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塾講師全経験から思うこととこれからの僕③

さて、これまで15年間、個別指導がメインということもあり、さまざまな子どもたちと出会ってきました。思うことを本当に徒然と書いているので読みにくいかも。
でも、本当に読んでほしい。

科目学習やテストで得点するというところだけで絞ると、もちろん良し悪しが生まれます。

その良し悪しがその人間の価値そのものではないのは当たり前のことなんですが、

ほとんどの人たち(子どもも大人も)は、ここで他者や自分を評価しがち。

少し考えれば、誰かはその集団で得点が一番になるし、ビリにもなるのは当たり前なんです。

その状態から何を感じるのか。

他者と比較して、「劣っている」と感じて
自尊心を貶めるのか。

他者と比較して、「優っている」と感じて
自尊心を水増しするのか。

他人と比べることは悪いことでもなんでもないのですが、そもそもこの考え方は自尊心じゃないと
僕は思います。

「自分を尊いと感じる心」は、他人がどうあれ
「自分のことを大切にできる力」なのだと思います。

もし、点数が悪くて、誰かに「バカだ」と言われた時、

受け取るかどうかって選べるんです。

例えば、チョコレートを差し出された時

もらうか、もらわないか選べるように

相手の「バカだ」という言葉を受け取るかどうか
ましてその言葉をどう扱うかなんて
本当は自分で選べるはず。

そもそも「バカ」ってなんだ?
愚かしいことだとして、私は愚かしかったのか?
本当は点数を取りたかったのに、テスト前にゲームしちゃったよなぁ、あれは愚かしかった。
そう思うなら、本当に残念だけど、そう思うよ。

と残念さを味わうこともできる。

必死に取り組んで、だけどこういうところでミスしちゃった、というのなら
必死に取り組んだし、ミスに気付けてるから、愚かしくはないよね、練習不足だったとは言える。

みたいに、次への展望を見つけることさえできる。

テストそのものに価値を感じていない場合、
価値のないものに時間を割くことは僕はしたくないから、もっと心を燃やせるものが僕にはあるんだ

と、胸を張ることもできる。
もちろん、今の社会において、それがどういうデメリットもありうるかと考えるのは大事。

私はバカなんだ、だからできないんだって
やるのも自由。
これやってると、誰かが助けてくれる旨みがあるし
諦めることで別の道につながることだってある。

子どもの頃の一回の得点には、長い人生で見たときに、大きな伏線のように緻密に繋がっている出来事の可能性もあるし
取るに足らないただの通過点であることもある。

ただ、僕の考えは、勉強で悩むということは
あなたの人生において、何かしら勉強というものに価値なり伏線なりを置いているのは確実ということ。

得点が低いことに何も感じずに没頭できるものがある子は
そのまま突き進んで尖りに尖るという生存戦略がある。

ただ、この「何も感じずに」を見誤らないで。
麻痺している可能性があるから。

麻痺しているのは、大切なパーツのはずなのに、感じると辛いからあえて感じないようにしているということ。

何にもやりがいを見出せないとき
それは、まだそういうものに出会っていないのかもしれないし
繊細さ敏感さから感じないようにしているのかもしれない。

それは、半分はあなたのせいではない。
周りを取り巻く環境、つまりこれまでの大人たちが
あなたにそう感じさせているということだから。

もう半分は、あなたのせいというか、あなたに委ねられていると思う。
大人の言うことに従順に生きていくのか
大人の言うことに疑問を持っていくのか

本当は人間は本来、無力な幼児の頃までは、大人に従順である方が生きやすいから、そう生きる期間と
自立のために自分の経験してきたことと、何をしたいのかという思いから、大人を疑う時期がある。
反抗期とか思春期ってやつ。

今は大人も含めて、自立できている人が減ってきているから、この反抗期を上手く迎えられない人たちもたくさんいる。

可愛いからって過保護に育てられた子は、失敗や痛みを知らないから、人の痛みも分かち合えない。
その育てた人にとって、失敗や痛みって耐えられなかったんだろうね。だから、そこからやらないといけない。

大人が変わること、本当の気持ちに気づくこと。
子どもたちは、そんな大人を見て、感じることを大切にする人になる。

そんなふうになると、すごく素敵な社会になりそうだなって思う。



ミスチルも平井堅もAdoも
みんな病んでると叫んだり
誰も皆声にならぬ叫び抱えてると訴えたり
あなたが思うより健康ですと啖呵切っちゃうくらい

みんな何かしらあるよね、と思うのは本当。


初めに戻るけど
成績良かろうと自信のない子
慢心で失敗する子
人を見下す子
とにかく大人に従う子
自分を見つめて目標や行動を決められる子

いるよ。

成績が悪いと、課題も見えやすくて実はやることやりやすいというのもあるよ。
ただ、それをやるという気持ちを持てるか。

だれにだって、抱えきれない自分がいて
それに苦しんでる。

いつでもこうあれたらと思う大好きな自分もいる。

抱えきれないから置いてけぼりにして、こうあれたらと思う自分だけが「良い」って思っちゃって大人になった大人、いっぱいいる。

でも、アラフォーにもなって、置いてけぼりにしてきた自分はずーーっと泣いてて、怒ってて、でもあなたを待ってる。
そんな自分にやっと気づいたよ、ていうのが本当に僕の最近です。

そのときそのときで、何を感じるのか、向き合ってみる。できそうなときはね。
でもね、できそうかどうかって、慣れもあるから
できるだけやってみて。
そしたら、結構向き合うのが億劫じゃなくなるから。

大人も子どもも、よくできるように見える子もそうでない子も
勉強のある国に生まれて、それで一喜一憂したり麻痺したりしてるなら
カギはきっとそこにあるし、
そこから何かを学ぶようになってるよ。


勉強はあくまできっかけ。

そんな徒然でした。


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