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日常にある木彫像と芸術の意義

穏やかな微笑みを浮かべた神仏像。江戸時代の僧、円空と木喰は、生きた時代こそ異なるとはいえ、ともに全国を旅しながら、数多くの神仏像を庶民のために彫った。その数、現存しているだけで、あわせて6107体。本展は、そのうち170体あまりを一挙に肉眼で見ることができる貴重な機会である。

円空仏の特徴は、鋭角的な線。鑿や鉈で木材を勢い良く彫り出し、現れた面によってダイナミックな造形をつくりだしている。一方、木喰仏を構成しているのは、優美な曲線。表面の処理も滑らかで、大きさも全体的に小ぶりだ。「動」と「静」という違いはあるにせよ、共通しているのは、ともに庶民の日常生活の只中にあったという事実である。

展示された円空仏と木喰仏をよく見ると、表面の摩滅や欠落がやけに目立つ。それらは、子どもたちが引きずり回したり、石を投げる標的にしたり、遊び道具として使われていたことの現われだという。妊婦は円空仏の膨らんだお腹を何度もさすり、病気になると削り取った木喰仏の顔面を薬代わりに飲む人もいた。円空仏と木喰仏は、庶民の願いや想いを直接的に浴びていたのである。事実、文化財としての価値が生まれた今も、それらのなかには博物館や資料館ではなく、個人の邸宅や集会所に「守り神」として置かれたままのものが多い。つまり、それらは依然として庶民に必要とされているのだ。

翻って、芸術を思い返してみよう。全国津々浦々に建設された美術館や博物館が、庶民の文化的暮らしを充実させていることは疑いない。けれども、その一方で、円空と木喰がそうしたように、庶民の日常生活に分け入り、その中に根づいた芸術が、近代以後どれほどあっただろうか。

円空仏と木喰仏が残されているのは、目下のところ過疎に悩まされている地域が多い。逆に言えば、人口過密の都市社会は、そのような「守り神」に恵まれていない。その不在は、しかし、人の心を撃つ芸術によって補うことができるのではないか。

初出:「Forbes Japan」(2015年4月号)

微笑みに込められた祈り 円空・木喰

会期:2015年2月7日〜3月22日                    

会場:そごう美術館

#円空 #木喰 #美術 #アート #レビュー

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