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島で会社を立ち上げて、一周年

〈責任の生成〉中動態と当事者研究、という本をたびたび読み返しています。
責任や意志とは何か?ということの対談の記録なのですが、まえがきにこのようなことが書かれています。

責任(レスポンシビリティ)は応答(レスポンス)と結びついている。応答とはなんだろうか。それは返事をすることだが、返事をすると言っても応答において大切なのは、その人が自分に向けられた行為や自分が向かい合った出来事に、自分なりの仕方で応ずることである。自分なりの仕方でというところが大切であって、決まりきった自動的な返事しかできていないのならば、その返事は応答ではなくて反応になってしまう。

『〈責任の生成〉中動態と当事者研究』(p4,5)

また本編の対談ではこのように語られています。

自分が応答するべきである何かに出会ったとき、人は責任を感じ、応答する。これがそもそもの責任という言葉の意味ではないでしょうか。
 するとこう考えられます。意志の概念を使ってもたらされる責任というのは、実は堕落した責任なのです。本当はこの人がこの事態に応答するべきである。ところが応答するべき本人が応答しない。そこで仕方なく、意思の概念を使って、その当人に、責任を押し付ける。そうやって押し付けられた責任だけを、僕らは責任と呼んでいるのです。

『〈責任の生成〉中動態と当事者研究』(p119)

意思や選択についてもこの話の前段階で為されているのですが、今回は割愛します。是非お読みください。


この話はかなり救いでした。裏を返せば、自分が社員でいるときは責任が取りたくても取れない(社長や会社が責任を負うことになる)からこそ、自分がやれることには限界があると感じていたし、会社が期待するものと、自分が応答している/したいものは必ずしも重ならないからこそ、責任を負わされる感覚になっていた自分がいました。
そして、それは負わされるときに、「まあ給料もらってるし、社員はリスク取ってないししょうがない」とまさに堕落した責任の感覚によって自分を納めていました。器用な捉え方はあったのかもしれませんが、自分はうまくできませんでしたね。
つまり、自分たちで会社を作ったからには、自分なりの応答ができないものは無責任になってしまうのでやらないようにしたいと思っていたわけです。

ということで、起業をしてからの1年間は、まさに自分たちが感じる(あるいは生じてしまう?)責任とは何か、あるいは応答してしまうものは何か?ということについて、省察する期間でした。
一般的に起業するまでに、何をするか、どこへ向かうのか、ということをMVVの形に落とし込み「徹底的に考える」ということを経て会社を立ち上げると思うのですが、私たちはこれをしませんでした。事前のタイミングで考えたり相談すると、社会のためになること以外削ぎ落とされていって、結果的に自分らしい応答ができなくなる気がしたんです。
それに、「より良い未来をつくるという文脈の大義名分」は、それを達成するために、その場にいる人やそこで行われる活動が、未来のための手段として消費されていくように感じるのです。使えるか使えないか、得するかしないかが判断基準になってしまって、それはチームを通して自分にも内面化されていくように思います。
さらに、大義名分は、時に暴力を正当化しているのではないか、例えば非対称な関係性(上司と部下、クライアントと下請け、異性間とか)の中で湧き上がる加害性や暴力性を、より良い未来を作るためと正当化して、「そんなつもりじゃなかった」と言いながら、無邪気に特権を振り回すことは、誰しもが自分自身を日々点検しなければ容易にやってしまいます。
だから、実はそうした理想を掲げることは、すごく難易度の高いことだと思うんです。自分たちがそうした大義名分を扱える器にあるとは思えませんでした。この感覚は1年経って一層強まりました。お金や人はより良い未来に集まると思うんですけどね・・・
冒頭の話に戻ると、自分たち自身の社会経験から来る、「未来や好奇心によって誰かを手段にしないあり方とは?」という問いに対する応答について模索する時間でもありました。

そして1年間経ったところの私たちの応答は、「ゴールを手放す」ということです。
どうなるかわからないことを歓待し、できるだけ決断をせずに期限を先延ばしにすることを積極的にしています。(そのために融資もしました。)
予想を超えること以上に心を熱くさせる瞬間を、現状の私たちは知りません。
会社のトップには「未開を灯す」という表現で綴っていますが、基本的には一緒です。

それを支える上で、今のところ大切にしていることは4つあって、
・つくることによってつくられる
尊敬する中島智先生の言葉。内側にあるものを再現することが表現であるならば、自分が変容してしまうような行為を制作と捉える。
・あるものからはじまる
久比での活動で見つけた態度。見えないところで、それぞれの中で、すでに始まっているということを認める。
・手探りで見出す
自分で見つけた発見は誰にも奪うことはできないから、遠回りでもいいから自分の手足を使う。
・自然体で居る
肩の力を抜くことは伝播すると思う。
・問いを置く
さまざまな可能性を担保しながら、それぞれがアクションを起こせる開放系をつくる。

それぞれが被ってもいるのですが、こうした態度を崩さず、一方で会社としての利益(私たちの場合は地域で活動をしているので、金銭に留まりません)をあげたいなと思う次第です。

と、1年間こんなことを考えていたのですが、具体的には何をやっているのかということも最後に紹介させてください。


1.広島県三次市甲奴町での新拠点「みみみみみ」のオープン準備

色々なものを収集しています。

「み」という言葉を軸に、「つくることによってつくられる」ことを大切にする場にしたいと思っています。が、コンセプトしかありません。決まっていることといえば、宿泊免許を取って滞在型のプログラムもできるようにする、ということだけです。
進め方として、「みみみみみ」は偶有性を持ちながら生成されていくのを観察していこうと思っています。今のところ来た人との対話や行動によってどんな場所なのかが作られていて、自分たちもどうなるのか予想がついていません。ご興味のある方はぜひ来ていただけたら嬉しいです。必ず爪痕が残ります笑
ちなみに、相変わらず久比にも事務所があって、基本はそこで仕事をしています。久比にもぜひ。
↓は大橋のみみみの庭にまつわる記事


2.本人もうまく説明できない活動を一緒に整理してコミュニケーションツールのデザインをする

これから起業する方が中心になっているのですが、熱があって、やってることも手応えがあるんだけど、どうにもうまく説明できない・・・という方が相談に来てくださっていて、そうした方のコミュニケーションツール(ロゴとかwebとか名刺とか)を最終的につくるということをしています。
提案型ではやっていなくて、雑談やビジュアル収集を重ねることで、いつの間にか方向性がまとまっていくことを大切にしています。だいたい当初の予想を超えて誰もイメージしていなかったものに着地するのですが、それがいいなと思っています。


3.インタープリター的な活動

富士通デザインセンターのインスピラボさんのリサーチコーディネート
すごく楽しかった・・・
ナオライさんの三角島本社を拠点に、三角島、大崎下島、上島を回りました。

久比も甲奴もそうなのですが、都市ではない生活様式や価値観を持った地域の方との出会いが、「こうせねばならない」、「これが社会だ」、という刷り込みから解放してくれるきっかけになるなと思っていて、地域を案内する活動もしています。
僕たちは資本主義を内面化し過ぎていて、「誰の金で食えてると思ってるんだ」みたいな発言に対して、ついつい従属してしまうと思うのですが、そうして誰かの尊厳が奪われていいはずが無いし、稼げる仕事が社会を支える仕事なのかは疑問があって。一度立ち止まらせてくれるような時間が、「僻地」には残されていると感じています。

4.プロジェクトに参画する

ありがたいことに、プロジェクトにメンバーとしてお誘いいただくケースがいくつかありました。すごく嬉しいです。(&anteさんいつも本当にありがとう・・・)
多分、生活圏の違いから生じる価値観の差異や、役に立つかどうかをあまり考えない姿勢を気に入っていただいて誘ってもらえてるのでは?と考察しています。

という感じです(でした)・・・
色々な形で関わってくださった皆さん、本当にありがとうございました。皆さんのおかげでなんとか1年を超えることができました。
何をするかよりも、誰とするかを、私たちは最も大切にしていきたいと思っています。
次の1年間がどうなるのか、は不安もあるのですが、何かご一緒できたり、お手伝いできることがあればぜひお声がけいただけたら嬉しいです。



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