ハーバード見聞録(5)

日本国憲法誕生秘話(2月14日の稿)

「ハーバード見聞録」のいわれ
 本稿は、自衛隊退官直後の2005年から07年までの間のハーバード大学アジアセンター上級客員研究員時代に書いたものである。


ハーバード・ロー・スクールに留学中のK氏から、日本国憲法誕生に関わる興味深い話を伺った。
 
「日本では、憲法改正の動きが勢いづいて来ていますが、私は、アメリカに来て、日本国憲法誕生に関し驚くべき事実を知りました。昨年の講義で、ある教授が新聞の切抜きのコピーをクラス全員に配布して読ませました。その記事には、『1946年当時、22歳のシロタという名前の日系アメリカ人女性が日本国憲法の原案を一週間足らずで書き上げた』という、私にとってはショッキングな内容が書かれてあった。その記事には、シロタ女史が新聞記者のインタビューに『Constitutional steering committee の Head であったケーディス中佐から、【新憲法に直接米軍のスピリットを入れたくないから、民間人のあなたに協力してもらいたい】、との要請を受けたが、一国の憲法原案を若い自分が任さるという大変なプレッシャーから、怖くて寝られなかった』と当時の心境を回想していました」

K氏は、私がその話に興味を持っているのを察して、その後、メールで、05年5月28日付ニューヨーク・タイムズ紙の「日本女性への贈り物を守るための戦い」と題する記事を送ってくれた。メールには次のように書いて書かれてあった。

「以下は最近のニューヨーク・タイムズ紙の記事で、私が福山様にお話した女性・シロタの話が載っているのでお送りします。ただこれには、彼女が憲法原案を書いた25人の中の1人であり、特に第24条(男女同権など)を書いた人としか書いていません。(以前、私が読んだ記事には、『彼女が(憲法全体を)書いた』とあったように記憶しているのですが、私の記憶違いかもしれません。残念ながら、お話ししたような授業で配布された記事は見つけることができませんでした。

シロタ女史は、5歳の時から日本に住んでいて、日本語が出来るということで22歳の若さで連合軍総司令部(GHQ)民生局憲法起草委員会・人権委員会委員に選ばれたようです。『たった6日で書き上げられた憲法』、というのもショックですね。ただそれにしても1976年の時点でアメリカでさえ男女同権や人種差別の撤廃の観念がまだ広まっていないのに、日本国憲法に取り入れられたのは信じられないほど先進的憲法だといえると思います」

そもそも、日本国憲法がマッカーサーからの押し付けによってもたらされたものであることは今日では周知の事実だ。それにしても若干22歳の日系アメリカ人女性一人で書いたのか(K氏の当初の記憶通りか)あるいは添付記事にあるように彼女を含む25人の民間人が関わったのかは定かではないが、まるで学校の宿題を片付けるかのように、一週間足らずで原案を作り上げたという話には驚くばかりだ。

しかもK氏が指摘するように、米国自らの憲法にも含まれないような「男女同権」や「人種差別撤廃」のみならず、更には憲法9条(戦争放棄、戦力不保持)までも書き込むなど、わが国の敗戦のドサクサの中で、無責任で拙速な憲法策定作業をしたのは事実と言わざるを得まい。

憲法改正に関しては、メディアの中では、読売新聞が主導し、昨今の憲法改正の流れを確立した。それにしても問題なのは、日本のインテリ層のオピニオンを代表することを自任していると思われる朝日新聞である。私は、防衛省陸上幕僚監部広報室勤務以来、朝日の記者の幾人かとは、親しくお付き合いさせてもらっているが、非礼をも省みず、繰り返し次のように申し上げることにしている。

「いよいよ憲法をわが国民自らの手で改正する機が熟しつつある。朝日は、読売の後塵を拝するとでも思って躊躇しているのだろうか。もはや、日本のインテリ層を代表する朝日が、共産党や社民党と同じように『憲法改正の入り口』で、改正の是非だけを論じているだけでは、日本国・国民にとって不幸だ。一日も早く、憲法の中身、あるいは憲法が描く『新生日本のあるべき姿』について具体論を展開し、世論を喚起すべきではないか。傍観的態度をとっていれば、折角、第二次世界大戦後半世紀以上を閲し、世界が変わる中でわれわれ日本人が自らの手で憲法を作って、真にアメリカから独立するという千載一遇のチャンスを逃すことになりかねない。朝日はわが国の主要紙として将来の青史に責任を持ってもらいたい」

日本の世論をリードする朝日新聞を高く評価するあまり、あえて失礼を省みず申し上げることにしている。

【追記】
この拙文を外務省ボストン領事館の西林総領事(当時)にお見せしたところ、メールで次のように誤りを御指摘いただいた。
 
「『ハーバード見聞録』楽しく拝読しました。恐縮ながら事実関係に誤りがあったので指摘させて頂きます。
シロタさんは日系人ではありません。日本人の名前に似ていますが、実はウクライナ系ユダヤ人です。私自身、彼女とはニューヨーク在勤時何度も会ったことがあります。彼女に、日本の勲章を差し上げる仕事にも関わりました。小渕首相(当時)がシロタ女史にニューヨークで会われた時には、これに立ち会ったこともあります。高齢ながら毎年1回は訪日していて憲法問題(特に男女同権)について講演等をされています。日本のマスメディアにもしばしば取り上げられている有名人です。また、父親はレオ・シロタといって戦前日本で数多くのピアニストを育てた方です」

西林総領事のご指摘で明らかになった事は「シロタ女史が日系ではなかった」ことと「シロタ女史は男女同権についての原案起草に関わった」ことである。
憲法擁護派がシロタ女史の講演を「女性の権利の回復」と言う観点から高く評価するのは理解できないでもない。但し、米国に先駆けた「男女同権」と言う理念の導入が正しかったからと言って、憲法9条(戦争放棄、戦力不保持)を含む日本国憲法の全ての妥当性(内容、手続き共に)に結びつけるのは「すり替え」と批判されても仕方ないのではあるまいか。

【後記】
 当時、改憲の機運が高まり、ようやく戦後レジーム(アメリカの頸木)から脱することができると期待していたが、その後、尻すぼみになったのは残念である。安倍政権が憲法改正を標榜したものの挫折し、後継を託されたはずの菅政権は憲法改正には殆ど熱意が感じられない。

 憲法(9条)と日米安保条約という二本の手綱によりアメリカに御せられる「馬」のように、我が国は、永劫アメリカの属国として甘んじようというのだろうか。本当に残念である。

 本来は、「反米・反安保・憲法改正」の三点セットを「運動方針の基本」とするはずの左翼政党と左翼メディアなどが、なぜか真逆に「護憲!護憲!」と叫ぶのは、異常・滑稽と言わざるを得ない。けだし、スターリン・コミンテルンの指導以来、日本の革命を狙う左翼勢力は、革命成功のためには日本国憲法(“去勢”憲法)を堅持することが絶対条件であるからであろう。

 一方のアメリカも、日本の左翼勢力と「国共合作」で憲法を擁護する思惑は、「日本の先祖帰り(再軍備など)」を阻止するうえで好都合だから、という理由もあるのではないか。

【後記の後期】
 その後、岸田政権が「安保3文書の改定」を契機に防衛政策を大幅に転換した。本来は憲法改正が先にあるべきであるが。そんなわけで、今後、憲法改正は遅まきながら進むのではあるまいか。期待したい。
 

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