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昭和ノスタルジーってどうなの?? 熱海でもやもや考えた

熱海に初めて一泊してみて、ざわざわとした複雑な気持ちで帰宅した。

海岸線をびっしり埋め尽くすようなビルやホテルの密集ぶりや、手入れされていない老朽化した建物をみて、正直、胸糞悪くなった。

ここを昭和レトロだと楽しむ人も多いようだが、そんな気持ちになれない。

私には、無防備で優しい温泉地だった場所が、でっかい昭和の圧に押しつぶされているような気がしてイライラした。若者たちがそぞろ歩きをしている。どのあたりが面白いと思っているのかしら。


谷崎潤一郎の『台所太平記』に物静かな環境の別荘地だったころの熱海が登場してくる。

自然豊かな環境の中に、熱海銀座商店街だけには商店や映画館があり人が集まってきている様子がよくわかる。終戦後のことである。

それから急速に旅館や芸者屋ができ、歓楽境となっていく。

さらに高度経済成長期には宴会接待型の団体客を大量に受け入れる。バブル崩壊とともに閑古鳥がなき衰退したところ、また最近、観光客がV字回復しているというのが現状であるらしい。

熱海再生の立役者と言われる市来広一郎さんの本も拝読すると、住民の熱海への愛着がきわめて低かったので、地元の人が熱海の良さを知るツアーを開催するところから始めそうだ。

地道で素晴らしい取り組みだなと思う一方で、
街をおおう昭和の遺構に比べて、あまりに現代の希望が手作り的でささやかな気がして、悔しいような、打ちのめさめるような気持ちになった。

もちろん、素敵なところもあった。

温泉街を流れる糸川では、両岸からブーゲンビリアが咲いて水鳥がくつろいでいた。

あちこちで湯気が立ち上がる様子は贅沢だし、温泉は優しくて気持ちがいい。

熱海芸妓見番を訪ねると、エプロン姿の飾らない女性が事務所から出てきて、中を案内してくれた。

稽古場ではちょうど練習が終わったところで、数人の芸者さんが先生に指導の礼を言っている。

2階のふすまの上に芸妓さんの顔写真が収まった額がずらっと並んでいて、そのうちの一枚を指差し、私はあれよ、という。横目でお顔を確認し、さすがの変身ぶりに一瞬絶句。この方も芸者さんだったのか!

そこから、彼女の人生と熱海の芸妓屋の歴史を聞いた。


さらには、通りがかりで背伸びして入ったフレンチレストランもよかった。個人店のぬくもりとフレンチの緊張感のバランスが心地よい。店内の雰囲気から、客に愛されてきたことが伝わってくるし、別荘地にはこういう店があるのだなと納得した。


坂道を上がって来宮神社に向かう。神社を抱くように巨木が存在している。

境内には撮影スポット、カフェが何箇所か、土産処があり、デザインが洗練されている。神社のグッズもあまなくおしゃれ!さながら星野リゾート風の神社だ。ここは居心地がよく長居した。


熱海らしい坂道。


というわけで、印象に残る場所もあった。

しかし、それは宝探しの感覚で、全体としては重たい気持ちになった。

海に近い一帯を埋め尽くすように建てられた旅館やホテル。

開発に自然への配慮がなく、競うように土地の資源を奪っていっているみたい。

「大衆」がいて、団体旅行で数が稼げて、ホテルに宴会で旅が済んだ時代の遺構を残したままの街。

全部壊せ、とは思わないけれど、昭和レトロと言って、もう2度とやってこない昔を懐かしんでいるのは、次の行き先が見えないことの裏返しじゃないか。もっとこの時代をもっと突き放してみた方がいいんじゃないか。

そんな気持ちになって帰ってきた。

私は日頃から、アーケードのある昭和っぽい商店街でまちづくりの活動していて、だから余計に考えてしまうのかもしれない。

かつての賑わいとどう向き合うのか。残されたものがある中でどう未来を描くのか、一体何が希望なのか、ということについて。

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