ハーバード見聞録(57)

「ハーバード見聞録」のいわれ
「ハーバード見聞録」は、自衛隊退官直後の2005年から07年までの間のハーバード大学アジアセンター上級客員研究員時代に書いたものである。

 以下の稿は、ロバート・ロス教授の論文『平和の地政学、21世紀の東アジア』の「要旨と若干の所見」に引き続き、「抄訳」を4回に分けて紹介するものである。今週はその第3回目で「第3節 中国と米国:将来の超大国としてのライバル」の抄訳を掲載する。


第3回
「第3節 中国と米国:将来の超大国としてのライバル」(2月13日)

第3節 中国と米国:将来の超大国としてのライバル

台頭する中国を巡る論議は、中国が既に二極構造の中で一方の超大国である事実だけでなく、唯一中国が米国の海軍力の優位に挑戦することによってのみ東アジア地域を不安定化することが可能であるという理解を解り難くしている。同様に、中国の台頭に対する米国の懸念は、東アジアの覇権を巡り、米国のみが中国と競争し、その影響力を低下させることにより、この地域における中国の覇権確立を阻止する潜在能力を有しているという事実を解り難くしている。中国の覇権確立を阻止することは、米国以外のどの国も出来ない。東アジア地域が引き続き安定しているか否かは、米中両超大国が双方の支配地域に対し進入するための戦略的能力を発展させようとする大望(aspirations)を持っているかどうかに懸かっている。

・中国の覇権追求に及ぼす地勢の影響

日本と異なり、中国は経済発展と戦略的自給圏を支えるための天然資源を有している。中国は今や主要な貿易国であり、国際市場と国際資本の活用を年々増加させている。中国の輸出産業は国内の多くの地域経済を支配し、中国の産業基盤とインフラを近代化するために必要な資本と技術の多くを賄っている。それにもかかわらず、もし中国の近代化が成功しても、海外の資源への依存度は比較的低いレベルで同国の経済を維持して行ける。

中国の外国産石油の消費量は増加しているものの、同国は、世界最大の石炭の埋蔵量を有している。これらの石炭の埋蔵地域は内陸部の交通の不便なところにあるが、経済の近代化に伴い中国の国内インフラが改善されれば、これらの埋蔵されている石炭に対する交通アクセスが確保され、安価で確実なエネルギー源になるだろう。石炭は21世紀まで十分に主要なエネルギーたりうるであろう。それだけではなく、更なる資本投資と先進技術により、中国は新疆ウイグル自治区県(訳者注:中国山西省南西部、汾河の下流にある県)に埋蔵されている未開発の石油を掘削することが出来るだろう。

中国は、将来長期に亘り、海外の資源市場には最小限しか依存せず、最小限の輸入資源によって賄うだろう。中国の近代化政策が続けば、中国の巨大な人口による購買力の向上は、ハイテク・資本集約的産業の育成を支えることを可能にするだろう。その上、中国の巨大な人口は、最小限の海外からの投資により、最大限の労働生産性をもたらすだろう。中国の労働コストが上昇した場合は、米国や日本の企業がそうせざるを得なかったように、安いコストを求めて、中国の国外に向かって移動するよりも、中国企業は市場の力学に従い、無尽蔵で安く比較的頼り甲斐のある労働力を獲得するために、更に中国の内陸部に移動する事が可能である。

中国は、戦略的な自給自足圏に必要な天然資源及び人口資源を有しているのみならず、海軍力に不可欠な要素である生産的で安全な「ホームベース(根拠地)」を維持するために必要な戦略的な縦深性(広大な国土面積と国内交通・通信網によりもたらされる)を持っている。日本が、列島であるという地勢上の成り立ちにより、海上からの攻撃に対して資産・資源や工業が無防備であるのとは対照的に、中国は大陸であるという地勢上の理由で、地上配備および空母から発進する敵の航空攻撃から、海岸線や国境から遠く比較的安全な内陸部に工業基地を開発することが可能である。

毛沢東主席は中国の「内奥地域」の戦略的な重要性を理解していた。1960年代中期から1970年代初めにかけて、米中間及び中ソ間の対立が最も激しかった頃、毛沢東主席は、中国の工業施設を「内奥地域」に移動することを命じた。この工業の「第三戦線論」は毛沢東の安全保障戦略の重要な要素であった。

このような観点から、中国はかって(新たに台頭した)ドイツやソ連が行ったのと同じように、東アジアの現在の安定に対し挑戦する潜在力を有している。もしドイツが第一次世界大戦に勝っていたら、ドイツは史上最も広範囲な基地に依拠した海軍力を建設していたであろう。地政学上の用語で表現するならば、冷戦の間、ソ連がもし西ヨーロッパを支配していれば、ソ連は自国の海軍戦力のために、ソ連が接する海洋へのアクセスを拓き、ソ連の覇権を地中海とその沿岸並びに中近東に確立することを容易に出来たであろうに。

このように、米国が東アジアの安定にとって最も可能性のある挑戦者として、中国に注目するのは当然な事である。中国は、米国の海軍戦力及び東アジアにおける二極構造に挑戦できると考えられる唯一の国家である。

・米国による支配(覇権)能力の持続

太平洋によりアメリカが東アジアから距離的に隔絶していることと、アメリカが隣接している国境の国々(カナダとメキシコ)はアメリカよりも弱いために国境が安全である――という二つの理由により、米国は軍事力を戦略的に外国から離隔して整備するとともに、遠隔地に対する投入戦力としては海軍力に戦略上の資源を集中している。

東アジアの国の中にはアメリカと同様の特性を有する国は無い。上記の地政学的要素に加え、アメリカは国土が広く固有の資源を有している。中国と同様に、米国は内陸部で資源を開拓し、工業を開発することが出来、もし、敵国の海軍が米国の沿岸まで到達できたとしても、米国の内陸部は敵海軍の射程・航続距離の外にある。

米国は、大陸国家であると共に島嶼国家である。同様に重要なことは、米国は――ソ連とは異なり、中国とは同様に――内陸部の安全な所に、海軍・航空戦力を造成するための資源・資産(resources)を持っているが、これは①人口密集地域、と②十分な産業インフラが内陸部地域から沿岸地域に亘って連続的に発展することを可能ならしめる気候と地勢によりもたらされるものである。

米国の戦略的な「強み」は、海洋戦力の保有を可能にすることだけではなく、ユーラシア大陸の敵対国に対し太平洋を越えて米国の海・空軍戦力を投射できることである。第二次世界大戦における米国の成功は、敵の陸上戦力に対し米国の海上戦力を指向してもたらされたものであった。ドイツのUボートの脅威がひとたび除去されるや、ドイツなどの脅威から安全な米国の造船業は、米国と連合国に対し際限の無い船舶の補給を行った。

しかし、第二次世界大戦は海洋戦力のみで勝った訳ではない。米国の航空機が米国内の安全な場所で生産され、英国に配備され、これを使用してドイツの工業施設を爆撃した。この爆撃により、ドイツの生産力は低下し、ドイツは航空機をドイツ本土防衛に当てざるを得なくなった。このため、ドイツは東部及び西部戦線に対する航空支援が低下した。

ノルマンディー上陸作戦時は、1万2000機もの連合軍機が300機のドイツ軍機と交戦した。これは、敵の航空攻撃に対するドイツ経済の地勢上の弱点を反映したものである。

アメリカの「安全な内陸部」の話は、アメリカの戦略上の優位性を語る上では半分でしかない。アメリカには、もう一つ優れた「経済資産」がある。1941年(日米開戦の年)、米国は他の国々の工業力の生産を合わせた以上の鉄鋼、アルミニウム、石油及び自動車を生産した。1940年には、軍艦を除けば米国の軍事生産は僅かなものであった。しかし、1年後の1941年には、枢軸国全部を合わせたよりも多くの航空機、戦車及び重火砲を生産していた。第二次世界大戦末の時点では、米国の主要艦艇の生産は、日本の16倍であった。 

ドイツは、二正面作戦で戦力を低下させてしまった。アメリカの場合も二正面作戦を実施したが、何の問題・制約も生じなかった。まさに、ロシア、英国はもとより、ドイツも第二次世界大戦の大半を一正面だけで戦う事に腐心したが、米国は二正面戦争を成功裏に遂行した。

冷戦直後は暫くの間、米国は陸上及び海上の両方で作戦するための巨大な軍事力を整備すると言う歴史的に見てユニークな立場にある。米国は、最少限、今後四半世紀は、この軍事的優位を維持することが出来るだろう。ある購買力平価方法論によれば、中国経済は、相対的に一定の伸びを示すことが予測されているが、同じ方法論によれば、米国の経済的な優位性は引き続き持続すると予測している。更に、米国経済は他国に依存しなくても良いと言う強みを持っている。米国の巨大な人口及び高い開発力があれば、海外市場へのアクセスを無くすことになっても、内需が米国の工業を下支えするであろう。1997年、米国の輸出は僅か12パーセントしかGDPに貢献しなかった。1995年の統計では世界で僅か4カ国のみが、輸出がGDPに占める割合が米国よりも小さかった。

エネルギー資源の輸入への依存度は更に複雑だ。1995年、米国のエネルギー消費の約25パーセントが輸入石油であった。自動車が石油製品の主な消費者である。重要な工業は、石油や水力発電を含む米国内の資源に依存している。全体として米国の海外エネルギー資源への依存度は、中国を除き他の主要国に比べ最も少ない。例えば、日本は、1997年エネルギー需要の60パーセント近くを輸入石油に依存している。更に言えば、米国内の石炭と石油の埋蔵はかなりの量がある。

東アジアにおいて、米国は絶対的または相対的意味で弱体化しつつあるパワーではない。米国は、二極構造の中で一方の超大国であり、次の四半世紀においてもそうであり続けることだろう。

米国は、強力な海軍力を保有すると共に、戦略的縦深性を備え、太平・大西洋によりユーラシア大陸から隔絶されている。このことが、中国大陸沿岸海域を支配し、中国を含む世界のいかなる国に対しても、米海・空軍に対するリスクを最小限に留めつつ、空中・宇宙を突破してこれらの諸外国に侵入することができる。これら米海軍・空軍の能力が、競争相手の強大国(中国)の海洋戦力を制圧し、海外の友好・同盟国や資源から封じ込めることを可能ならしめる。

また、一方では、米海・空軍の力が海外の資源に対し米国独自のアクセスを確保する。更には、戦略核戦力の優位性が米国本土に対する報復のリスクを最小限にして、上記の軍事活動を実行することを可能にしている。米国は、次の四半世紀に亘り、これらの戦力・能力を保有し続けるであろう。
米国が中国に対し疑惑の目を向けるのと同様に中国が米国に対し疑惑を抱くのは当然である。米国のみが中国の領土の保全に挑戦しうる唯一のパワー・勢力である。


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