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早起きの呪い - 2024/03/23



最近、早起きができるようになってきた。

目覚ましがなくても、6時30分頃にはぱっちりと目が覚める。

ちょっと前までは、東京の通勤ラッシュ時の電車の時刻表と張り合えるレベルで過密にアラームを刻んで鳴らしまくって
なんとかかんとか起き上がっていたのに、今では勝手に目が覚める。

なんだか自分が健康になった気分だった。

今までは朝の睡眠時間を1分でも伸ばしたくて、朝ごはんを食べるという行為をスキップして会社に行っていたが、
これからは朝ごはんを食べることもできるだろう。

朝の空いた時間で勉強なんかしちゃってもいいかもしれない、と到底長続きしないであろう前向きな考えすら頭によぎる。

私は自分というOSがアップデートされたような感覚になって、なんとなく嬉しい気分でいた。


目覚ましがなくても起きられるようになったことを、なんとなく世間話のつもりで10歳以上年上の会社の同僚に伝えた。

すると、同僚は「あ、それ、老化だよ」と事も無げに言った。



???????????

え?

なんて?

「自分も通った道だ」と言わんばかりに人生の先輩ヅラをして同僚は衝撃の言葉を続けた。

「歳取ると寝る体力もなくなるから、早く起きるようになるんだよね〜。僕も30くらいでそうなったよ〜」

同僚はさらに追い打ちをかけるように私を攻撃する。

「そのうち、夜中3時とか変な時間にトイレで起きるようになるよ!」

……。
これを聞いて、毎日3時に起きて家の掃除をしていた大好きな祖父の姿が思い起こされた。心当たりがありすぎる。



この話、正直めちゃくちゃ聞きたくなかった!!!

自分がアップデートされた気分でいたのに、ただの老化だったなんて滑稽もいいところだ。

私が新しく手に入れた「朝、なんの苦労もなく起きられる」というスキルも、老化という呪いのレッテルを貼られてしまえばもうそれまでだ。
一瞬で色褪せて、むしろ捨ててしまいたいスキルになってしまった。

「エビの尻尾はゴキ○リの羽と同じ成分」という雑学を知った時と同じ気持ちだ。いらんこと聞いたわ。


寝坊がまさか若者の特権だったとは。
寝坊を理由に遅刻している新卒社員をみて羨ましく歯ぎしりする日が来るとは思っていなかった。

生物としての私が、緩やかに朽ちていっていることを初めて意識した出来事かもしれない。

私も今年で30歳になる。人間の耐用年数的に、確かにそろそろ朽ち始めてもおかしくない年齢だと思う。

人生というゲームを30年も強制的にプレイさせられ、肉体はピークを過ぎて衰え始めているというのに、
相変わらず生き方が下手くそのままであることにうんざりする。みんなそんなもんだろうか?

そもそも「人生を強制的にさせられている」という後ろ向きな意識が私の人生をダメにしているのかもしれないが、
私は自分の人生に対して前向きな気持ちにはなれそうもない。

私が自分の人生について考える時はいつも、顔に受話器をくくりつけられた哀れなテレアポ営業マンになったような気持ちがどうも拭えない。とにかく考えたくない。

本格的に朽ち始める前に人生の攻略法を見つけたい。穏やかに一人で凪のように生きて静かに死ぬ生涯の過ごし方を誰か教えてほしい。誰か。助けて。


上で遅刻の話が出たが、
私は社会人になってから一度だけ遅刻をしたことがある。


それは社会人1年目のときだった。私が店舗販売員の仕事をしていたときのことだ。
私はその時、とにかく仕事が嫌で仕方がなかった時期だった。

全く仕事ができなかった私は、鬼のような上司に毎日詰められて精神的に参っていた。

「仕事ナメてるん?」

「こんなんもできへんのやったらお前なにができるんや?頭悪すぎるやろ、カスやなお前」

と連日言われるほどの仕事のできなさで、毎日が鉛色の気分だった。

そんな日々を送っている中、事件は起きた。
とある朝、目を覚ますとなんと9時。出勤の時間だった。
スマホの充電が0%で事切れており、アラームが鳴らなかったのだ。痛恨のミス。

脊髄反射でガバッと起き上がり、状況を把握した私は、
自分が鬼上司に激しく罵られる想像を一瞬した後、また枕に頭を落として目を閉じて、一旦寝る姿勢に入った。

もういいや、どうせ仕事辞めたかったし、このまま消息を絶ってバックレちゃえばよくない?とわりと本気で思った。

それほどまでにあの鬼上司に怒られることが嫌だった。

しかし、そのまま目を閉じてもどうも眠れそうにない。どうしても職場のことが気になってしまう。

そのことで頭がいっぱいになって、自分自身がまったく心穏やかになれそうもなかったので、二度寝を試みてから3分ほどで諦め、ゆっくり起き上がった。
怒られる覚悟をして職場に電話をかけ、寝坊した旨を伝えて出勤する準備をした。


出勤した後、意外なことに鬼上司は私を怒らなかった。
その代わりに、別の上司が私にやんわりと注意をしてくれた。そして、その上司が注意の最後にこう付け加えた。

「◯◯さん(鬼上司)が、『俺、あいつ(私)に毎日怒りすぎててもうこれ以上言われへんから、寝坊の件はお前から注意してくれ』って言われたよ」

それを聞いた瞬間、本当に申し訳ない気持ちでいっぱいになったことを覚えている。

自分が鬼上司を怒らせてしまっている上に、なんなら気も使わせてしまっている。鬼上司を鬼上司たらしめているのは私自身だった。
自分の無能さに情けなくなり、ますます鬼上司に対する気まずい気持ちが増幅した。

ちなみにその翌日、出勤途中にスマホを紛失したことに気づいたものの、
2日連続で遅刻をするわけにはいかないので探すこともできないまま泣く泣く職場に向かったという後日談もある。

この頃の私は本当に踏んだり蹴ったりだった。




私は、この店舗販売員の仕事をなんだかんだで5年ほど続けた。
鬼上司は途中で異動して別の店舗勤務になったものの、
その後も相変わらず販売員としての私はとんでもない無能で、自己効力感がゴリゴリ削られる毎日だった。

そんな中でも仕事を続けた理由は「転職活動をする体力がない」というかなり消極的な理由だった。

店舗販売員の出勤日の拘束時間は12時間以上にもなるのでかなり長い。さらに休みも月6日ほどと少なく、立ちっぱなしの仕事なので、休日は体力回復のために泥のように眠ることしかできなかった。

そのため、なかなか次の職場を見つける体力が湧かず、辞めることができずにますます疲弊するというスパイラルにハマっていた。

自分が職場の粗大ゴミになっていることは頭では理解しつつも、そこから脱することが難しい環境だった。

私が寝坊事件を起こしてから3年くらいたった頃、
鬼上司が私のいる店舗にヘルプで来てくれた時に、一度だけ私を褒めてくれた。

「新卒の時はあんなに仕事できんかったのに、今では店舗のメンバーに堂々と指示までするようになって、成長したなあ」

これを聞いてとても嬉しかったことを覚えている。
「そうですか〜?そんなことないですよ〜」と口では冷静に返したものの、頭の中ではハッピーダンシングカーニバルが開催されていた。

今でも辛いことがあったらたまに思い出してしまう。言った方は忘れていそうな些細なことだけど、私の心の支えだ。


店舗販売員の仕事から今の仕事に転職をして2年経つ。

前職の業務連絡ツールがまさかの個人LINEだったので、私のLINEの友だち欄はほぼ前職の人だ。
今では全く連絡も取り合わないので、LINEを開くこともなくなった。
LINEをする親しい友達など私にはいないのだ。

友だち欄をたまに暇つぶしに眺めると、前職の人のアカウントのプロフィールが更新されていることがある。

プロフィールのカバー画像が更新されるたびに、一段と成長する子どもの写真をぼんやり眺める。
子どもの成長は早いなとしみじみ思う。子どもが1人だったのが2人に増えていたりもする。

もはやほぼ他人となった人間たちの家族写真を見ていると、私だけ取り残されている感が拭えない。

しかし、私の人生は達成感、満足感、愛情がないかわりに、
人間関係の悩み、ストレス、憎しみといった類の苦痛も全くない。
そんな自分のからっぽ人生もまあまあ気に入っているので、一旦よしとする。

もっと素直にいうならば、
明らかに同世代の他人より劣っている自分の人生の中から、小さなメリットを一つ一つ見出して、低次元な幸せをしっかり噛み締めて満足していないと自分の心が壊れてしまいそうな気がするから、一旦よしとする。

ケーキがなければパンを食べればいいじゃない。それが私の人生だ。

それではさようなら。


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