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「たなぐらマルシェ」から「つくのつくるのマルシェ」へ。3年間を振り返る。

横浜市鶴見区つくの商店街の空き店舗で「たなぐらマルシェ」を初めて3年。毎月1回、30回以上開催してきて、この度「つくのつくるのマルシェ」に変わります。今回は改名記念スペシャルと題し、3年間を振り返ります。

●「マルシェ」の始まり

前に店長を勤めていた店が商店街の中ほどにありました。閉店することになり、店を借りることはできないが毎月の市ならできると考えて始めました。以前の店はアンテナショップで、福島県棚倉町他の特産品を販売していました。商品を購入してくれるお客様や店のファンを絶やしたくなく、「たなぐらマルシェ」という形で同じ商店街に顔を出し続けることを決めました。2017年のことです。

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それから3年。マルシェという割にオシャレ感ない、進化ない、利益もない、と悩みつつ、やれば楽しく終わればまた悩む。その繰り返しでした。

●それでも3年続いた理由を分析する。

・福島県棚倉町の特産品を応援しPRするというミッションと予算があった。
・無償にちかい形で労力を提供してくれる人がいた。
(売り子をしてくれる人、荷物を運んでくれる人)
・毎回来てくれる常連さんや商店街の人がいた。
・市をたて人が集まり物を売ることに喜びがあった。良いものを紹介する喜び。
・頻度が月1回。とりあえず最低限のもので顔を出し続ければ良いことにした。

振りかえると、福島で物をつくる人・送ってくれる人・一緒に売る人・買ってくれる人。極めて「人との関係性」に支えられて続いてきました。ボランティアではなく仕事でしたが、毎月続けられたのは、顔の見える人たちと関係性がそこにあったからだと思います。

また、商店街全体を盛り上げようといった思いは一旦忘れました。商店主にも色々な考えの方がいるし、みなさん自店を回すのに苦労されていることは知っていたので、私も出来る範囲内で出来ることをここで淡々と続けるスタンスでした。持ち前の馬力のなさと、プライベートでもいろいろあり、精一杯でもありました。

●限界と出会い

しかし、今後も続けるならば一つの町の特産品だけを売り続けるのは限界。単調になり飽きられるし、粛々とやってきたデメリットで限られた人に運営の負担がいく。枠組みを変えてリフレッシュしたいのに、今後の展望ははっきりしない。。。

そんな頃に出会ったのが株式会社まちいろぐみの大隅隆雄さんです(写真左の食べている人)。鶴見で出会い、偶然にも私と同じで福島と関わりがあり、まちづくり関連の仕事をし、商店街に買い物に行く消費者でもありました。共通点の多い彼が商店街のお店を回るツアーに参加してくれたことをきっかけに相談をしました。

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●「つくのつくるのマルシェ」へ

その結果「つくのつくるのマルシェ」としてリニューアルします。名前もロゴも大隈さんがプレゼントしてくれました。最初に聞いた時、面白いなーと思いました。新しい名前とロゴに導かれて、少し爽やかな風が吹く予感がしました。

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では、次はネーミングとロゴに込められた思いを聞きながら、未来を想像します。(つづく)

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