君たちはどう生きるか
宮崎駿監督の「君たちはどう生きるか」を鑑賞。
事前情報が全くなくSNSでも極力情報を入れないようにして観に行った。
多少のネタバレを含む為、
これからご覧になる方は鑑賞後に
戻って来て頂けると嬉しい。
賛否両論はあるものの
結論から言うと私にとっては
グランドフィナーレに相応しい
素晴らしい映画だった。
例えば「となりのトトロ」や「千と千尋の神隠し」
「風の谷のナウシカ」「もののけ姫」「天空の城ラピュタ」などは
CMを打ちやすく、キャッチコピーも掲げ易い作品だったように思う。
壮大感や不思議の世界をTHE宮崎駿ワールドで
空を飛び、疾走し、美しいアニメーションでCMを打てば
一気に胸をワクワクさせ、
「観たい」と思わせるところへ一気に心を攫われる感覚。
ところが今回の作品を観た時
冒頭から私はこれまでとは違う感覚に囚われた。
それは主人公 真人の目線で見た世界、
そして彼の内面を映し出す風景が描かれていたからだ。
そしてこの作品は恐らく観る人によって
感想が大きく異なり、駿監督も
前情報を入れない事で先入観を取り払って観てもらいたいという
願いがあったのではないだろうか。
だからこそCMを打たず
突然放たれた。
ゼロからイチにするクリエーターの世界は全てそうだと感じるけれど
最初は少ない人数の中で持て囃され
自分の好きなことを認めてもらえる嬉しさでいっぱいになり
アイディアは泉の様に湧いてくる。
しかしその才能を見初められ、どんどんと立場が大きくなると
大手のスポンサーがついたりして
「自分のやりたいこと」よりも
「売れて結果が出るもの」を作ることを求められる。
私たちが大好きなトトロやラピュタやもののけも
沢山の人たちの声や手が入り、
もしかすると駿監督の意図しない部分での
葛藤があったのかもしれない。
勿論、今回この映画を観るまではそんなことは
思ったことは一度もなかった。
ただ巷で
「訳わかんない映画」
と沢山の人が感想を述べているのを耳にしたのもあり
今回はご自身の年齢を思うと
遺作になるかもしれないという思いで
忖度を取り払って本当に自分の描きたいもの、
ずっと描きたかったテーマに
真正面から向き合ったのだと感じた。
真人さんを通して様々な心の葛藤や
これまでの人生を
駿監督自身が見つめ直していると感じる
これまでのジブリ作品の
「どこかで見た」
「何かに似ているもの」
が沢山登場していた。
しかしながらそれは
以前見た世界とはまるで違うものにもなっていた。
あまりにも美しい自然の表現や
アルプスの少女ハイジの頃と変わらない
あのチーズやパンの美味しそうな表現力。
アニメーションでありながら
そのとろみや艶やかさ
ふわりとした質感までが感じられる
駿監督の「命」を吹き込む作業の数々は
毎回惚れ惚れするものだった。
だけれど今回はその
「夢の様に美しい表現」
に加えて
「グロテスクで不気味な表現」
も大分多く描かれていた。
もののけ姫の時もグロテスクな表現があって
当時は珍しいと感じていたけれど
今回はその時より多くそれが描かれているように思う。
それは恐らくグロテスクな表現と
夢のように美しい表現があまりにも対比しているからだ。
その振り幅で頭の中をぐちゃぐちゃにされてしまう。
東京大空襲を彷彿させるところから始まるのは
駿監督自身が戦争で
世界が焼け野原になってしまったところから
人生がスタートしているからで子供の頃の自分から
今に至るまでの色々な思いを「叫び」に近い形で
表現されているように感じた。
駿監督は戦争前に見た美しい世界や
人としての素晴らしさや思想を
この現実世界に構築していきたくて
アニメーションの中に夢を抱き
これまでそれを描き続けてきたのではないだろうか。
「未来少年コナン」や
「天空の城ラピュタ」
「風の谷のナウシカ」
「千と千尋の神隠し」
など
これまで宮崎駿監督が描いてきた
全てのアニメーションの断片が
今回、不思議の塔の中には集約されていている。
その不思議の塔はハウルの動く城にも似ている。
ハウルの動く城の中ではルーレットを回すと
ひとつの扉が4つの世界に繋がっているものだったのに対し
不思議の塔の中には無限回廊のようになっている
幾つもの扉が連なっていた。
その扉ごとに別の世界が存在するのだが
その扉の奥の世界こそ
駿監督のデータベースにも思えた。
まだまだ監督の頭の中には
描きたいものが脳内に沢山あるものの
でも現実には加齢と共に
それの具現化が難しいと感じているからこそ
最後に自らの手で不思議の塔を破壊することで
自分に言い聞かせているようにも思えて
悲しく切なく胸が締め付けられる思いがした。
崩れ去る塔から一斉に羽ばたいていくインコ達が
扉から出た途端、糞を撒き散らして飛ぶ
ただの鳥になっていくその様を見た時
不思議の塔は自身の墓場の様に描いたように思えてならない。
「君たちはどう生きるか」
というタイトルは
駿監督がこれまで生きてきた人生を振り返った時
「自分はこう生きてきたしこうやって生きていくしかなかった」
と思いつつ
新しい世代へのメッセージを残されたのではないだろうか。
人生は選択の連続で
後悔の連続でもあるようにも思う。
あの時こうしてればよかったと思っても
その時にはそれを選ぶしかなかったことも沢山ある。
きっと死ぬその日まで正解はわからないだろうし
死んでからも正解に辿り着ける保証もない。
ただ授かった命を
その有り難みを
母の偉大さと自分がここに存在している奇跡を
大切にしなくてはならないと思える映画だった。
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