見出し画像

書く効能 カウンセリングをやめたら書き始めた話

数年前に離婚しようと決めたとき、辛くても迷ってもカウンセリングや占いには頼らないと自分に約束した。

これまで心理カウンセリングに2年通っていた。1回4万もするサイキック(霊能的)カウンセリングにも行った。

いずれもプロだったからサービスには満足した。けれども付き合いが長くなるうちに煮え切らない感覚がたまっていった。

カウンセラーから違うと思います、と言われると違う気がした。これまで寄り添って理解してくれたからこそ反論しにくかった。本来ならカウンセラーは意見は言わないのだけど、長い付き合いになってくると向こうも境界線を踏み越えてきている気がした。

「本当のところは自分の力で決めたいんだな。」

それがカウンセリングをやめたときの結論だった。ある程度回復したので次のステップに行きたいというサインでもあったと思う。

しかし、誰しもそうだろうが、いざと離婚となると生活環境が激変した。色々な障害に感受性が日々敏感になり、電車に乗るのも怖くなったり、妙なタイミングで思い出し泣きをしたりと、毎日地面が揺れているようで、心のバランスが取れなくなった。

そして、ある時思いついた。台所で味噌汁を作っている時だった。そうだ、この気持ちを書いてみよう。そうイメージした途端、地面にすーっと錨を下したような気分になった。気持ちの揺れに振り回されずに立っていられる気がした。

それからNOTEを使い始めて定期的に書くようになった。もう4年くらい経つ。

今、書くことの効能を何よりも感じている。

書くというのはカウンセリングに似ている。人に聞いてもらうことで気持ちを自覚できるのがカウンセリングならば、自分で自分に聞いていくのが書くことだ。

”もしもし?あの時、何を考えていたの?どんな気分だったの?”

一つ一つ尋ねていく。言葉を当てていく。しっくりした言葉が出るまで悩む。なんだか、傾聴に似ている。

忙しい日々の中では、心にひっかかることや悲しいことがあったとしてもやり過ごしてしまうものだけれど、書く時はそこに向き合える。感覚を言葉にしたりそれを文章として整理したりするうちに、混乱が収まってくると同時に、自分なりの主張や次への流れが見えてくる。そうして気分も明るくなってくる。

感じていることを言葉にし続けていると、気持ちを無視しないという態度に、自分を信頼できるようになる。そのうちに感覚が研ぎすまされ、決める力もついてくるように思う。

さらに良いのはいつでもどこでもできること。人にも環境にも依存しない。やるかやらないかだけでとても自由だ。

だから私は書き続ける。書く時間が自分らしく立つために欠かすことができないものになっている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?