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旅の目的地は本屋です 

そこにあるのは本屋の概念を少しはみ出した場所。パワースポットのように空気を吸いに出かけていく。

松本の栞日に行きました。

先日、松本の栞日(しおりび)という本屋に行きました。青春18切符が余っているという友人と片道5時間の電車旅です。

松本駅からの通りをまっすぐ進み、美術館を超えた先に銭湯がありました。前知識では栞日は銭湯も経営しているとのこと。

「ほら、向こう側にあったよ。高橋ラジオ商会。」

友人が気づいてくれました。そう、ここが栞日さんです。

遠目からは掛かったままの前の店の看板が目立ちます。小さな立て看板に控えめに「栞日」とあります。

一階のカフェでコーヒーとソイラテを注文。

細い階段を慎重にのぼって2階へ。
そこには木箱がランダムに重なっていて、秘密基地のような、はたまたアンティークショップのような空間が広がっていました。

本がずらっと並んでいるイメージをしていたので、拍子抜けし同時に新鮮です。歩き回りながら徐々に慣れていきます。

座った窓辺の席は昔の学習机のような質素な作り。しばらくするとお猪口に入ったコーヒーとソイラテが出てきて、ソイラテは自宅で作ったような味がしました。

この日2階は人がいなくてゆったり。友人は「この場所、すごくリラックスできた」と満足そうにしていました。

反対に私はというと好奇心が刺激されて始終うろちょろ。なんといっても、ここにある本たちが独特なのです。

料理やまちや日記に関する本で、ジャンルとしては生活まわりで一般的なのに、他の本屋では全く見たことがないような本や初めて見る雑誌ばかり。

こんな本あるんだあ、と一つ一つが物珍しい。すまし顔で置いてあるのでとっつきにくいけれども、読み始めたら夢中になってしまいそう。


今思い出すと、あの本棚をもう一度見てみたくなります。

一般的に流通しないような独立系の本や付き合いのある作者の本を直接仕入れているそうです。

本の選び方には繊細な感性が光っています。人に言えない痛みを感じ取ってくれる友達のようにこの本屋を密かに大切にする人がいるはずです。

しかしその一方で、栞日は銭湯やドミトリーも一緒に経営されたり、カフェには松本土産も置いてあったりと、観光客も意識していて街に開けた感覚もふんだんにあります。

そのバランスがユニークでセンスを感じます。

松本土産の一冊


帰りは駅前でお蕎麦を食べてとんぼ返り。さすが松本、駅前の蕎麦屋もおいしいですね。

松本土産はこの一冊、『恥ずかしい料理』。新刊とは思えないボロボロ感があるけど、7人の台所の物語が綴られていて、文も写真もすごくよかった!


本屋を目指して旅に出る


こんな風に本屋を目指して旅に出ることはありますか?

私の場合、思い返すと旅と本屋は近い関係にあり、遠いところだと大分市のカモシカ書店、近場だと鎌倉の古書くんぷう堂。まだ行けていませんが、熊本の橙書店や京都の恵文社一乗寺店も行ってみたい。

また旅先で偶然、素敵な本屋に出会うこともあり、一度noteでも紹介しました。

本屋といってもカフェやギャラリーが一体となっていることが多く、本屋の概念を少しはみ出した場所。

そもそも別に本を探しにいく訳ではないんです。いい本に出会いたいという期待すらしていない。訪ねた記念にお土産として本を買います。

何をしに行っているんだろう

こうなってくると本屋の空気を吸いに行っているのだと思います。

小さい頃、文庫に通っていたので本に囲まれた場所が懐かしいし、本を眺めるだけでよい自由さに、神社や公園に似た、甘えたくなる優しさを感じます。

そして、本屋の経営が厳しい時代に、選び抜いた本を並べて店として成り立たせそうとするのは、際どい挑戦だなと思うのです。熱い思いだけじゃなくて、表現力を磨いたり、空間づくりに汗をかいたり、数字と睨めっこしたり、スタッフと喧嘩したり、本屋とは言えないことをやってみたり、きっと積み重ねの日々があったと想像します。

だから、今ここにある、というのはそれぞれに固有の物語で、作品なのです。
そのあり方を観察して勇気をもらい勝手に励まされているのです。こんな場所を作ってくれてあっぱれ、そして、ありがとう。

これからも本屋を目指して旅をして、鞄やスーツケースに本を詰めて帰ってきたいです。

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