#5 動機と表現、そのはじまりは自分を見つめて自覚すること
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迷いは、視界をくもらせる。
自分が何を見ていたのか、どんな風に見ていたのかがわからなくなる。
途方もない、心もとない気持ちにとらわれるかもしれない。
それでも、目をそらしてはいけないものがある。
ありたい姿ややりたいことは、今ではない未来のなかに描き出される。
さながら、少し離れた対岸を見つめるように。
そこへ行きたいと願うのが動機、向かうための行動が表現。
親しくも真逆のプロセスを持つふたりの対談に、動機と表現を結びつけるヒントを探る。
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自己紹介:yamamoto hayata 山本 隼汰
共創サークル『不協和音』と、このメディア『対岸』のオーナー。
自己紹介: 白井 恵里(えりりん)
株式会社メンバーズ(東証一部)執行役員兼メンバーズデータアドベンチャーカンパニー社長
東京大学を卒業後、新卒で株式会社メンバーズ入社。webディレクション、UXデザイン、デジタル広告企画・運用業務などに従事した後、2018年11月に社内公募にてメンバーズの子会社社長として株式会社メンバーズデータアドベンチャーを立ち上げ。親会社のカンパニー制移行により現職。2020年10月から株式会社メンバーズ執行役員兼務。
(連絡先:Twitter)@EriShirai
経営者:白井 恵里さん
「なぜ、受け入れられないんだろう?」自分と世界との隔たりが不思議だった幼少期
山本さん:えりりんさんって、どんな子どもでした?
白井さん:うーん…周囲の評価はもっぱら「協調性がない子」でしたね。コミュニケーションがあまり上手なタイプではなかったと思います。
たとえば、私は言葉を言葉通りに受け取る性格なんですよね。誰かに叱られている時に「もう一回言ってみろ!」って言われたら、もう一回まったく同じことを言っちゃうし、「何でこんなこともできないんだ」って言われたら、できない理由を順番に述べるような子。でも、実際に求められてるのってそういういことじゃないんですよね。言外の意図を汲めていないわけです。それを、協調性欠如と言うべきかどうかは別として、子どもの頃から「なぜ私の考え方や行動は受け入れられないんだろう?」と考える機会は多かったです。
山本さん:すごい世界観だな。つらくなかったですか?
白井さん:まぁ、つらいですよね。自分の行動と予想する周囲からのフィードバックが全然違うから。
それに、幼少期からずっと「この子は社会に出ても絶対にやっていけない」って言われていて。自分の発想や行動は周囲とうまくフィットしないし、周囲からも無理だって言われる。「そうか…私はうまくやっていけないのか…じゃあ、どうしよう?」と思案しながら育ったんです。それで、学歴が高ければちょっと大目に見てもらえるかもと思い、受験勉強をがんばって東大に入るんです。
山本さん:それで東大に入るっていうのもすごい話ですけどね。専攻は日本文学でしたっけ。
白井さん:そうです。本当は研究者になるつもりでした。私は社会に出たらやっていけないらしいので、なるべく社会に出ずに職を得ようと思って。結果的には新卒採用でメンバーズに入社するんですけど、それも、デジタル領域が苦手過ぎるから、仕事にしてしまえば覚えられるんじゃないか…と考えての判断でした。
山本さん:お話を伺ってると、自分の置かれた状況や、どうしたいかという希望を正確に把握して、「だから、こうしよう」という行動までシームレスにつながっているんだなと思いました。
そういえば、メンバーズ社長公募制度 第1号として子会社立ち上げを経験されていますが、それにはどんな背景があったんですか?
白井さん:早くマネージャーになりたかったんです。でも、ポストの空きを待つのも、新しくポストをつくるのも時間がかかるな、と。それよりも社長公募に通る方が早そうだったから、ってことかな。
マネージャーになりたかったのは、プレーヤーとして周囲より優秀になるのはムリだと思ったからです。そこで戦っても勝てる気がしなくて。
山本さん:わかります。僕がマネージャーになろうと決めたのも、同じような発想からでした。プレーヤーとして第一線を走り続けていくのは難しいけど、プレーヤーの気持ちを理解はできる。だから、彼らを応援する役割としてマネージャーになろう、と。
白井さん:山本さんの発想は他者起点って感じですね。私はもう少し自分寄りだったかな。とにかく朝の出勤時間を遵守するのがつらくて(笑)労務的な制約から解放されたい、でも、社会的な生きやすさのためには会社員でいたい。その両方をクリアしたかったんです。
山本さん:そうやってお聞きすると、やっぱり意志と行動が明確に結びついていていいですね。
洗練された言葉は美しくて、あまりにもすんなりとしみこんでしまう。
彼女の語る言葉は明晰で、自然で、無理がない。
だから、誰にでもできることを語っているように見えるかもしれない。
でも本当にそうだろうか?
本質は、言葉の表面には存在していない。
動機と表現、見え方、そして一貫性。ふたりの語る「違い」から見えてくるもの
今回の対談は「動機と表現」をテーマに展開している。
動機は、ありたい姿、やりたいこと、達成したいこと。
表現は、動機に結びつく行動やふるまい。
深く関連するはず2つの要素の結びつけ方は、人によって異なっている。
山本さん:抽象的な概念ですけど、えりりんさんにとって動機と表現ってどんなものだと思いますか?
白井さん:本質的には、原因と結果の関係性にあるふたつの要素、と考えています。プロセスは人それぞれですが、動機と表現を組み合わせるということは、多くの人が日常的にやっているのかな、と。
たとえば「動機が先にあって、その実現のために何らかの表現をする人」もいれば「何らかの表現をした後に、自分の動機に気づく人」もいる。私は後者ですね。
山本さん:お、僕は前者ですね。もう少し詳しく教えてください。
白井さん:私の場合、表現が先にあって、後から動機を考えるんです。つまり「私は今こんな行動を取っているけど、なぜそれをしたいと思ったんだろう?」って、後から考える。考えてもわからないこともあるし、こうだろうと思った答えが正しいかどうかもわかりませんけどね。
あと、動機はわりと生々しいこともあるから、自分のこととはいえ、真っ向から見つめて受け入れるのが難しい場合もあるかも。時間が経って振り返った時に「あの時の動機はこういうことだったのかな」とわかるようになったりもします。
山本さん:たとえば、具体例ってありますか?
白井さん:10代前半の頃、小説やイラストの創作が好きだったんですよ。それは、創作そのものが楽しいっていう前提はあるんですけど、よく考えると、動機は「ひとりで生活できる収入を得る能力がほしい」だった。確か、小学6年生で小説家デビューといったニュースを見て、子どもでもお金を得る方法があるんだ!と衝撃を受けた記憶があります。
結局、就職して自活できるようになったので、今となっては創作は趣味で楽しんでいますけどね。
山本さん:なるほど。確かに、表現から動機を考えているんだなってわかりますね。
さっき言った通り、僕は逆なんですよ。動機が先にあって、その実現のためにいろんな表現するんです。
白井さん:山本さんの場合の具体例ってどんなことですか?
山本さん:たとえば、このメディアを運営している共創サークル『不協和音』は、「わかりあいを増やしたい」という動機から始まっています。価値観って人それぞれ多様にあるもの。自分とは違うから受け入れられない、で終わりたくないんです。他の人が自分と違っているのを認めて、理解して、わかりあえるようになったらいいなという想いが、僕の動機なんです。
そのために、エッセイを書いてみたり、このメディアでいろんな人と対談したりしているんです。こういった行動は、私の表現に当たりますね。
でも、周りの人にはこの動機と表現があんまりダイレクトに結びついて見えなくて、認識にギャップが生まれちゃうんですよ。
白井さん:ギャップ?
山本さん:たとえば、エッセイを書くという表現から「エッセイが好きなんですか?」「文章を書くのが好きなんですか?」と言われたりするんです。もちろんどちらも嫌いじゃないんだけど、それらは別に僕の動機ではないんですよね。
表現は目に見えるけど、動機って宣言しない限り目に見えないじゃないですか?他者の動機と表現の結びつきを知ろうとすると、表現から動機を推測することになる。僕の場合、エッセイの例みたいに、動機と表現が一貫性のあるものに見えなくて「山本さんは、やりたいことがわかりにくい人」になってしまうんです。
えりりんさんは逆ですよね。表現が先にあって後から動機に紐づけるから、他者からの見られ方に一貫性があって、理解されやすいんじゃないですか。
白井さん:確かにそうですね。説明もしやすいし。
山本さん:えりりんさんは、表現に対して動機が複数あるっていう感じがします。たとえば経営者という社会的立場を表現とした場合、動機って必ずしもひとつじゃないと思うんですよ。
“メンバーズデータアドベンチャーカンパニー社長 白井 恵里”という肩書から推測される動機はいくつもあって、そのどれかが実際にえりりんさんの動機と一致することが多いんだろうと思います。あるいは、えりりんさん自身も考えていなかったけど、言われてみれば当てはまる動機…みたいなものもあるんでしょうね。
白井さん:うん、そうかもしれませんね。
動機と表現の結びつけ方に正解はない。優劣もない。
ただ、そこには「違い」があるだけだ。
2人のやり方は真逆だけれど、実は、共通項も見えてくる。
それは——自覚的であること。
動機をまっすぐに見つめ、自覚的になれば、あるべき表現が見えてくる
山本さん:動機と表現を自覚する順番は人それぞれでいいと思うんですけど、そもそもちゃんと動機を見つめて自覚しているかどうかは、すごく大切なポイントですよね。そこが曖昧だと表現に影響を及ぼすし、本人がつらくなっちゃうから。
白井さん:そうですね。自分自身の動機をきちんと見つめきれていないと、袋小路に入ってしまいかねない。
私は、動機を自覚して、そのうえで表現が一致しているものが好きなんです。動機って別に何でもいいんですよ。たとえば創作活動を例にするなら「自分の個性を表現したい」「共感してくれる人に共感してもらいたい」「多くの人に支持されて有名になりたい」とか何でもいい。大事なのは、自分で自分の動機をまっすぐに見つめて自覚しておくこと。それができていないと、どんな表現をすればいいか迷ってしまうと思うんです。
山本さん:それこそ、自分は何をやりたくて何をしている人なのかわからなくなってしまう。動機と表現がちぐはぐになるというか。
白井さん:そう。しかも、場合によっては、動機が達成されないことを外的環境や他人のせいにしてしまいかねない。あるいは、失敗や否定をされたくなくて、動機の方を加工してしまうこともあるでしょうね。
たとえば「自分の個性を表現したい」と「個性が多くの人に支持される」は別物なうえに、関連性がない。でも、動機をきちんと自覚できていないと、個性を多くの人から支持されそうなものに調整してしまったり、どうして自分の個性が受け入れられないんだってフラストレーションを感じてしまったりする。これは、動機をちゃんと見つめて自覚的になるところまで至っていないから起こることかな、と。
山本さん:僕は「誰かのためになることがしたい」っていう動機をよく耳にするんです。この動機はいいと思うんです。でも「誰かのためになることをする=良いことだ=だから、そう言っておけばいい」という思惑が垣間見えると、そこには違和感がある。自覚じゃなくて、責任転嫁の余地を残しておきたいと思ってる感じがするんですよね。
白井さん:確かに。自覚が伴っている表現であれば「じゃ、がんばってください」と言えますからね。
何をしたいのか、どうすればいいのか。
時に、迷いは無意識に自分の目を欺くこともある。
そういうこともある、と気づくことが、自覚の第一歩になるかもしれない。
自覚のスイッチもやり方も人それぞれ。「違い」を知って、選べばいい
山本さん:一方で、自覚すること自体にも難しさはあると思うんですよ。
えりりんさんは、どうやって動機を自覚できるようになったんですか?
白井さん:やっぱり、子どもの頃から自分と周囲とのギャップについて理由を考え続ける習慣のなかで、自覚できるようになっていったのかなと思っています。
山本さん:あと、動機に対して自覚的であるためには、自分で自分の価値観を理解していることも必要ですよね。好き嫌い、やりたいこととやりたくないことの線引きって、難しいこともあるんじゃないかな。
白井さん:やりたいこととやりたくないことはちょっと難しいですが、好き嫌いについては、明確な線引きができますね。私の場合、それは「快」「不快」「不快ではない」の3パターンで判断します。物事を見つめて、どれに当てはまるのかを感じ取って、不快なことはしない。やっても続けられないとわかっているから、という方が正確かもしれません。
山本さん:いくつかのパターンを既に認識していて「これはどれだ?」と振り分けながら判断している?
白井さん:そうですね。ピアノを弾く、お花を生ける、スキーに行く…といった趣味は「快」ですよね。これはわかりやすい。私の場合、仕事は「不快ではない」なんですけど(笑)構成要素が非常に多様だから、仕事のなかには「快」もある…ということかな。
山本さん:なるほどなぁ。「見つめる」っていう言葉はおもしろいですね。「自覚する」は「動機をしっかりと見つめる」から始まると思うから。必ずしも最初からうまくできるわけじゃないだろうけど、失敗しても繰り返していくことが大切なんですね。
白井さん:そう思います。あくまで、私のやり方の例としてですけど。
山本さん:なるほど。でも、僕も育った環境からの影響は大きいかもしれません。昔から親には「やりたいことはやればいいから、ちゃんと一人で生きていけるようになりなさい」って言われていましたね。進学する時も、自分が何をしたいのか考えて、決めて、だからこうしたいんだって親に相談する。そんなコミュニケーションを重ねていました。
だから、僕は「いろんなことに挑戦する」のをすごく重視しているし、大切にしたいことでもある。確かに、周りから見るとわかりにくいかもしれないけど、僕は自分の動機に自覚的だし、いろんなことをしたくなるのが僕の個性でもあると思っています。
白井さん:やっぱり、自覚的なのがいいですよね。それは個人の自由だし。
山本さん:えりりんさんの話、とても参考になりました。動機と表現の結びつき方は違うけど、お互い動機に対して自覚的であることは共通している。どちらでもいいし、さらに違うかたちも存在しているでしょうね。そこにはただ「違い」だけがあって、どれが良いかは選んでいければいいんだと思いました。
このテーマでお話しできて、めちゃくちゃ楽しかったです。ありがとうございました。
自分のことだから、自分でわかる…とは、限らない。
その思い込みがバイアスになって、自覚をむずかしくさせることもある。
くもりの中にいるのは苦しい。
けれど、それでも動機を見つめ続ければ、必ず晴れる瞬間は訪れる。
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メディア『対岸』では、”違いって、おもしろい”をコンセプトとし、魅力的な個人との対話を通して、その人にとっての違いや、違いの楽しみ方を記事にして発信していきます。
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