器用になれなくて
同僚のあまりに稚拙な言動や思考の浅い言葉に失望する度、
外の世界も見てみるけれど、どうやら外に移ってみたとしても、
同じ気持ちなりそうだなあという気持ちになる。
どうやらもっと外の世界の、国のトップにも失望せざるをえない今、
こんな世の中で心が正常である方が異常だと感じてしまう。
心も体も疲れてくると眠れなくなる。
そういう時こそ、たくさん寝るのが一番なはずなのに、
その逆の現象が起きてしまう。なんて非合理的な体なんだろう。
* * *
僕は割と器用になんでもできるタイプだ。
高校生くらいの時からは、勉強も運動も美術もコミュニケーションもそれなりにできた。
だけど、個々の分野の世界ではレベルが低くて、
人に熱意を持って話せるほど熱中する趣味もない。
だから、もっと勉強して、せめて何でもできてどの道にも進めるようにしとこうって思ってた。
でも、偏差値の高めの大学に入ってそれなりの会社で働く。
そんな少し高めの社会のレールの上が楽だっただけなんだと思う。
勉強も社交活動も、これはこなしておいた方が良いだろうって自分で思った時に、自分で設定するタスクでしかない。
多分タスクをこなすためのコストは人より多くかけているから、特に、勉強や仕事はみんなよりは少し良いアウトプットを出せる。
僕にとってはタスクをちゃんと想定通りにこなせることが重要で、
みんなが僕を褒めてくれるのはそれはそれでとても有難くはあるんだけど、
褒められるたびに虚しくなる。
みんな本当はすごいだなんて思ってないんだろう?
という反骨精神というよりも、ただ手応えがないのと、
自分はなんて無駄な時間を費やしているんだろうという気持ちになるんだ。
* * *
この歳になっても、まだ、自分が何を好きか分からない。
どんなものを好きかも、どんなことをするのが好きかも、どんな人を好きかも分からない。
年々と、自分のことが少しずつ分かってくる実感はあるのに、
自分が好きなことが分からない。
自分はこういうことにストレスを感じるんだなとか、
こういうことは苦手だなとか、これは嫌いじゃないなとか、
感情の負の側面には敏感なんだけどな。
僕は何が好きなんだろう。
このまま好きなことが分からないまま死んでいくのかな。
もしそうだとしたら、せめて好きな人と時間を過ごせた方が良さそうだ。
* * *
だけど、そういえば誰かのことを本当に好きになったことなんてないな。
そもそも、友達だと言えるヤツもいない。僕のことを友達リストの中に入れてくれているヤツもきっといないと思う。
僕は外ではいつもニコニコしてしまう。
人間関係を円滑にするコツは、
出来るだけ人とは関わらないこと、
関わる場合には、相手が欲しい言葉をあげること。
自分の話はいらない。相手の話を面白くすれば良い。
そうすれば、そのコミュニティのなかで異物として扱われ、排除されることはない。
というか、それ以外のコミュニケーション方法が分からない。
どこで間違ったんだろう。
多分、僕はいつもニコニコしているけど、多分少なくとも、僕の笑い方は、これ以上僕の中に入ってくるなよってオーラを出しているんだと思う。
コミュニケーションって難しいな。
* * *
ただ僕はこのまま死んでいくことが不安なんだ。
物事の見方も少ない側面からしか見られていないし、
自分が感じたことを、言葉や表現でアウトプットする力も弱い。
僕は何が好きなんだろう。
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