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【嘘日記】こっちとあっち

「ワタシたち似た者同士だ」

あの日薄暗い教室の中で力無く笑った君のことは、どちらかというと”こっち”側の人間なんだろうと勝手に思っていた。

自と他で抱いている感情がおおまかに一致することはあれど、全く同じ境遇・状況に置かれていることなど極めて稀だ。そんな相手は探してもみつからない。「わたしもつらくってェ…」と嘆く人を掘り下げたら自分よりよっぽど恵まれたスペックをお持ちだったなんていうのはザラにある話。
もちろん辛さに貴賤はないのだけれど、てめえに何がわかんねんと悪態をつきたくなるのも事実。

「…そうかもね」

けれど目の前にいる君をどうにも突っぱねる気にはなれなくて、なぜだかすんなりと自身の領域に迎え入れることができた。ふわふわとした曖昧な、でも確かな引力が発生していた。


「そっちのクラスってさ、もうあれやった?」
「どれ」
「なんかむっちゃ長い英文読まされるやつ」
「あぁ~やったね。あれは無理」
「やんねぇ」

体育館の向こう側に沈んでいく光。
いつの間にかフェードアウトしたかけ声と笛の音。
夕方なのに徹夜明けのような空気の質量。
2人して目を合わせることなく窓からの景色をずっと眺めている。

いつだって自分の周りの人は”こっち”と”あっち”で分類できる。
文系か、理系か。
Androidか、iPhoneか。
自転車通学か、電車通学か。
陰キャか、陽キャか。
学校行事の脇役か、主役か。

そうやって無数のフィルターを通して選抜された人には勝手にシンパシーが湧く。この人なら自分の持つ苦楽を分かち合えるのではないかと淡い期待が芽生える。「どうだ、俺にだって同族・仲間はいるんだぞ?」と主張したくてたまらないのだ。

文系で、たしかAndroidユーザーで、自転車で通っていて、陰キャで、まごうことなき端役ポジション。ほとんどの面で自分と同じ要素を持っている君は自分の味方だ。理解者だ。なんなら向こうもそう思っていてくれた。

なんとも愚かで、哀れな考え。
それでも馴れ合える相手というのをずっと求めていたのかもしれない。

RPGでプレイアブルキャラが新たに解放されるような感覚。
胸の奥から這い上がってくる謎の高揚感を抑えつつ、この後一緒に帰らないかと誘う。一拍間を置いて、ええよ~と柔らかな声が返ってきた。


それはただのありふれた放課後。
別に学校行事が迫っているわけでもなく、学期の始まりでも終わりでもないどこにでもあるような平日。「学校生活の思い出」としてまとめようとしてもこぼれ落ちていきそうな、取るに足らない一日。
でもその日は、今までで一番楽しい時間だった。

日々の愚痴に始まり堅苦しい話だけでなく好みの音楽やアニメの話や学校近辺のお店情報などエトセトラ。
気が合うとか凹凸がカンペキにかみ合うとか、そういったことはない。でもこいつになら自分をさらけ出してもいいと思える何かを互いに感じ取っていた。

二台の自転車が道を行く。
最初は並走していたものの、いつしか私も君も自転車を降りて押して歩いていた。青春っぽいなと思いつつもそれは口に出さない。感傷的なエモいことを口にした瞬間繋がりが消えてしまう気がしたからだ。

「幸せって平等に与えられるものだと思ってたんよ」
女キャラの髪の長さはどれぐらいがベストかという話から一転、空気が少し重くなる。前方から突き刺さる冬の乾いた風にわずかな湿り気が混ざっていく。
「というと?」
「例えばさ、うちの学年にもまあ何人かカップルおるやん?」
「おるね」
「それ見てさ、羨ましいなあって思ったりする?」
「そりゃ思うよ。ええなって」
私が即答したのを見て君は嬉しそうにうなずき、話を続ける。
「ワタシもそう思う。でもじゃあワタシに恋人ができますかっていったらさ、多分無理やん。こんな見た目やし。だから高望みはしない。それはもう”あっち”の人間だけが持ち得る幸せなんだってわかってる。けれどさ、けどさ」
そこまで言って途切れる。これはもしかして泣くのをこらえているパターンかと思って横目で君を見たが別にそういったことはなかった。
その代わりに・・・・・何かあってもよくない?恋人ができる代わりに、友だちが沢山できる代わりに、体育祭や文化祭で脚光を浴びる代わりにそれらと同等の幸せがさ、自分に与えられたっていいじゃん。でも実際は自分はあまりにも空っぽ。不平等やんな」
詭弁だ。
聞くに堪えない被害妄想だ。
私も君も当然わかっている。
光が常に世界のあまねくところへ行き渡るのなら昼夜の概念も日向日陰も存在しない。天秤はいつだって傾いたままで、しかも性質の悪いことにその不均衡の原因は私ら”こっち”側の自己責任に帰する。
だからこそそのどうしようもない事実を、こうしてヘラヘラ笑いながら不平不満という形で愚痴るしかないわけで。

「本当にこれは気休めだけど」
学校を出る前に水分補給したはずなのにもう口内が乾ききっている。なんとか唾を飲み込んでから口を開く。
「どうせ”こっち”の人間ならさ、他人の幸せを妬むより他人の幸せで喜べるようになった方が良いと思うんよね。その方が──まだうちらも『イイ人』であれるだろうし」
私は他人の幸せを願える人間だと、それぐらい思いやりのある人間なのだと胸を張れるよう生きる。あわよくばその幸せのおこぼれに与れないかと希望を抱きながらすがりつく。

それが精一杯の抵抗だと思う。
知らんけど。

ほぼ一息で言い切った後、ちょうど信号の前で立ち止まる。駅の駐輪場まであともう少しだ。青に切り替わる間に何か返事が返ってくるかと思いきや君は押し黙ったままだった。言葉を選んでいるのか、納得して会話が終了したのか、呆れてスルーしているのか。
結局、そのまま二人とも一切口を紡ぐことなく──最後に軽く別れの挨拶を交わしたぐらいで──それぞれの帰路についた。

ただ、最後に見た君の表情はどこか晴れやかなものだったような気がする。
ほんの少しの諦念を含ませて。


結論から言うとこの日以来私と君が再びしゃべることは無かった。
数年経って空虚な毎日を積み重ねていく上でどんどんあの日の時間は、君のことはすっかり漂白されてしまった。
物理的な距離も、記憶の中からも離れてしまった。

しかし最近、また君を見かけた。
きっかけは暇つぶしの何気ないエゴサ。SNSに母校の名前を入力してテキトーに漁っていたら君と思われるアカウントに辿り着いたのである。馬鹿正直に自身の名前をひらがな表記しただけのユーザー名。ご丁寧にプロフィール欄に母校の何期生かまで書いている。隠す気はないのかと苦笑いしながら、そういえばこんな同期がいたなと懐かしんで投稿一覧をスクロールする。

指が止まる。
写真も絵文字もない、普通なら見逃してしまいそうなたった二行のツイート。

『どうやら先週の木曜で交際2年記念日だったらしい。お互いに忘れてたwwそんなことある?』

わお。
まさか恋人ができたというのか。
自分には無理じゃなかったのか?分不相応な高望みじゃなかったのか?”こっち”側の人間だと思っていたのに君は”あっち”へ飛び立ってしまったというのか?あの日君が見せた諦めの表情と言葉はなんだったんだ?

…当たり前の話だがこんなの別に裏切りでも抜け駆けでもなんでもない。マラソン大会で「2人でドべになろう」と約束したわけでもない。
顔見知りのやつが(事情は詳しく知らずとも)念願の幸せを手にしたのだ。それを喜んでやるのが『イイ人』なんだとあの日偉そうに説いたのは自分じゃないか。

でも、

本当に傲慢だけど、自分でも自分をクソ人間だと思うけど。

傷を舐め合える人間でいてほしかった。


幸せは自分でつかむもの。
それが如何に困難で、残酷なことか──



※この話はフィクションです。

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