「いのちのよろこび」の前の戸惑い
コロナのおかげで気づいたことが色々あった。一番は、生きているってすごい、ということだ。
恐怖におびえている時、桃色に咲きほこる桜、川を飛びはねるボラ、日向で居眠りする猫、青い空。変わらずにある姿に心がなごんだ。いのちがいのちを励ます。ねえねえ、楽しくない?って誘われているかのよう。動物や植物とは言葉はつうじなくても、澄んだ世界では力はめぐって、つながっている。
そして社会的な成功ははかない。こんなにもウイルスで状況が一変してしまう。安定的に成長していた企業も一気に下降曲線。
もちろん、信頼している人たちが今日も生きてて声を聞ける安心感。
今、生きているならそれが最大じゃねーか?、体が今日も動く仕組みさえわかってないのに、仕事が終わってないとか、ツイッターのフォロワーが増えないとか、小さな箱の中でイジイジしてたわ、ああ、ごめんなさいって思ったのです。
思えば、一年くらい前から、私の気づきはそこに向かっていた。昨年書いたnoteのタイトルは「いのちのよろこび」だった。
同名の、でんぱ組.incの曲を聞いたときのことを書いた。その歌詞はこうだ。
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僕らが生きてるこの星はめっちゃ最高
愛とはなんじゃ命とはなんじゃこの高ぶった感情はいったいなんなんじゃ
初めて触れた 生きている証し ずっと今世も来世も続くのさ
人類は皆 動物は皆 自然も草木も繋がっているから なんもかんも超えて信じあえたなら それが素敵な素敵なあいするよろこび
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昨年からずっと、存在そのものの価値、いのちのよろこび、といったものに向かって、気づきを重ねていたのだなと思う。
でも戸惑いがある。
ずっと昔、誕生日のカードに「そのままの木村さんでいてください」と書いてくれた友達がいた。私は、この子は心が綺麗なんだろうなと思うと同時に、きれいごとだなーって思ったんだ。
「生きているものがそれだけで美しくて愛に満ちている」って言われたところで、宗教ですか?だまそうとしているのか?と疑いたくなる。未来にむかって努力しなさい、目標をもって達成していきなさい、と教えられてきたからだ。これまで受けた教育も、メディアの論調も、社会のあり方も、今生きている喜びよりももっと重要な価値があるかのように言ってなかった??人間は動物なんかよりもえらいんだよね??
命そのものがすごいと思うと、戸惑いをかくせない。嬉しい戸惑いだ。変化の前の戸惑いだ。この視点で社会のあり方をいろいろ問い直したい。生きている喜びをどうせなら、もっとウッシャーッって表現したい。
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