ハーバード見聞録(62)

「ハーバード見聞録」のいわれ
 「ハーバード見聞録」は、自衛隊退官直後の2005年から07年までの間のハーバード大学アジアセンター上級客員研究員時代に書いたものである。

今週から「マハンの海軍戦略」についての論考を9回に分けて紹介するものである。


「マハンの海軍戦略」第1回:はじめに(3月19日)

1.はじめに

2006年夏、「マハン海軍戦略」(アルフレッド・T・マハン著、井伊順彦訳、中央公論社)を読んだ。アメリカで安全保障や戦略に関わる論文や講義・セミナー等を見聞する際に、マハンの著作はよく引用されており、今日においてもアメリカの政策・戦略などに大きな影響を及ぼしていることに気付いたからだ。

私が読んだのは、1911年に発行されたNaval Strategy(Little Brown、1911年)の全訳で、マハンにとっては18冊目の著書であり、いわばマハンの海軍戦略論の決定版と見られるものだ。

マハンの名前を高からしめた著作は、1886年に海軍大学校校長に着任後、自らの講義録を纏め1890年に発行した①The Influence of Sea Power upon History,1660~1783((Little Brown、1890)及び1892年発行の②The Influence of Sea Power upon the French Revolution and Empire,1793~1812(Little Brown、1892)であった。前著①が1896年に「海上権力史論」、後著②が1900年に「仏国革命時代海上権力史論」というタイトルで、邦訳版が出版されている。

原文を読んで見たいと思い、ハーバード大学のワイドナー図書館(タイタニック号の事故で亡くなった学生の母親が寄贈した世界有数の図書館)に行って見た。Naval Strategy(Little Brown、1911)は貸し出し中であったが、前述の2冊(①、②)は借りることが出来た。

①The Influence of Sea Power upon History,1660~1783は、2003年にPelican Publishing Company社から再販された新しいものであったが、②The Influence of Sea Power upon the French Revolution and Empire,1793~1812は、今を遡る事1世紀以上も前の1892年にLittle Brown社から出版された初版本そのもので、これを手にした時はまるでマハン提督に出会ったような気がして、本当に感動したものだ。

この初版本の表紙は海の碧色を更に濃くした「茄子紺」で、文字は一切刻まれず、中央に軍艦(帆船)の金の型押し模様があった。軍艦は三本マストで舷側には三段に夫々10箇所以上の砲口が描かれている。軍艦は30度から45度の斜め後方からの視線で描かれており、まさにアメリカが独立から一世紀余をかけて、独立当初の13州から、大陸を横断して領土を拡張し、遂に太平洋岸まで進出し、今日の「超大国アメリカという『巨船』の原型」に相当する国家建造を終え、いよいよドックから滑り出して「更なる新天地」を求めて、「西進を続けようとする意思」を意匠しているかのように見える。

アメリカ見聞録を書き始めて痛感することがある。それは、私が余りにアメリカを知らなかったことだ。

第二次世界大戦においては、旧帝国陸軍の将帥達がドイツは知っていてもアメリカの国力や国民の気質を知らなかったために「蟷螂の斧」の例えのように、無謀にも戦争を始めた――というのが定説になっている。一方、海軍の山本五十六のようにアメリカの実力を知っている一部のグループだけは、対米戦争に反対したと言われている。

翻って、今日の日本人は、果たしてアメリカについて十分に理解しているのであろうか。率直に申し上げれば、今日においても日本人はアメリカのことを「知っているようで知らない」という思いを、ボストンに来て以来、強くしている。

アメリカを知る上で、最も大事な要素は歴史ではないだろうか。アメリカの国の成り立ち(生い立ち)こそが、その後のアメリカという国家の性格形成に大きな影響を与えたものと思うからだ。例えて言えば、ある人物を語る上でその人物の家系、出生の経緯、家庭環境、教育など、個人の来歴を調べるのが重要であるのと同じことだ。

アメリカは、日米安保条約を締結し、わが国の運命を恃む国である。そのアメリカの歴史を知らずして、日本の安危・安全保障を委ねているのであれば、それは狂気の沙汰ではないか。

今日の世界を支配する超大国アメリカの性格・特性(お国柄)がいかにして形成されたのか――このことを理解・勉強することは、われわれ日本人にとって重要なことではないかと思い始めた。アメリカ建国の歴史に根ざす性格・特性を理解すれば、今日のアメリカの外交政策や戦略を深く理解する手がかりになるものと思う。即ち、対米外交、日米軍事同盟などを論じる上で、アメリカの来歴を熟知することは我が国の官民にとって不可欠の事だと思うようになった。

特に、外交政策や軍事戦略の立案・運用などに携わる防衛庁(制服自衛官・内局)の高級幹部や外交官は「アメリカ史」を熟読玩味する必要があると確信する。勿論それと並行して「日本の近・現代史」を学ぶことは論を待たない。

アメリカ史に関する興味から、今夏(06年)一時帰国した際に、『マハン海軍戦略』(アルフレッド・T・マハン著、井伊順彦訳、中央公論社)、『図解日本史・世界史』(成美堂出版)、『アメリカの歴史、テーマで読む多文化社会の夢と現実』(有斐閣アルマ)、『伝説の名参謀秋山真之』(PHP文庫)、『日米開戦の真実』(小学館)、『中国の『核』が世界を制す』(PHP文庫)などを買って来て、読んで見た。

また、アメリカに来て、これまでにジャーナリスト(元共同通信社ワシントン支局長)の松尾文夫氏と東京外国語大学の荒このみ教授からは、アメリカに関しそれぞれの専門分野のお話を聞く機会を頂くとともに、お二人の著書(松尾氏:『銃を持つ民主主義』(小学館)、荒教授:『西への衝動』(NTT出版))から学ぶことも多かった。

当初、「ハーバード見聞録」の一遍としてマハン海軍戦略の内容そのものについての所見などを纏めてみようと思ったが、日本でも既に多くの関連文献が出ているので止める事にした。本稿では、「超大国アメリカの歴史の中でマハンが果たした役割」に焦点を当て、私の雑駁な『マハン論』を述べて見たい。


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