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TURN/陸から海へ ひとがはじめからもっている力

日比野克彦監修による連続企画展。鞆の津ミュージアムをはじめ、全国4会場を巡回しながら、「ひとがはじめからもっている力」を再認識させる作品を見せた。参加したのは、会場によって異なるとはいえ、Chim↑Pomやサエボーグ、中原浩大、田中偉一郎、岡本太郎、マルセル・デュシャンなど、古今東西さまざまなアーティスト、27組。全般的な傾向として、日比野自身や中原浩大といったベテランのアーティストが、おそらく「ひとがはじめからもっている力」を意図した作品を発表したため大失敗していたのに対し、比較的若いアーティストはそのようなテーマと無関係に作品を制作しているため、それぞれ鮮烈な印象を残すことに成功していた。

淺井裕介は土蔵の内部に、彼が近年熱心に取り組んでいるマスキングテープを貼り合わせた作品を制作した。暗い空間の四方八方に手足を突っ張った、有機的な生命体のような作品は、絵画でもあり彫刻でもあり、しかしそのいずれでもないような不思議な魅力を放っていた。

岩谷圭介は日本で初めて風船による宇宙撮影を成功させた人物。実際に風船を上昇させ、そのカメラから見える光景を撮影した映像を発表した。回転しながら徐々に高度を上げていく風船は、厚い雲を突き抜け、大気圏外へ入る。黒い宇宙空間と青い地球の対比が目覚ましい。やがて風船が破裂すると、落下。映像には、GPSを頼りに回収する様子まで記録されている。岩谷のプロジェクトが素晴らしいのは、必要最低限の技術を自分で開発することによって、通常、国家や巨大資本に牛耳られている宇宙空間を個人の手の中に見事に取り返している点にある。大空を飛ぶ自由を奪還しているのが八谷和彦だとすれば、岩谷圭介は宇宙を「我が物」にしようとしていると言えよう。アクセスしがたいエリアに接近しうる糸口をつけた意義が大きいのはもちろん、ほんとうに優れているのは、まさしくその壮大な想像力なのだ。

だが、個別の作品はともかく、展覧会全体に視角を広げてみれば、疑問がないわけではない。例えば「TURN」というコンセプトは、海から陸への転回によって、「ひとがはじめからもっている力」への視点の転換を暗示していることは理解できるにしても、そのパースペクティヴがあまりにも広すぎるため、それが具体的に何を指しているのか、いまいち理解しにくい。言い換えれば、「TURN」によって対象化される事象と、「アール・ブリュット」や「アウトサイダー・アート」、あるいは「ポコラート」が指示する事象の区別が判然としないのである。

このようなコンセプトの曖昧さは、必然的に「ひとがはじめからもっている力」の曖昧さと結びついている。「ひとがはじめからもっている力」という理念は、稚拙な描写であろうと、単純なかたちの造形であろうと、シンプルな想像力であろうと、どんな作品であれ回収しうる広がりを持ちえている。ところが、厳密に考えてみると、この美術館の前回の展覧会「花咲くジイさん〜我が道を行く超経験者たち〜」で披露されていたような、老人の想像力や創造力、そしてエロスは周到に排除されていることに気づかされる。老人の止むに止まれぬ創作活動が「ひとがはじめからもっている力」の発露ではないと言い切ることができるのだろうか。

「TURN」のような装置が、社会的な弱者や周縁化された人々を包摂するノーマライゼーションの政治学に貢献することは想像に難くない。だが、いみじくも岩谷の風船宇宙撮影が端的に示しているように、アートの可能性は、そのような社会の同調圧力ないしは限界を鮮やかに突き抜ける運動性にこそあるのではなかったか。社会をより豊かにするためには、「ひとがはじめからもっている力」などという無難なテーマではなく、大気圏外へと突破するアートの力をこそ理念とすべきである。

初出:「artscape」2015年3月1日号

TURN/陸から海へ ひとがはじめからもっている力

会期:20150201~20150329

会場:鞆の津ミュージアム

参加:Chim↑Pom、サエボーグ、今村花子、岩谷圭介、岡本太郎、小林竜司、中原浩大、田中偉一郎、淺井裕介、日比野克彦、戸來貴規、佐藤初女、島袋道浩、高橋重美

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