ハーバード見聞録(77)

「ハーバード見聞録」のいわれ
「ハーバード見聞録」は、自衛隊退官直後の2005年から07年までの間のハーバード大学アジアセンター上級客員研究員時代に書いたものである。

  下の稿は、2005年8月21日から9月2日の2週間に亘り、特別ゲスト(受講料8700ドルを免除、「タダ」で参加)としてハーバード大学ケネディ行政大学院主催の安全保障特別セミナーに参加させて頂いたところ、折角の貴重な講義内容であることに鑑み「要録」として纏めたものである。けだし、私の英語力の未熟さにより誤解もあることをご容赦いただきたい。
以下、安全保障特別セミナー要録を二回に分けて紹介したい。


第1回――セミナー企画の概要と各講義の要録(前段)(7月2日の稿)

1.セミナー企画の概要

●参加受講者
本セミナーは、米国および外国の主として安全保障に関わる政府高官約70名が対象であった。内訳としては、米政府行政機構(国防省、CIA、NRC、NSA、本土防衛省など)の次官・局長クラス(将官を含む)、米軍需産業(ロッキードマーチン、ノースロップグラマン、ボーイングなど)・米学校(フロリダ大学、マサチューセッツ工科大学)幹部の外、同盟国(日本(福山が参加)、英国、カナダ、オーストラリア)、中東・アフリカ(バーレーン、アラブ首長国連邦、クエート、ナイジェリア、ザンビア、南アフリカ)、東欧(ルーマニア)、南米(コロンビア、チリ、メキシコ、ペルー)及びアジア(中国、台湾)から軍・治安機関高官(南アからは国防大臣)が参加していた。軍人の階級は准将から中将まで。

注目の中国からは、Mr. Jun Li (General Director, No2 Bureau International Department of Communist Party of China)が初めて参加していた。
冷戦時代のライバル、ロシアやNATOの同盟国、独・仏・伊、更にはアジアの同盟国韓国からは参加していないのが特異点だった。

●講師陣の顔ぶれ
ジョセフ・ナイ教授などハーバード大学が世界に誇る碩学達に加え、カート・キャンベル博士(戦略国際問題研究所(CSIS)副所長、超党派の「対日政策」提言グループの一人)やボブ・ガルーチ博士(ジョージタウン大学教授、クリントン政権下でミサイル・大量破壊兵器特使として「枠組み合意」を纏める)など歴代アメリカ政権で外交・安保政策などの実務に携わったことのある人物など錚々たる講師陣だった。

●全体テーマ
米国の現下の安全保障の最大の課題である①対テロ戦争と米本土の安全保障、②台頭する中国への対応――であった。

2.各講義の要録

●ロジャー・ポーター:「米経済政策」
・安全保障の基礎となる米国経済政策について、自身のクリントン政権下のホワイトハウスにおける経験談を交えながら、素人にでも分かるように平易な言葉で分かりやすく解説。
・GDP、失業率、投資と費用対効果、社会保障費などについて具体的に説明。社会保障費については①長命化②少子化で収支が悪化したことを強調。

●ニコライ・ズロービン:「世界的な影響力行使のできるプレーヤーとしてのロシア」
・冷戦時代は欧州における最悪の時代で、「力」の自由競争の場であり、ソ連の崩壊は当然の帰結であった。
ソ連が崩壊したのは「政治」の分野だけであり、ロシアの戦略、ドクトリン、核戦力などはソ連時代と変わっていない。加えて、石油、天然ガスなどの天然資源に恵まれており、侮るべきではない。更にロシアは、西欧、中東、アジアに対し地政学的に大きな位置を占めている。プーチンは、ロシアをゆっくりではあるが着実に立ち直らせつつある。
・冷戦時代は、「白黒」はっきり分かっていたが、今は分からない。
・対テロ戦争の相手であるテロリストには、首都、経済、国境、軍事組織などは無く、ターゲットが絞れない。
・中国は石油、鉄の需要を満たしえずスーパーパワーにはなり得ない。また歴史的に見て、周辺国はもとより他国から好かれたことは無い。
・今後、中国の経済成長はロシアの石油、天然ガスに依存するようになり、ソ連の経済成長は中国の経済成長に依存する関係に発展していくだろう。
・ロシア経済の70パーセントは石油、天然ガスがもたらすものである。
・ロシアの最大のリスクは人口減少であり、7500万人程度まで減少する可能性がある。
・プーチンとは一対一で対話した。そのときの印象から申し上げれば、彼はKGB要員としての資質は高いが、政治家ではないと思った。
・ロシアの経済は「ソ連流」になりつつあり、国の統制下で動いている。クレムリンのコントロールが強化され、エリツィン時代の民主化とは逆の方向に向かっている。
・ロシアの国土の70パーセントはアジアであり、ロシアは文化的・精神的、政治・経済的に見て「アジアと欧州の混血児」である。

●デビッド・ガーゲン:「大統領のリーダーシップ」
・大統領のリーダーシップは歴代大統領の個性により異なる。
・ケネディ大統領は、キューバ危機、ベルリン危機に際してはフルシチョフについて知っているブレーンをスタッフとして結集・活用し、成功した。しかし、ジョンソン大統領がベトナム戦争に介入する際は、ベトナム事情に通じているスタッフがいなかった。
・ブッシュ大統領の側近に本当にイラクについて知っている人物がいるだろうか。
・ブッシュ大統領は「CURIOUS(珍しい、不思議な、奇異な)」な人物である。
・イラク派遣兵力が不十分であるというシンセキ前陸軍参謀総長の指摘は正しかった。

●アッシュトン・カーター:「大量破壊兵器」
・1994年、北朝鮮のヨンビョンに対する空爆が検討された。
・台湾、韓国とも核兵器を持ちたいという意図が強い。(筆者注:台湾代表が反論したが、あまり迫力は無かった)
・核分裂物質の精製・製造には巨大の工場と多くの技術者などが必要でありテロリストのレベルでは出来ない。従って、テロリストの手に入る核は、核兵器を製造した「国家」から入手する他無い。一方生物化学兵器は、中レベルの技術と施設で比較的簡単に製造できる。「汚い爆弾」(これを爆発させ放射能汚染をする)も比較的簡単に出来る。
・スイスの核開発の政策は「決定しないと決めること(decide not decide)である。(筆者注:常に開発の余地を残しておくことと思われる)

●ロジャー・ジョージ:「米欧の分裂」
・米欧(大西洋)の分裂の原因は①ベルリンの壁が崩壊したことによりソ連の脅威が無くなったこと②米国のヨーロッパ系の人口が相対的に減少し、ヒスパニック、アジア系が増加したこと③米国の超大国化と欧州の国力の低下により、欧州にとって米国の態度が傲慢に見えること、などによる。

●アーネスト・メイ:「情報上の奇襲」
・日本の真珠湾攻撃、ヒットラーのバルバロッサ作戦、1940年のドイツ軍の対仏攻撃の3戦例を挙げ、攻撃の情報・兆候が上がってきたにも拘わらず米国、ソ連、仏が何故奇襲を受けたか帰納的に説明。「意思決定できるレベル人達の『自信過剰(OVERCONFIDENCE)』」と結論付けた。
・「9.11」も同じ原因だった(自分は調査委員会のメンバーだった)。
・米国情報界(コミュニティー)は論争好きで「ああでもない、こうでもない」と迷走する傾向がある。米国の情報を統括する国家情報長官が新設されたが、ジョン・ネグロポンテ長官なら上手くやるだろう。

●ボブ・ガルーチ:「北朝鮮の核拡散問題」
・自分は1994年10月の「枠組み合意」を纏めた。北朝鮮はこれにより核開発を凍結した。ブッシュ政権(ネオコン)はこれを「Bad Deal」と批判するが、凍結させたのは事実である。現政権は「凍結」もさせられないではないか。
・北朝鮮は「枠組み合意」後2回嘘をついた。
・北朝鮮はこれまでに使用済み燃料棒から30キロのプルトニウムを抽出しており、最大8個の核爆弾を保有している可能性がある。
・北朝鮮の金桂寛外務次官は2003年の6カ国協議の席上「We could be forced to sell these nuclear weapons 」と述べ、核拡散の可能性を示唆した。
・北朝鮮の核武装という「引き金」により、北東アジア各国の核兵器開発が促進され、最終的には日本の核武装というシナリオがある。
・北朝鮮に対する中国の影響力の限界も見えてきた。
・核については①インド・パキスタンの核戦争②ロシア、パキスタンの核物質の管理・保管上の問題③北朝鮮の核開発、……の三つの問題が焦点。

●マイケル・ワトキンス:「予期可能な奇襲」
・「予期可能な奇襲」とは、あらかじめ関係者の誰かがその情報を知りえたとしても、その情報が意思決定出来る人物に伝わらず、効果的な予防措置が取れない事態をさす。
・「予期可能な奇襲」の一例として、北海海上に建設した貯油タンクを巡りこれを占拠しようとするグリーンピースとこれを排除しようとするシェル石油会社の攻防をビデオで上映。

●ピーター・チャヴェタ:「アフリカ」
・アフリカは米国の3倍の広さがあり、長期的に見て米国にとって極めて重要。
・統治・治安が悪く、国家・民族の対立が継続しているが、徐々に自由と民主主義が浸透しつつある。
・HIVが猛威を振るい、1700万人が死亡し、患者が2200万人もいる。またマラリアや結核も流行。
・アフリカ地域の国家組織AU(African Union)が組織され、一定の成功を収めている。スーダンにPKOを派遣できるまでになった。
・資源(世界に占める割合)――石油:18パーセント(2025年には25パーセントに上昇の見通し)、ダイアモンド:53パーセント、プラチナ:43パーセント。
・テロ組織(アルカイーダ、ヒズボラ)とのつながり。
・飢餓との戦い(シエラレオーネ)。

●ジョン・ホワイト:「軍事上のトランスフォーメーション」
・トランスフォーメーションは相殺戦略(東西冷戦の下で東側の通常戦力の優位を「相殺」するために、核兵器による大量報復で抑止を図ろうとしたもの)をベースにしている。
・脅威の種類は冷戦時代と変わらないが「9.11」以降は、テロと大量破壊兵器の拡散に対処することに重点が置かれ、ホームランド・セキュリティーが課題となった。
・情報に関しては国家情報長官が新設されたが、その運用に当たっては一貫性が求められる(CIA等の米情報関係機関から参加した受講者などの質疑を聞いた印象では「新設の国家情報長官は混乱している」という趣)。
・米国におけるテロ攻撃の最大の脅威は、携帯搬送型の小型核兵器による米本土内の大都市に対する攻撃である。アルカイーダが核兵器を入手次第、アメリカに対するテロ攻撃を行う可能性があると見ている。
・核兵器は国家レベルで総力を挙げて初めて作れるもので、テロリストには作れない。但し放射能を飛散させる目的の「汚い爆弾」は核物質さえ手に入れれば比較的容易に出来る。従って最大の問題は「核兵器や核物質がテロの手に渡ること」である。
・「9.11」後、CIAのテネット長官が「アルカイーダが小型核兵器をニューヨークで使う可能性がある」という情報を警告し、捜索チームがニューヨーク中を探したが見つからず、10日後には誤りと分かった。
・10キロトンの核爆弾はトランク2個程度の大きさで、これがワシントンの連邦議会議事堂(ケース1)またはニューヨークのタイムズ・スクェア(ケース2)を爆心地として爆発した場合の被害見積もり(ハザードマップ)は別紙の通り(実際に提供されたが、省略)。 
爆心地付近の人間は瞬時に消滅する(筆者注:広島、長崎で証明済みではないか)。
・携帯核爆弾はソ連で作られた。これを引き継いだロシアの核兵器管理には問題があり、これがテロリストの手にわたる可能性がある。
・これらの核爆弾はメキシコやカナダとの国境から入る可能性があり、この検査はマリファナと同じくらい「穴」があるのが現状。
・北朝鮮の核が将来小型化に成功すればテロリストの手に渡る可能性が大きい。
・印・パ両国は、米国の戦略(筆者注:米国による対中国封じ込め戦略のことと思われる)にとって極めて重要であり、現在米国は印・パの関係改善の仲介をしている。現在両国は「経済レベル」で関係改善しつつある。(筆者注:これに対し、中国から参加した李氏は休み時間筆者に日本語で「インドはNPTに加盟していないにも拘わらず、インドを例外的に厚遇する。アメリカはダブルスタンダードだ」と批判した)
・パキスタンはインドに対して通常戦力レベルでは極めて劣勢。従って、核兵器使用の「敷居」が低い。
・「9.11」以降ムシャラフ軍事政権は米国が行うテロ戦争に協力してくれた。しかし、ムシャラフの暗殺により政権・政策が逆転する可能性がある。
・パキスタンのイスラム教徒は世俗主義(secular)であり、原理主義ではない。
・インドの常任理事国(拒否権あり)入りには米国は反対。

●カール・トゥルスコット:「カウンター・テロリズム」
・私はATF(The Bureau of Alcohol, Tobacco, Firearms and Explosives)の長官であり、アルコールやタバコのコントロールだけでなく爆発物についての責任があり、対テロ戦争の一翼を担っている。
・対テロ戦争においては、情報については、国家情報長官が、また本土内の対テロ戦争には国土安全保障省が新設された。それぞれの傘下には従来からの情報・治安機関が引き続き存在し活動している。例えばホームランド・セキュリティーについては22の既存の機関が活動している。それに加え、各省・自治体までもが密接に関係していることを考えれば大変複雑と言わざるを得ない。このため、特に重要なことは「情報の共有」である。従って、このセミナーに参加の皆さんは、組織の枠を超えてパートナーシップを確立してもらいたい。

●ブライアン・マンデル:「交渉」
・国際化に伴い、交渉の場が増えてきた。また冷戦後米国に対する「対抗勢力」も増えた。
・交渉は技術(Art)であり、相手をして自分が思う通りに為さしめることである(Negotiation is art letting other people do your way)。
・その後、6人1組であるシナリオに基づき、ロール・プレイを実施。筆者は参加せず。

●ブライアン・ヘアー:「倫理」
・インドのガンジーが始めてヨーロッパに行った時の印象として「It would be a good idea, but unlikely.」と言ったそうだ。それぞれの国にはそれぞれの倫理基準があるのだ。
・倫理は、国際レベル、国家レベル、社会レベル、個人レベルに分けられる。国際化に伴い、国際経済倫理、世界規模の人権問題など国際レベルの倫理が重要となった。
・国際関係の倫理としては1648年のウエストファリア条約で①国家の主権②内政不干渉③政教分離……が明記された。
・戦争における徳義は「勝利」である。1956年のソ連のハンガリー侵攻当時、NATOは介入しなかった。しかし、米国は北朝鮮の南侵時やサダムのクエート侵攻時には介入した。このように、徳義を優先して勝てる見込みの無い戦争を行うことは無い。

●カート・キャンベル:「米国の安全保障政策に対する双子の挑戦」
・米国の外交・安保政策はソ連崩壊等により、欧州からアジア(朝鮮半島問題、中台問題、印パ関係)にシフトした。
・今後15から20年の外交・安保政策を論じるうえで二つの課題は①世界規模の対テロ戦争と②台頭する中国への対処……である。中国はアメリカがイラク問題などにかまけ、気付かないうちに台頭してきた印象。米国としては①と②を同時に解決するアプローチを選択している。
・2005年のアメリカの安全保障上の財産・遺産は①冷戦②1990年代の人権・人道を理由にした介入(ソマリア、ルワンダ、シエラレオーネ)及び③2000年代のテロ戦争から得られた教訓である。

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