「わがまま」入門
みんなの「わがまま」入門という本が今までにない切り口でおもしろかったので紹介します。
「変わってる」と言われたり、自分ってわがままかも…と思っている方にオススメです。勇気が出るので(笑)
1、私たちが「わがまま」を言えない理由
・「ふつう幻想」が「ずるい」をつくる
「ふつう幻想」に沿ってない人の行動を、私たちは個人的で自己中心的な「わがまま」だと思ってしまいがち。
日本が30人の教室とすると
・ひとり親世帯の人は2人
・発達障害の可能性がある人は2人
・LGBTの人は3人
・貧困状態にある人は5人
・世帯収入1000万円以上の人は3人
・外国籍の人は1人
一見同じように見えるだけで、イメージされている「ふつう」は相当無理して維持されています。
昔は、悩みが共通していることが多かったから、みんなで共通の悩みについて声を上げればそれは「わがまま」ではなかったですが
現代は、人々が多様化したことで、悩みが個人化していて、まわりの人と簡単にその痛みを分かち合えない。
だから声を出した人々を「わがまま」「ずるい」と感じてしまうし、私たちは我慢することを選んでしまうのです。
ふつうが何かわからないから、わがままも言えなくなるんですよね。
2、「わがまま」は社会の処方箋
・わがままはきっかけづくり
わがままはきっかけづくり。社会運動の仕事は、「わがまま」を公の場に出して、隠れた願望や要求を形にして多くの人に伝えること。
「わがまま」には、ただ法律や社会を変えるだけでない多様な意味があります。
3、「わがまま」準備運動
・過激な表現にひるまない
2016年に「保育園落ちた日本死ね」というブログが話題になって、それほど規模は大きくないのですが社会運動になり、実際に政府を動かしました。
聞いてもらえないから激しい表現になる
「死ね」ってなかなか過激な表現ですが、こうした表現を使わざるを得ないほど切羽詰まっており、
丁寧な表現では同じ内容でもだれにも聞いてもらえない。
過激な表現をした結果、多くの人の意識を変え政府を動かしました。
うまく伝えられない怒りを表している
そもそもわかりやすく説明するには高いスキルがいるので、社会的に弱い立場になるほど、勉強の機会が与えられなかったり、理論立てて説明できないがゆえに過激な表現を使った。
どうして過剰な表現になるのか、背景を考えて問題を考えることが大事になります。
4、さて、「わがまま」を言ってみよう
・わがままは直接相手に言わない
不満があったらついつい、自分の身近な人に言ってしまいますがそれでは問題を解決するのは難しそうです。
先ほど紹介した「保育園落ちた日本死ね」も、社会に訴えたから政府が動きました。
人々の支持、お金、情報を集めて社会を動かそうとする社会運動の営みを「動員」といいますが、まちや学校に対するいろいろな人の愛着を「動員」することがわがままを言うときのひとつのコツです。
関係者をうまく味方につけましょう。
・代わりのものをつくってみる
不満があれば代わりのものを自分でつくってみる
私たちの身近なサービスや商品も、もっとこうだったら良いのに…という不満から始まるものも多いです。
例えば、ドラッグストアやスーパーで売っている「ちふれ」(プチプラコスメ)は、社会運動の一つで既存の化粧品が高すぎるということで売り出されました。
5、「わがまま」を「おせっかい」につなげよう
・よそ者だからできることがある
いろんな人が「わがまま」を言うことによって、被害に遭った「当事者」がわかりにくくなるということです。
1980年代に、20000人もの血友病患者が血液製剤にウイルスが含まれていたため、HIVに感染。
HIV/AIDSウイルスは(同性同士の)性的な接触から感染するといううわさがあったため、血液製剤を通してHIV/AIDSウイルスに感染した人々に対しても強い偏見がありました。
そんな状況で感染被害者が表に立って訴訟をしますというと、「感染者だ」とわかるので、被害者が差別されていた当時において、被害者をものすごく生きづらくさせる行為でした。
そんなときに、よそ者が含まれていると、被害者の方も紛れて行動することができました。
自分には関係ないんじゃないか、偽善なんじゃないかと思うかもしれませんが、よそ者だからこそできることがあります。
6、考えたこと
わがまま=悪と思われがちですが、背景を見て必要なときはわがまま言うことも大切です。
私が困っていることは、誰かの困りごとかもしれない。「ふつう幻想」に捉われず、社会(自分のまわり)が楽しくなるきっかけづくりとして「わがまま」を許したいと思います。
※わがままは、セーフとアウトの線引きが難しいので、お気をつけください。
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