ハーバード見聞録(60)

「ハーバード見聞録」のいわれ
「ハーバード見聞録」は、自衛隊退官直後の2005年から07年までの間のハーバード大学アジアセンター上級客員研究員時代に書いたものである。

 以下の稿は、ロバート・ロス教授の論文『平和の地政学、21世紀の東アジア』の「要旨と若干の所見」に引き続き、「抄訳」を7回に分けて紹介するものである。今週はその第6回目で「第6節 米国撤退の意義」の抄訳を掲載する。


第6節 米国撤退の意義

朝鮮半島及び台湾を巡る米中の軋轢は典型的な超大国の争いに過ぎない。これら争いは冷戦または熱戦の要素ではない。中国と米国は東アジア及び他の地域の第3世界の国々でその影響力を競い合う。この米中の競争は、「不安定化」につながる武器の販売――米国による台湾への武器販売及び中国による中東への武器販売を含む――を巡る紛争を伴う可能性が高いと思われる。そのような紛争はどんな超大国間の関係においても生起することが予期される。しかし、米中両政府は、冷戦の緊張に至ることなく、広範囲な経済取引と正常な外交を実行することが出来る。

米国がバランス・オブ・パワーを担う責任を有する東アジアの超大国としての役割を軽視するならば、何が起こるだろうか。新現実主義者達は、中国とのパワー・バランスをとるために、米国以外の他の超大国が登場すると予測している。まさに、日本はこれに関しては、いずれにも対応できる態勢にある。米国との同盟に依存しつつも、日本は海・空戦力を含む先端技術による防衛能力及び独自の戦力投射能力を持つための基盤の開発を完了している。
 
しかし、日本が中国とパワー・バランスを取れるかどうかは全く分からない。日本はその歴史の大部分、中国のパワーに上手に対処してきた。中国が、21世紀において、近代化が成功すれば、日本は、中国に比べ少ない人口と産業基盤の故に、中国以上により一層輸入資源と国外市場に依存しなければならないだろう。日本は多少なりとも中国の経済及び資源に依存するかもしれないが、同様に重要なことは、日本は中国に近く、戦略的縦深性が乏しいことから、工業プラントを含む日本の経済は航空機及びミサイルによる攻撃の応酬に対して、中国経済よりも一層脆弱である。中国のミサイルに対する地勢上の脆弱性に関しては、日本と台湾は似たようなもので、差は無い。この地勢上の日本と中国の違いは、日本と中国の核兵器競争への取り組みのうえでも日本の立場を不利にする。

これら地勢上の不均衡は、日本を勢い付かせるか、又は、中国の野心的な政策を後押しするかもしれない。こうなった場合のアメリカの対応は気も狂わんばかりで、高く付くものであり、緊張を高めるであろう。なぜならば、米国は既に強化された中国の軍事力に対し遅ればせながらバランスを取ることを余儀なくされるからである。これとは対照的に、アメリカは現在の戦略的な優位性を利用して、高く付いて危険な軍備増強無しに比較的安定的・平和的に地域の秩序を維持しつつ中国とのパワー・バランスを図ることが可能である。

代替案としては、パワー・バランスの責任を日本と分け合うことによって、米国は東アジア地域のプレゼンスを減らすことが出来る。このような環境の中で、日本政府は空母を含む戦力投射能力を保有することを期待されるだろう。このような計画は、以下の二つの理由で現在の二極構造のバランスに鑑み有益ではない。第一に、米国の一部の軍事力の撤退であっても、事実上の多極構造を創り上げるだろうし、例え「第二級のパワー」であるとは言え、日本は東アジア地域のバランス・オブ・パワー及び日米安保条約の役割の中で一層の負担を引き受けることになるだろう。多極構造のバランスが(二極構造に比べ)不安定であることを思えば、米国にとって、日本と中国を含む純粋な二極構造に比べ日本の役割を増大(訳者注:結果として多極構造化)させることはかえって高く付くという結果につながるものと思われる。更なる問題は、「第二級のパワー(日本)」がより大きな役割を演じれば「第二級のパワー」より小さな国々のタダ乗り行為を助長し、結果として、地域に秩序構築を促進しようとする超大国の能力と動機を弱めることになる。

第二に、日本の軍事力の増強(台頭)は、米国と日本の軋轢を誘発する可能性がある。米中関係とは異なり、米国と日本の軍事能力は競合する形になりうる。日本が真珠湾で示したように、二つの海洋国家にとって、攻勢・攻撃は決定的となりうる。米国が東アジアに完全に関与し続ける限り、日本の海上自衛隊は米軍を補完する。

しかし、米政府が日本政府と海軍力を共有するならば、安全保障上のジレンマの圧力を生み出すだろう。日本が増強した海上自衛隊を米国の国益のために使うという十分な確信が無い中で、米政府は日本の海上自衛隊の戦力とのバランスを図るため、米国自信が海軍の増強を余儀なくされるかもしれない。また、日米が東アジア地域の海洋諸国家に対する影響力を巡って競争し、(日米の)経済協力は縮小するかもしれない。その結果、米国防政策は更に予算・経費が掛かり、東アジア地域の秩序がより不安定となり、平和が損なわれる事になるかもしれない。

第三(最後)に、米国の全面的及び部分的撤退はいずれも共通の問題に遭遇するだろう。全面的撤退であれ部分的撤退であれ、いずれも安上がりのパワー・バラランスという幻想のために、米国の優位性を犠牲にするだろう。なぜならば、米国の東アジアにおける優位性の利益は数多く、価値があり、この優位性を維持するコストは賄えるが、逆にこの優位性を放棄するリスクは計り知れない。

現在のバランス・オブ・パワーは日中のバランス・オブ・パワーにとっても、日米中のバランス・オブ・パワーのとっても遥かの好ましいものである。東アジアにおける米軍削減の代償は米国の安全保障を日本との協力に依存することになる。米国の東アジアに対するアクセスのシーレーンは殆ど日本の海上自衛隊に依存することになる。同様に、米国の東アジア地域の海洋諸国家との協力は日本の寛容さに依存することになる。日本の諸政策は、アメリカの政策の一環である安全保障政策に大きなインパクトを与えることが出来る。このようなシナリオはまだマシで、もし日本が米国に非協力的なことが判明するか、又は、安全保障上のジレンマの力学が日米の協力を損なうような事があれば、米国は東アジアにおける国益を守るために中国の協力及び中国の諸政策に依存することになる。

アメリカの強力なプレゼンスがバランス・オブ・パワーの安定性を最大限に高め、安全保障上のジレンマを軽減しつつ二極構造の負の要素を補う。コスト面から見れば撤退よりもマシである。現在の国防支出は冷戦時代のレベルよりも十分に低いが、今後30年間に亘り、海上優勢および東アジア地域のバランス・オブ・パワーを維持するためには十分な予算である。21世紀のかなり将来の時期まで、「米中間の二極構造における競争」は、米国にとって東アジア地域の重要な国益を実現するために「最も効果的で割安の戦略」である。

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