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言語学と第二言語習得研究

この記事は、以下のアドベントカレンダーに参加して執筆したものです(すみません、知人でない方が多く、無断で登録、こっそり執筆しました。これを機にお声がけ頂けますととっても喜びます)。

言語学な人々 Advent Calendar 2022 - Adventar

自分自身の懺悔も添えてこの記事を。

この記事は言語学を学んでそれをもとに第二言語習得研究(SLA)をやっている人にとっては今更な話かもしれませんが、この記事が第二言語(L2)に興味のある院生の研究のネタになってくれたり、これを読んで「お、L2やってみっか」って言語学研究者が出現したりしてくれたら幸いです。


SLAは言語学に基づいているか

私がゆる言語学ラジオの第二言語習得回に出演したときに、こういう意見がありました。

まあこれ書いたのは知り合いですけど、なんにせよ話が面白いと言われるのは素直にうれしいことです。

一方で、実はこれまでもちょっと思ってはいましたが、SLAで「一般的にイメージされる」メインストリームっぽく概論書に紹介されている内容って、あまり言語学の問題意識には基づいていないことが多いのではないかなあと思います。そのことを、このYoutubeの内容の打ち合わせの時により明確な形で認識することとなりました。
最初に内容を考える際、「『ゆる言語学ラジオ』っていうんだから、言語(学)に興味のある人が視聴者の大部分を占めるんだろうなあ」と考え、第二言語(L2)を題材にしながらも言語自体の面白い現象を紹介できればと思い、内容を考え始めました。しかし、参考のために目を通した多くのSLA入門書・概論書で紹介されているものは、あまり言語そのものを題材にしていないような話が多いように思いました。というかむしろ、言語学に話を寄せるとSLAから離れていくような気すらしました。

SLA入門書で頻出のテーマは、何らか指導法効果や学習効果に関するものが多いように思います。例えばどの程度直接的・明示的なフィードバックを行うのが効果的かといった比較研究とか、モチベーションや学習ストラテジーを分類する研究、外国語学習適性の研究など。また語彙指導の話題も多いのですが、語彙の言語的特徴とは関係なく主として記憶そのものに関わるテーマが多く、記憶させる対象が別に言語でなくてもよさそうな研究が多い気もします(それが悪いことだとは言ってませんよ、念のため)。また文法にかかわる話題も、文法を文脈と独立させて教えたほうがいいのか、コミュニケーションの中での使用を促したほうがいいのか、といった学習指導環境の話が多く、これらは「他の分野ではこういわれていますが、L2を対象にしてみたらこうでした」といったような、理論的枠組みを他分野から輸入しているものが多く、対象が言語でなくてもあてはまりそうなものも多い印象です(くどいようですがそれが悪いことだとは言ってませんよ、念のため)。

じつは私自身も修士論文までにやっていた研究は、正直言語学に関しては学部レベルの概論の授業くらいわかっていればできるようなものでした。つまり研究の理論的な拠り所が言語学ではなかったということです(しいて言うならば、心理学からアプローチを引っ張ってきてSLAで独自進化したような分野)。そういうこともあって、学生のときは応用言語学以外の「言語学」分野に関しては今思えば「独学や耳学問で触れたことがある」程度で、あまり言語学に熱心に向き合ってきたとは言えない感じだったような気がします。「研究には使わないかもしれないけど、興味あるし、名著といわれるものくらい読んでおくかー」程度の気持ちで読んでいたくらいです。当時は今よりも時間がたくさんあったので。

しかし博士後期課程を終えて就職すると、同僚の研究者には言語学をベースにした研究者が多いという環境を渡り歩くことになりました。このような環境にいたため、「ああ、自分は言語学のことを何も知らないのだなあ」と思い知ることとなり、改めて腰を据えて言語学を勉強することになった、というところがあります。そこから本・論文を読み、東京言語研究所で集中講義や講演に出席したり、オンラインで海外の講演を視聴したりして勉強しましたが、正直もともとあまり胸を張って言語学をやっているといえる感じではなかったです。ちなみに、そんな感じで過ごしたせいで苦労したという話が直前にリンクを張った記事に書いてあります。もっと勉強しておけばよかったと思うことが多いですが、そういういきさつがあったからこそ見えてくることもあるような気もしています。

上で繰り返しているようにSLAが言語学にあまり基づいていない(ように見える)こと、それ自体が悪いこととは言いません。ただ、モチベーションとか語彙の研究者はめちゃめちゃ多い一方で、この状況はちょっとバランスが悪いのかなと思うことはしばしばあります。あと、もしかして、SLA研究は言語指導・学習への示唆を目的とするものというイメージが強く、認知科学としてヒトの第二言語使用を可能にするメカニズムの解明を目的とする分野というイメージが弱いのかもしれないと思います。後者こそが真のSLAであり前者は似非、という主張ではなく、単に個人的に認識している上述の偏りに関する考察です。

また、1970-80年代は結構言語学の問題意識や枠組みから行われた研究が今より割合として大きかった気がするのですが(実際に、SLAの教科書でSLAの歴史を扱う際には大抵、構造主義言語学の話の流れから始まりますし)、徐々に「SLAの言語学離れ」みたいなのが進んできているのではないかと感じています(Gregg, 1993なんかでは「もっと言語学的な説明理論を!」と論じているので、このころには少しずつすでに離れていたのではないかと推測されますが)。これはSLAは「英語教育に役立つ」的な発展の仕方をしてきたことと切っても切り離せない歴史的経緯が絡んできそうですし、そうこうしているうちに、SLA研究の行き詰まりを打破するように社会文化理論や複雑系理論など新たなエピステモロジーが人気を博し始め、より学習者の内的側面を重視するアプローチが影を潜めてきた感があります。新たなエピステモロジーを開拓・検討することは重要でしょうが(むしろ私もそういった話題は好きなほうですが)、むしろ「伝統的」と括られがちな言語学に基づく観点を再考することも新たな研究の突破口になるのではないかとも考えています。

今回は、SLAによくある議論のうち、言語学的な知見を取り入れると有用なんじゃないかなあと思う部分をちょっと考えてみたいと思います。

言語学を第二言語習得研究に位置付けてみる

第二言語習得研と言語学理論の位置づけの現状

よく知られているように、言語学では、大人の発話が不完全なインプットとなっていたり、子どもは発話を訂正されても直そうとしなかったりするのに、大人の文法を非常に分散が小さい形で習得できるという不思議な現象があります(このこと自体への反論もなくはないですが、とりあえず置いておきます)。特に、インプットを受けるだけでは「こういう表現はできる」ことがわかっても「こういう表現ができない」ことを学ぶのは論理的に難しいにもかかわらず、我々は初めて聞く文の非文法性を判断することができます。これは生成文法でよく対象になる問題(プラトンの問題と呼ばれるもの)ですが、第二言語習得でも生成文法ベースの研究は、インプットの中に直接的な証拠が含まれていなかったり、指導を受けたりしないのに習得できるという現象によく焦点を当てて研究しているように思います。これは第二言語現象を対象にして、言語学的理論を通した観察により初めて得られる着眼点だと思います。

個人的な感想ですが、上述のような言語学的観点から提示された問題点に興味を持つ研究者以外の第二言語習得研究者は「教えられていないのにできる」ことより「教えられたのにできない」ことを重点的に研究する傾向があるように思います。私自身、外国語学習の実体験を考えても「なんでこんなにやってるのにできないんだ」というケースが圧倒的に多いし、印象も強いです。「あれ…こんなこともできるッ!」みたいな経験はL2だとそうできないし、そもそも無意識に学んだことなんて自分では後からも気付けないので、自身の語学学習経験から「教えられていないのにできる」ことを発見するのはかなり困難でしょう。しかし、そのような現象がないというわけではありません。このような観察は言語学の理論を学んでいないと、よっぽど天才的に洞察に優れた人以外は可能にならないのではないかと思います。

もちろん言語学の理論は生成文法だけではなく(むしろ私は生成文法に不案内です、すみません)、例えば認知言語学の諸理論に基づいて言語を分析することもできます。前述のプラトンの問題にかかわるものとしては、Goldbergの構文文法などで用いられるentrenchment/preemptionなどが挙げられます。これは肯定証拠としてのインプット情報から間接的否定証拠を抽出する統計的学習で、Goldberg (2019)などの概論書でも比較的わかりやすく述べられています。最近日本語訳も出たみたいです。

言えそうなのに言わないのはなぜか—構文の制約と創造性 (言語学翻訳叢書 21) | アデル・E・ゴールドバーグ, 木原恵美子, 巽智子, 濵野寛子 |本 | 通販 | Amazon

その詳細をここに書いていると面倒くさいとんでもなく長い記事になりそうだったで、なんかわかりやすいブログとかないかなと思ったら、世界のMurakami先生が10年以上前に書かれたブログエントリをみつけましたのでリンクしておきます。このエントリの企画には10年前の自分もクソみたいな記事上げてた記憶が微かにありますが、ちゃんと思い出すとどうせ黒歴史なのでやめておきましょう。

で、この構文文法的なアプローチはSLAの国際ジャーナル上ではたびたび見かけるのですが、国内のL2研究ではほとんど目にしない気がします。コーパスの研究と相性がいいので、コーパスの分析が得意な人にはぜひ取り組まれるといいと思います。私も今これに関連する研究を共同で進めていて、スムーズにいけば来年発表できると思います。

国内外問わず認知言語学を冠するL2研究でよく見るなあと思うアプローチといえば、イメージスキーマでコアミーニングを教えると指導効果が高いという研究で、特に国内のL2だとこのテーマにほとんど限られている気すらします。この種の研究はLangackerの認知文法に大きく依拠しており、L1の研究は国内でも盛んに行われています。しかし、L2でも認知文法で提示された枠組みが有効かどうか、つまり認知文法の述べるような認知的なメカニズムがL2でも同様に働いているかということに関する実証的な研究は、あまり活発には行われてきていないように思います。こっちは私の科研のテーマにも関連するものです。

ちなみにいうまでもないことですが、各種言語理論は「教えられていないのにできる」という現象にだけ説明力があるというわけではないので、「いや別にできるならいいし、できないことが知りたいんだし」ということにはなりません。むしろ、「(教えられた|教えられていない)のに(できる|できない)」のあらゆる組み合わせパターンでL2現象の観察に役立つと思います。

インプットと第二言語習得

以前Youtubeの雑談会で、「クラッシェンのインプット仮説をどう思いますか」と尋ねられたことがありました。

インプットが必要十分条件だという元の意見は批判が多く、インプットが言語習得に必要ということは明らかなのですが(そのインプットがどういう役割を持っているかは各理論で異なりますが)、第二言語習得を冠するウェブ記事みたいなのを除き、これを引いてきて「インプットが大切だ!」と改めて主張するような研究というのは(少なくともSLA上の学術的議論としては)行われていないと思います。しらんけど

ただ、どのようなインプットが特定の構文習得上必要になるかという観点での研究は様々行われています。上述のentrenchment/preemptionの研究もこの枠組みで議論されますが、特に有名なのは、skewed/balanced inputが習得に与える影響に関する研究です。これは、自然言語で出現する構文には偏りがあり、これが言語習得上、重要な役割を果たしているという考え方にもとづくものです。ここでは、構文習得ではまず高頻度な動詞に付随する形で特定の構文を定着(entrench)させて、それを基にして他の動詞に徐々に用法を広げていく、という習得プロセスが仮定されています(先のMurakami先生のブログもご参照ください)。このように、インプットが与えられる場合、その頻度情報が偏っていると、最初から様々な動詞を当該構文でまんべんなくインプットされるよりも構文獲得が効率的に進むということが予想されます。

ただこれらの仮説は、子どもに対する実験ではわりとサポートされていますが、大人のL2学習を想定した場合は支持されないことも多いため、その理由を説明するためにさらなる研究が必要です。

また「インプットの役割」を捉えようとするのであれば、上述のように「インプットがないのに習得する」現象に焦点を当てることも必要でしょう。インプット量に相関して学習が進むという現象は多く、そこに焦点が当たりがちですが、そうでない事例が存在するというのはまた説明を要する不思議な現象であるといえます。

フィードバックと第二言語習得

すでに述べたように、子どもは親に発話を訂正されてもあまり聞かないし、訂正しなくても習得されるという現象があります。しかしL2学習者に関しては、教室内で学習者は否定証拠として多くのフィードバックを受けているはずですし、「先生に訂正されても無視しつづける」という状況がそれほど一般的とは思えません(あったとしても少なくとも子どものL1習得のそれとは意味合いが違うでしょう)。
フィードバックの効果に関する研究は非常に人気で実証研究も多いのですが、「(どのような)フィードバックに学習効果があるのか」という教育的な観点に立った研究が多く、どのような対象に効果があるのか/ないのか、という記述をした上で「なぜそうなるのか」という説明理論の構築を試みる研究は少数派だと思います(この「説明」理論というのは「記述」に対応する「説明」であって、そうなった原因に関わる可能性について議論していない、という意味ではない)。国際誌でもフィードバック研究は実に多く私もこのタイプの研究は何度も査読をしたことがあるのですが、「今回はこの項目にフィードバックを行いました」という部分に、たいてい「なぜその項目を選んだのか説明してください」というコメントをつけることになります。フィードバックを否定証拠の一部と捉えるのであれば、否定証拠がどのように機能するかは、対象となっている言語項目によって大きな差があることが見込まれるからです。対象項目の構造がどのようになっているかというのもそうですが、対象となった学習者がL1に持つ体系との関係も無視できません。
ただ、あまりそこをシビアに捉えていないL2研究者も多いように思います。

特に最近はメタ分析(効果を統計的に統合する体系的なレビュー)の隆盛により、いろいろな構造を対象にした研究をガッチャンコしてフィードバックの効果をみることも多いように思います。もちろんこのような研究が何かしら指導上の示唆を持つことは否定できないので、研究としては大きな意味を持つものだと思いますが、言語学的な視点を持つ別のアプローチも考えられるとも思います。

意識的知識・無意識的知識

日本の一般的な教育システムの中で学習を行った学習者は、英語の様々な規則を意識的に学びますが、同時に無意識的な学習も働いています。何が意識的に学習することでできるようになって(あるいはならなくて)、何が無意識的に学習できるのか(あるいはできないのか)、あるいはひとたび得た知識の使用はどの程度意識的/無意識的に行えるのかという観点は、特にL2研究では重要な課題です。これらの研究は、言語使用の観点からは「明示的・暗示的知識」の研究として活発に行われています(自分は「意識的・無意識的知識」とSLAの「明示的・暗示的知識」は違うパラダイムとして捉えていますが)。

これもおそらく、「なんであんなに頑張って勉強したのにできるようにならないんだ!」という学習者としての感覚や、ここを解明することで教育的示唆を与えようというモチベーションから、どういう指導をしたら学習者に暗示的知識を身に着けさせることができるのか、というリサーチクエスチョンに収束しがちな研究テーマです。ただそれだけでなく、私はこれは、言語の体系性と変異性にかかわる重要なテーマだと考えています。第二言語学習者は、第一言語の規則体系を学ぶことができないため非体系的な言語使用をしているというわけでなく、第二言語として特有の体系的な言語知識(中間言語)を持っていると考えられています。一方で、その体系性はL1ほど頑健ではなく、体系的/非体系的な変異性を見せることもしばしばあります。さてL2の言語体系はどうなっているのでしょうか…このような現象は、L2においては知識の意識/無意識性が深く関わるものだと私は考えています。…いや、そう考えている人は多いとは思いますが、それ自体を研究対象とするというより、それ(に関わる多くの問題に対する直感的な答え)を前提にした指導法効果研究の方が圧倒的に多いのではないかと思います。
これも指導効果研究の観点から、L2の言語体系の中身を問い直すことに観点を移すと、言語学的な問いが関わるようになります。

最後に

実はもう3項目くらい立項してたのですが、息切れしました。すみません。

さて、このようにSLA研究は、言語学の下位分野(少なくとも関連分野)と言われながらも、言語学的な観点から検討があまりなされていないものも多いので、もしかして人によってはそれらを取り入れることで研究の突破口になるかもしれません。自身の学習者としての経験はL2研究を行う上で重要なものだと思いますし、あるに越したことはありませんが、一方で学習者としての思い込みを相対化する視点も必要かなと思うこともあり、言語学理論はそれを可能にしてくれる一つの手段なのかとも思います。
この記事を見て、「なるほど、言語学の理論を自分の研究に取り入れてみるか…」とか、「言語学得意だからちょっとL2参入してみるか…」とか思って頂けたら嬉しいです。っていうか私もこんな記事書いといてそれほど詳しくないので、教えてください。ご相談や共同研究等のお話もぜひ;連絡先は(fukuta.14y [あっと]g.chuo-u.ac.jp)。

最後の最後に宣伝になってしまい申し訳ないのですが、ここで述べた「言語学の理論を取り入れてL2研究をどう行うか」みたいな話に関係する本が来春出版予定です(以下のようなチラシが日本第二言語習得学会で配られていたのでもう公開してもいいのかなと思います)。

この記事自体が、本書執筆者の皆様の考えに大きく影響を受けたものです。特に、東京都立大学の矢野雅貴先生には、共同執筆の中でたくさん意見を頂き学ばせていただきました。この場を借りて感謝申し上げます。もちろん、このnoteの文責は私個人にあります。



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