ハーバード見聞録(1)
まえがき――『ハーバード見聞録』の由来(23年1月17日)
l まえがきのまえがき
以下連載するエッセイは、十数年前自衛隊を定年退職した、還暦に近い老人の、二年間にわたるアメリカ・ハーバード大学アジアセンターの上級客員として滞在した間の文字通り「見聞録」である。十数年の時間は経っているが、アメリカの実像を見る上ではいささかも陳腐化していないと自負する次第である。
私は、2005年3月、陸上自衛隊西部方面総監部・幕僚長(熊本県健軍駐屯地)を最後に定年退官した。陸上幕僚監部の配慮で山田洋行社の顧問に採用していただいた。
そして、同年6月には、ハーバード大学アジアセンターの上級客員研究員として妻と共にアメリカのボストンに赴き、約2年間滞在した。ボストンの住処は、1979年に『ジャパン・アズ・ナンバーワン』――日本でベストセラーになった――の著者・ハーバード大学教授のエズラ・ファイヴェル・ヴォーゲル氏邸の三階の屋根裏部屋だった。ジャパンハンドラーの一人と言われるヴォーゲル教授の生きざまを屋根裏部屋から興味深く拝見した。
上級客員研究員としての私には、特にノルマなどはなかった。ハーバード大学とマサチューセッツ工科大学の授業やセミナーには自由に参加できる特権を頂き、オフィスまで提供してくれた。
私は、自分でノルマを決めた。まずは勉強すること。当時健在だったハンチントン教授をはじめジョセフ・ナイ教授などの授業をかたっぱしから受講した。高齢のハンチントン教授が熱弁をふるう姿は今も忘れられない。
世界有数のWidener図書館にも通った。本を見るというよりも、図書館の雰囲気に浸れることが意義深く思われた。同図書館の張り紙に書かれているという勉学への恪勤精励を勧めるプラグマティズムに根付く20の箴言に、還暦間近の老人の心も青年の頃に引き戻されたような気がした。
今居眠りすればあなたは夢をみる。今学習すれば、あなたは夢が叶う
あなたが無駄にした今日はどれだけの人が願っても叶わなかった未来である
勉強に励む苦しさは今だけであり、勉強しなかった苦しさは一生続く。
明日やるのではなく今日やろう。
時間は絶えず去りつつある。
学習は時間がないからできないものではなく、努力が欠くからできないものである。
幸福には順位はないが、成功には順位がある。
学習は人生の全てではないが、人生の一部として続くものである。
学習する事が人生の全てとは言わないが、学習すらできぬものに何ができるのであろうか。
人より早く起き、人より努力して、初めて成功の味を真に噛みしめる事ができる。
怠惰な人が成功する事は決してない、真に成功を収める者は徹底した自己管理と忍耐力が必須である。
時間が過ぎるのはとてもはやい。
今の涎は将来の涙となる。
犬の様に学び、紳士の様に遊べ。
今日歩けば、明日は走るしかない。
一番現実的な人は、自分の未来に投資する。
教育の優劣が収入の優劣 。
過ぎ去った今日は二度と帰ってこない。
今この瞬間も相手は読書をして力を身につけている。
努力無しに結果無し。
アルフレッド・セイヤー・マハンの著作『海上権力史論』を原文で読んで見たいと思い、ハーバード大学のWidener図書館に行って見た。『The Influence of Sea Power upon the French Revolution and Empire,1793~1812』を借りることができた。この本は、1892年にLittle Brown社から出版された初版本そのもので、これを手にした時はなんだかマハン提督に直接出会ったような気がして、本当に感動した。
私が決めたもう一つのノルマは、自分の目と耳でアメリカを“偵察”することであった。陸上自衛隊で最も長くかかわったインテリジェンスの仕事の延長として、何の予断もなくハーバード大学を中心としたアメリカを観察した。勿論新聞テレビでアメリカ全土での出来事を興味深く観察した。大西洋を横断して、アメリカの源流であるヨーロッパ(イタリアとスペイン)も訪ねた。そして、見たこと、感じ・考えたこと、興味を持ったことなどを素直に書き留めることとした。
こうしてでき上ったのが『ハーバード見聞録』である。『ハーバード見聞録』は、インテリジェンス専門の退役将軍自らが一人の偵察斥候になり、ボストン・ハーバードを中心に、直接、新鮮な眼差しでアメリカを観察した――という意義がある。
アメリカ滞在の間、『ハーバード見聞録』を一編書き上げるたびに、日本はもとより、アメリカに留学中(修士課程)の友人にもメールで届け、コメントを頂くのを励みとしていた。その読者の中で最も熱心に読んでいただいたのが土井秀文氏(当時、ハーバード大ケネディスクールを修了後西海岸に移り、スタンフォード大学ビジネススクールに留学中、現在は日本でIT分野のロビイストとして活躍)であった。今回、ダイレクト出版のメルマガで『ハーバード見聞録』を連載することを聞き及ばれ、当時一編毎にファイルしていた『ハーバード見聞録』を読み直され、以下のような過分のお言葉を頂いた。
「15年経って、世界は閣下が書かれていたとおりの方向に、概ね推移してきていることに、ご慧眼に敬意を表するとともに、慨嘆を禁じえません。というのは、「概ね」の部分で、我が国だけが、未だ憲法改正もなしえず変わらぬままで、ボストンでご執筆の時点(2005~06年)と比べて進捗したのは、どうにか航空母艦を手に入れようとしつつあることくらいでしょうか?」
フランスのアレクシ・ド・トクヴィルは、ジャクソン大統領時代のアメリカに渡り、諸地方を見聞しては自由・平等を追求する新たな価値観をもとに生きる人々の様子を克明に記述した『アメリカの民主政治』を著した。同著は、1830年代のアメリカの強さ・弱さについて論じた古典的アメリカ論である。
それに比肩するつもりはないが、『ハーバード見聞録』も、一人の自衛官OBが見た、2000年代初頭における一種のアメリカ論だと思う。
トランプ登場以来、「あれ、アメリカとは何だったっけ?」と感じる向きが増えた。建国2000年余の多民族国家アメリカは、ダイナミックに変化しており、様々な相貌を持っている。
米中覇権争いが深刻化する今日、「日米同盟」に国家の安全を託す日本は、アメリカについての理解を深めることが今日格別重要だ。本稿は、このようなタイミングに、アメリカを理解するうえで、いささかでもお役に立てばと、メルマガに連載する運びとなった。
以後、約1年間にわたりこの『ハーバード見聞録』を皆様にお送りすることとしたい。
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