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プロレタリアの地獄、ふたたび

わたしは40歳なんですが、1年半くらい療養している。年齢から察するように、氷河期体験者です。感情記憶を整理するうちに、自分に何が起こったのかわかってきた。

時代に流されたんです。

多くの氷河期はバブル世代やら団塊世代やらを憎む発言をしますが、彼らもまた、時代の轍に過ぎないのであまり意味はないかな。

遅ればせながら、社会福祉士です、どうも。家族史を紐解いてみると、団塊の世代というのはひどい時代を、灰燼と化した街の残像を覚えています。だから社会に飲み込まれても、自分の生活を少しでも豊かにするために、目の前のことに集中するのに精一杯だった。

団塊ジュニアである氷河期は、豊かな子供時代を過ごし、専業主婦の母とともに支え支えられ、愛情をかけて育てられ…ました?わたしの母は双極症でした。核家族化が進み、地方から都会に出て子育てをし、夫は家に帰らず、地方の親に頼ることもできずに追い込まれたのです。愛情深い親でしたが、躁と鬱を繰り返し、ネグレクトの時期は必ず数ヶ月、わたしが慣れるまで挟みました。あの愛情はなんだったの…?愛さないでほしかった。そう思った頃に、また愛情の押し付けが始まります。

わたしの祖母は激しい人でした。田舎の親は昔からの慣習や因習を重んじる、迷信も信じてしまう純朴さと従順さを育てられ、虐待を連鎖してきています。それをひきづったまま、団塊たちは親になったのです。

愛情を押し付けられたり無視された人は、回避型愛着を形成し、情緒と距離を取ります。それがおそらく、企業の風潮とマッチしたような気がします。いいように使われる男たち。金があれば、それも各家庭に還元されました…。

豊かに育てられたわたしたち氷河期は、パソコンという箱に突然雇用を遮られました。なんとか派遣やアルバイトで潜り込んだ会社内では、パソコンという箱に全業務が効率化できるということはわかるものの、取り扱いがわからず、求められる迅速な移行作業に汲々として、なにもわからぬ素人の足手まとい扱いはひどく、やれることだけやっておけと最底辺の仕事を安く長時間穴埋めのように押し付けられました。誠意を信じて真面目に働いたけれど、改善は見込めず、あちこち数社を転々としました。

やがてパソコンという箱を扱える学校教育に着手し、世代が入社する頃に、市場のデジタル化は収束しました。かわらず社内底辺の仕事を任される非正規のわれわれは、デジタルネイティブの新卒社員にこき使われる事態となったのです。

すっかりふるいにかけられたわれわれは、同世代間にも格差が生じ始め、ギスギスした奪い合いに移行しました。わずか一つの席に100人群がる異常事態。蹴落とせる一人が採用される世界。それも成果ではなく、コネの生きる世界でした。

落ちこぼれた人々は、自分の権利や希望に誠実な、真面目な人たちでした。裏の意図など伝わらないマスコミの扇動によって自由な働き方などと煽られ、スマホもないまま右往左往して使い捨てられ、夢も希望も丸ごと挫折して精神疾患へ。

周りを見てください、いまやどこもかしこも能率主義です。第二次産業革命といってもいい。

プロレタリア文学をわたしはあまり好みませんが、それでも産業革命の時期、ロシアでもアメリカでもイギリスでもフランスでも、家に入り浸って酒を喰らい、妻を張り倒して子供に働いてこい、でないと家計が傾くだろと暴行して仕事に行かせる家庭が多く描かれます。そういうことが企業のなかで氷河期を襲ったのです。企業内弱者でした…。プロレタリア文学の父親は精神疾患でしょう。そして、働けなくなった人々は多く自殺しました…。日本で自殺したのは不景気と重なる情報化、能率化の波に追いやられた人々。わたしのまわりにも多くの自殺者、他殺者が出ました。

で、プロレタリア、黒死病、情報化の渦中で政府は成すすべなく、人がバタバタと亡くなっていきました。政府組織は、こういうとき機能しない体制なんじゃないかという気がしますね。

氷河期は死んでいくしかないんでしょうか。よくわかりませんが。

屍のうえに今があることは違いありません。克服はしてきました。しかし、対処には時間がかかります。日本の社会保障はどうなっていくんでしょうか…。

企業というヒエラルキー体制は、女性も参画しなければ経済的に家庭が立ち行かない中、本当に労働に適しているのか?疑問です。


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