かだ。けれど、それが感情を抑え込んだものだということが、険しい表情から察せられる。
「ナツミ姉さん…」
滅多に怒ることのない長姉から強い怒りを向けられて、トオルさんは顔色を悪くする。

「この家のことは保留にしましょう。今日の話し合いも、これでおしまい」
これ以上話したところでみんな気分を悪くするだけよ、と言って、ナツミさんは早々に帰り支度を始める。

「待ってください! せっかくみんなで集まってるんですから、この機会に今後どうしていくか決めたほうがいいと思います」
なおも話し合いを続けようとするトシミさんを、ミチエさんがあきれたように制する。
「姉さんが言ったでしょ。今話し合ったところで、どうせ平行線よ。それに、私たちが話をする相手はトオルであって、あなたじゃないの。
ほら、早く支度してちょうだい。鍵締められないじゃない」
15年程前に玄関扉を交換した際、トオルさんには新しい鍵を渡さなかった。今、この家の鍵を持っているのは、ナツミさんとミチエさんだけだ。

「トシミ、今日はもう帰ろう」
疲れきった顔をしたトオルさんが、弱々しくトシミさんに声を掛ける。
「…分かりました」
全く納得していない様子で渋々うなずいたトシミさんを伴って、トオルさんは重い足取りで帰っていった。



「姉さん、ごめんなさい。話をこじれさせてしまって」
二人きりになった家の中、ミチエさんが申し訳なさそうにナツミさんに謝る。
「いいのよ。言いたいことをミチエが代わりに言ってくれて、スッキリしたわ」
苦笑したナツミさんの肩から力が抜ける。いつもの様子に戻ったナツミさんに、ミチエさんもホッと息をついた。

「先延ばしにしたものの。この家をどうするか、ちゃんと考えないとね」
そう言って部屋の中を見回したナツミさんが、ぽつりと言う。
「それにしても、荷物が多いわね」
「本当ね。こんなに荷物が溜まっちゃうくらい長い時間、お父さんやお母さんがこの家で過ごしてきたってことよね」
愛しそうにそう言って笑うミチエさんに、ナツミさんも笑顔になる。
「そうねぇ。この荷物たちは、お父さんとお母さんの歴史ね。じゃあ、まずは歴史発掘から始めましょうか」
「そんな大層たいそうな言い方して。単なる荷物の片付けでしょ」
そう言って笑い合い、姉妹は戸締りをし、少し軽くなった足取りで帰っていった。



あれから2年。
ナツミさんとミチエさんは片付けのため、この家に定期的に通ってくる。
なつかしい物を見付けては話に花が咲き、特に思い入れの深い物が出てきた時には片付けに全く手が付かない日もあり、整理はあまり進んでいない。
そんな姉2人とは対照的に、トオルさんはあの話し合いの日以降、一度もこの家を訪れていない。

片付けをしながら話すナツミさんとミチエさんの会話も、この家に住んでいた頃の、思い出の中のトオルさんに対しては愛情深い言葉が出てくるのに、最近のトオルさんに対しては愚痴ぐちや恨み言ばかりだ。

どうして、こんなことになってしまったのだろう。
私がずっと見守ってきた、きょうだい3人仲の良い姿は、もう見ることが出来ないのだろうか。
こうなってしまった原因が私だというなら、処分なり何なりして、争いの原因をなくして欲しい。
私はもう50年以上、家としての務めを果たしてきた。
ご主人様家族と、たくさんの幸せと楽しい思い出と共に過ごしてきた。
家として、これ以上幸せなことはない。
家としての最後は、また昔のように仲の良いお子さんたち3人に見送ってもらいたい。
それが私の最後の願いだ。


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『私は空き家』とは
「空き家」視点の小説を通じて、【株式会社フル・プラス】の空き家活用事業をご紹介いたします。
※『私は空き家』はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。


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