FULL CONFESSION(全告白) 11    元帝国ホテル配膳人映画監督

GEN TAKAHASHI
2024/7/20

基本的に映画作家・GEN TAKAHASHIの作文。

第11回 元帝国ホテル配膳人映画監督


 職業上、私は映画についてだけは、学術レベルで人に教えられるし、映画史についても、そのへんの専門学校の講師よりも詳しいと自負する映画有識者だ。
 しかし、普通に暮らす人間は、映画に対する興味の100倍くらい、食べもののほうに関心がある。

 これは当然のことで、食べることは、何百万年前の太古から人間のDNAに設定されてきた、生存のための「任務」に等しいからだ。
 これに比べたら、映画はこの129年(来年2025年が、リュミエール兄弟による1895年の映画初上映から130年)という「ごく最近」の文化なのだから、食文化に到底勝てるはずがない。

 普通の人の感覚では、映画はせいぜい100日に1本、映画館で観れば良いほうだが、食事は100日の間に毎日2食~3食だから、映画の100倍の関心が食べるものに寄せられているわけだ。
 こうしてみると、食に関心がない映画監督は、ロクな映画を撮れていないといえるし、実際、そうなのだ。

 私の経験上、カップラーメンとコンビニ弁当で食事を済ますことができる映画監督などロクなものではない。というか、国内外を問わず、そういう映画監督とは会ったことがない。

 裕福な映画監督は、高くて美味いものを食べていることも多いのだが、カネがないからとコンビニ弁当を食うくらいなら、自炊の「オリジナル美味いもの」を作るか、なにも食べないという潔い監督が撮る映画のほうがマシに決まっている(あえてコンビニ弁当が好きなのだ!という一派に特に文句はないけどな)。
 むしろ、低予算食生活は、オリジナルのレシピを生み出す能力を鍛えるといって良い。映画も同じく、予算がない現場のほうが革新的な演出を生み出す(その具体例は、次回『低予算映画演出』に詳述する)。

 私は言うまでもなく「豪華ではない食生活を送る派」なのだが、いわゆる一流の味というものも、一通り食べている。これは、映画を作る人間にとっては、もの凄く大事なことだ。

 たとえば、和食、洋食、中華食にかかわらず「仕込み」を知らなければ、その味がどうして出来るのかはわからない。
 単に大金払って「おお!いつも美味いのう!」といっているだけの成金食通なら、食材の調達や仕込みを知らなくても結構なのだが、作る側になる者がなにも知らずに、人に食わせるものを作れるわけがない。映画作りも、これとまったく同じである。
 
 料理人と映画監督は、細部にも仕込みを徹底するという点で同質の神経が要る仕事だから、映画監督には食通が多い(逆に料理人が映画通だとはあまり聞かないが)。
 人気のレストランやラーメン屋は開店前から人が並ぶが、映画も評判が高いと上映前から劇場に行列が出来る。私の監督作で公開前に映画館で行列が出来たのは、的場浩司主演のヤクザ映画『突破者太陽傳』と『ポチの告白』ニューヨーク上映と、人気声優5名が実写俳優として主演した『D5/5人の探偵』の3本だけである。
 ところが、人気がある食べもの屋さんは、開店前の行列が、ほぼ毎日なのだから、いかに映画よりも食べもののほうが大事で、求められているかがわかる。いまやネットのおかげで、食べもの目当てのインバウンドも常識となっているのだ。日本映画は、アニメ以外、そうなってはいない。

 さて、私は18歳頃、アルバイトとして、かの「帝国ホテル」で配膳人を2年ほどやっていた。あの村上信夫シェフにも口をきいてもらった思い出がある。

 いまでは普通のお客さまもご存じだろうけど、昔は、一流ホテルならば、料理の配膳をしているのもホテルの料理専門の社員だと思っている方が少なくなかった。同じように蝶ネクタイをしていても、ホテルのボーイと、配膳人は違う会社の人間だ。

 いまもあるメニューかわからないが、私がバイトしていた当時の帝国ホテルでの結婚披露宴のコース料理では、必ず「タピオカ入りコンソメスープ」が供されていた。
 ところが、1984年当時はタピオカ自体が珍しくて、これを知っているお客さまはほとんどいなかった。当然、お客さまは配膳人に「ボーイさん、スープに入ってる透明な丸いのは何?」と質問なさる。
 あるとき、私の隣のテーブルを担当していた配膳人もタピオカを知らず、答えに窮した。
 私が横から「こちらはタピオカと申しまして、おイモの澱粉を加工したものの一種でございます」(当時の知識)と説明しようとした、瞬間、そいつは笑顔でお客さまにこういったのだ。

「こちら、カエルの卵でございます」

 私は内心で戦慄した。説明を聞いたお客さまは口ぐちに「へー!カエルの卵なんだ!なるほど、言われてみたら確かにそうだ」と、珍味を食べられたことを喜んでいる。

 いまさら私が訂正しては火に油を注ぐことにもなりかねない。帝国ホテルでは配膳人に料理の教育もしていないのか!ということになるからだ。
 昔はSNSなどなかったから、この事実で帝国ホテルが炎上することもなかったのである。

 私は単なるアルバイトと違って、外国人客に対応できるようにと、この時代から英語も独学し、フォークとスプーンを箸のように片手で操るサーバー持ちを1日で習得し、皿は両手で同時に6枚まで持てたし、お客さまの最初のドリンクオーダーも1卓12人分を、どなたがなにをご注文されたかまで一瞬で記憶して、お持ちする際には「えーと、水割りの氷少なめのお客様は・・・」などと再度確かめなくても注文したお客さまに運べたくらいで、タピオカどころか宴会で目にする料理で、知らない食べものがあったら先輩に聞いて勉強していた(村上シェフには、ステーキに添えるクレソンを教えてもらった)。

 それは帝国ホテルの社員にも、ただの配膳人とナメられたくなかったという思いからでもあり、お客さまに正しい応接をしたいと考えていたからの秘かな「仕込み」だった。
 いまでも私がホテルやレストランの配膳人を厳しく見るのは、当時も今も日本を代表する一流ホテル「帝国ホテル」で、数百回を超える宴会の配膳を経験しているからこそだ。
 日本の映画監督で、帝国ホテルでの配膳経験を私以上にした者は、私のほかに、ただのひとりとしていないだろう。

 しかし、前述の「タピオカはカエルの卵」事件のようなことは、私が入った帝国ホテルの現場でたくさんあった。

 たとえば、これも当時は珍しかった「フィンガーボール」事件。
 最後のデザートに出るメロンと一緒にテーブルに配膳される、果物でべたつく指を洗うための少量の水が入った金の器をフィンガーボールという。
 そうとは知らないお客さまから「これはなに?」と聞かれた配膳人で「こちら、メロンにかけてお召し上がりください」といったやつもいた。

 ワインの銘柄は、宴会のグレード(お値段)によって定番のものがあって私がよく覚えているのはドイツ産の「リープフラウミルヒ(聖母の乳)」という白ワインで、これはコースについているおかわり自由の白である(いまネットで検索したら安価だとわかる)。

 披露宴の司会が「いま、みなさまのお手元のカットグラスにご提供させて頂いておりますのは、世界中で大変愛されておりますドイツ産の白ワイン・リープフラウミルヒと申しまして「聖母、マドンナのお乳」という意味の銘柄でございます」と解説する。
 でも、耳で「リープフラウミルヒ」と一回聞いただけでは、お客さまは忘れてしまう。それで配膳人に「なんていったっけ、この白ワイン」とお聞きになるわけだ。
 このときの配膳人は、上京して間もない大阪人だった。パニクったそいつは「聖母・・・マドンナの乳(ここが大阪弁アクセント)ですわ」と答えた。   
 司会者が、わざわざ上品に「お乳」と紹介したのに、大阪・十三(じゅうそう)のピンサロ街の客引きみたいに「チチ」と言ったものだから、さすがにこれはギャグだろうと同席のお客さまから笑いをとっていたが、配膳人は至って真面目に答えたのである。

 また、宴会場にお客さまが入られる前から、テーブルのクロスにずらりと並ぶ銀器(いまでは「カトラリー」というが、少なくとも当時の帝国ホテルでは「シルバー」と呼ばれていた)の使い方(使う順番)を聞かれて「こちらは落とされた時の予備でございます」などと、でたらめな説明をして、最後になっても銀器が揃ったままだとか、逆に「お手元の内側からお使い下さい」といって、最後のメインディッシュのステーキナイフがなくなって、相棒に取りに行かせるという迷惑をかけるやつもいた(ホテルの宴会では通常2名1組で1卓を担当する)。

 もし、このコラムを帝国ホテルの広報が読んで「40年前とはいえ、そんな事実はないから訴えるぞ」と言われても、私が直接経験し、目撃していた事実だから名誉毀損で訴えられても「事実です」としか言いようがない。
 もっと凄い炎上話は本稿では割愛しているのだから、天下の帝国ホテルとして、無名の映画監督のこんな記事は放置しておいて問題なかろう。

 現在の帝国ホテルでは、ここで述懐したような配膳珍事はないものと信じているが、そもそも当時はバブル期が始まるあたりの好景気だから、どのホテルも宴会配膳人の需要に対して慢性的な供給不足だったはずだ。配膳事務所が、なんでもいいから人を送り込んで儲けていた時代だ。
 私が初めて帝国ホテルの宴会場に派遣されたのも、なんと、配膳会社に面接に行った翌日か当日だった。
 配膳会社の事務所で、基本的な皿の上げ下げ、立ち振る舞いをざっくりと1時間足らずで習ったら「あとは現場で」という経営だった。

 それでも私が2年も配膳人をやっていた理由は、最低時給が500円なかった時代に1200円という高額で、その支払日が10日に1度だったからだ。もちろん、これは帝国ホテルの就労条件ではなく、人を入れている配膳事務所による給料支払条件だ。でもハッキリ言って、この条件で、食い詰めた訳ありの連中が、配膳人として帝国ホテルの料理をお客さまに運んでいたのである。

 私はすでに自主映画を作り始めていたが、土日の宴会ラッシュは当然のフルタイムシフト(朝食会から夜の披露宴まで、1日約15~16時間)。学生じゃないから平日も働けるので、家賃1万8千円のボロ下宿に住んでいても月収は30万円近くあった。
 引く手あまただったからシフトも自由で、そうやって自主映画の撮影をやり、帝国ホテルの宴会で製作費を賄っていたのである。

 強引に結論すれば、私の映画監督人生は、帝国ホテルから始まったのである(たぶん、当時の同僚がいまでもこのホテルで働いているだろう)。

 そのようなわけで、とりあえず食いしん坊ではない映画監督はロクなものじゃないから、俳優やスタッフは「メシなんてロケ弁でいいだろ!」などという、食の美学がない監督とは仕事をしないように注意して欲しい。

 ついでに述べておくと、私の好きなホテルは、思い出の「帝国ホテル」のほかに、新宿「パークハイアット東京」、同じくハイアット・グループの新宿で「なだ万」経営の鉄板焼きレストラン「Teppanyaki Grill」が美味い「新宿ハイアット・リージェンシー」(このホテルは、部屋に注文できるフレンチフライとフライドチキンも最高です)、物書きには人気の早稲田「リーガロイヤルホテル東京」などです。

 いまの私は、新宿まで10分の自宅をホテルに改造した「GEN TAKAHASHI HOTEL」201号室に毎日宿泊している。3DKの広さで1泊1700円です。

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