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心に宿る生き物をつくる人たち よしもとばななさんのこと

作家のよしもとばななさんは恩人だ。なぜなら小説の主人公に生き方を教わったから。

23歳のとき初めて作品を読み、それから、エッセイ、小説、片っ端から集めて読んだ。その度に泣いた。

彼女の作品は「癒し」という言葉で表現される。私の場合「傷を発見する」効果があった。

「なんでこんな涙が出るんだろう。もしや傷ついてきたのか。わー、知らなかった。」

小説の登場人物たちは自分の感じるところにすごく正直だった。違和感があれば立ち止まるし、離れるし、逆に周りが何をいおうといいなと思うものには素直に惚れていた。感じることを大事にしていた。

一方で、私には急ぎたくないところで急いでしまう、うんと言いたくないところで受け入れてしまう、乱暴な言い分を笑って受けながす、そんな側面があった。

大人なのだから当たり前に甘受すべきと思っていたが、何も感じないような平気なツラしてやりすごしてきたことに傷ついてきたのだ。

「あの時無視してごめん、遅ればせながら泣いてもいいよ、本当は怒ってもよい場面だったのかもしれないね。」自分に言った。

小説を通して人生を巻き戻しながら深いところで感じていたことを拾っていった。そうやって小説の世界を取りいれて、生き方を軌道修正した。

取るに足らないことだと思っていた感受性は生きる羅針盤になる。違和感は尊重してよいんだ。むしろ、そういうことに丁寧に向き合える人の方が大人なんだ。心を開いて、よく感じて本当のことを見極める。武術のように真剣ででもとても穏やかなやり方があるんだ。

これは今も私のベースになっている。

こんなにも一人の作家の小説に人生を救われたことに驚く。すごいパワーだ。

さらに驚くのは実は作家が意図したとおりだったことだ。

よしもとさんはこんな趣旨のことを言っている。

ある一定の傾向を持った繊細な人たちにとっての、生き方のHOWTO本を書いている。主人公の生き方を通して、その人たちが生きていきやすくなるようにしたい。小説に対して批判的な意見があったけれども、小説を抱きしめながら読んでくれる人たちが、少ないけれど世界中にいることがわかっていたから、そこに向けて書いている。

感動してしまった。なぜなら彼女の意図の通りだから。私は「ある一定の傾向を持った人」で、まさに小説を通して生き方を教わった。作家が込めた意図が鮮やかに狙い通りに伝わっている。なんていうことだろう、必殺仕事人だ。ピタリと狙い撃ち! 

だから「最高の仕事」というと私はいつも、よしもとさんのことを思い浮かべる。

最近思う。創造物が人の心に届いた時にどんな風に作用するか、手に取るように見える作り手がいるのではないか。よしもとさんだけじゃない、例えばマイケルジャクソンや宮崎駿さんや新海誠さんもそうかも。

それは作品という形で、心に宿る「生き物」を生みだす感覚に近いのかもしれない。天の与えた才能か、鍛錬が生み出す境地なのか。凡人にはわからない。

でも少しだけ希望がもてるのは、人を救うものをつくる人には人を救いたいという願いがある。意図は伝わっている。そういう意味では世の中も捨てたものではないし、足元にもおよばない方々の素晴らしい仕事の恩恵を味わいながら、持ち場で前を向こうと思う。




    

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