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どうして私はつながりを求めたのか、について私がいま思うこと

どうして私はつながりを求めたのか、について私がいま思うこと

2020 年の春だった。その前の年からニュースになっていた新型コロナウィルスが日本に もやってきて、あっというまに感染が広がっていった。当初、舞台監督をしている私にと っても、漠然とした不安があるだけで、この感染症が自分達の仕事上、特別に大きなリス クを持っているとは思っていなかった気がする。そう、新型インフルエンザにしても、出 演者に感染者が出れば公演は中止になることはあっても、それはある意味『運が悪い』程 度のことだった。ところが次第に様相は変わっていく。この感染症は社会活動を止めるほ どのインパクトを持っており、不特定多数の人間が集まる場所は閉鎖され、デパートや飲 食店は休業を余儀なくされ、そして、当然のようにイベントもコンサートも演劇公演も規 模の大小を問わず中止になっていった。


それでも緊急事態が解除されると、私たちは恐る恐る公演を再開し始めたのだが、そんな中、忘れられない出来事が起きた。ある公演で出演者が感染しそれが観客にまで拡大し た。マスコミは劇場クラスターという言葉を流し、濃厚接触者は 900 人に迫った。仕事が なく時間を持て余していた私はひたすら新型コロナについての情報を集めていたが、劇場 への目線は日増しに厳しくなっていく。もちろん観客も減っていった。私は個人名で、こ の騒ぎを引き起こした主催者団体と劇場に質問状を出してみたが、返事は来なかった。


あのときは、正直、困惑するしかなかった。とにかく、なんでそんなことになったのか、 誰も明らかにしてくれない。そもそも新型コロナ全般に関して、信頼できる情報が不足し ていた。本来なら、医療関係者を巻き込んで、劇場や稽古場での感染対策について皆で意見交換するくらいの場所があっていいはずだった。しかし、そういう機会はなく私はただ ひとり自分なりの感染対策を自分の現場のために日々考えるのみだった。


考えてみると、同じようなことは、いままでにもあった。たとえば劇場での事故。『◉◉ シアターでこんな事故があったらしいよ』とか現場で誰かがいう。あるいは『俺、その現 場にいたんだ』とか。でも、その原因についての、きちんとしたレポートを読んだ記憶は 一度もない(報告自体はあったかもしれないが)。そして、ある日、いきなりヘルメット をかぶれとかハーネスをしてくれと劇場でいわれたりする。


これから自分に必要なのは、まず、場ではないか。そう考えたのは、コロナ禍にあって、 周囲とつながることの必要性を感じたからだ。仕事を始めて 30 年にもなるのに、この窮 状で互いの持っている情報をやりとりできる場所がない。政府からの助成金や補助金につ いても、自分の力でなんとかするしかなかった。現場でたまたま会った同業者に聞くと、 補助金の申請をしている人間はあまりいなかったうえに、その理由は『よく分からない』 というようなことで、こちらから申請しろとノウハウを教えるような場面も何回かあった。


この業界にいて気掛かりなことは、ほかにもたくさんある。

たとえば、慢性的な人材不足。新人が入りにくく、入ってもすぐに辞めていく。そうい う現状について『最近の若いヤツは根性がない』で済ませてしまっていいのだろうか。演出部の労働時間が過労死レベルといわれる現場も多いと誰かが指摘していたが、私の世代 でそこを気にする舞台監督はほとんどいない気がする。また、稽古時間や日数、それに伴 う演出部の労働時間について、制作や演出家ときちんと話をする機会があった試しはない。


演劇を取り巻く業界の体質がかなり古いとは以前から思っていた。契約書がないとか、 労働時間が決められていないとか..。それでも好きなことを仕事にして生活できるという 満足感で、現状を変えるようなことはしてこなかったのだが、そうこうしているうちに 『ブラック労働』とか『やりがい搾取』といった言葉で揶揄されるような業界になってし まっていた気がする。この社会が時代に合わせて加速度的に変化していく中、旧態依然と した私たちの業界はその変化のスピードについていけているのだろうか。


もちろん、様々な立場があり、いろいろな意見があり、だからどうするという話をする 段階にはまだまだ至っていない。ただ、舞台監督や演出部という特殊な業種に属する人間 同士が広くつながりを求め、共有できる情報を得て、演劇に関する課題や懸案について考えたり、ときには行動するような場を作ることは、きっと有益だと私は信じている。


                                    舞台監督 森下紀彦

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