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男のコンプレックス Vol.3「薄毛男子のプライド誇示」

【注記】
これは、マガジンハウス「POPEYE」2010年2月号〜2012年5月号に連載していたコラムの再録です。文中に出てくる情報や固有名詞はすべて連載当時のものです。現在では男尊女卑や女性蔑視、ジェンダーバイアスに当たる表現もあり、私自身の考えも当時から変化している点が多々ありますが、本文は当時のまま掲載し、文末に2023年現在の寸評を追記しました。

「精子濃度」という男のヒエラルキーで、
ハゲは勝ち組なのだ!

 世間が差別語に過敏になり、アレもコレも自主規制される昨今。なぜ「ハゲ」という言葉だけが、いまだポップな地位に君臨し続けていられるのだろう。

 もちろん、ハゲている人に「ハゲですね」と面と向かって言えるほど、ゼロ年代のハゲカルチャーはまだ成熟していない。しかし、デブやブスの切れ味を出刃包丁とするなら、ハゲはせいぜい果物ナイフ。悪口としての刃渡りは意外と短い。

 おそらく、「命に関わらない」「憎しみより憐れみが強い」「女性に対しては使われない」といった要因が、ハゲをシリアスから遠ざけているのだろう。しかしだからこそ、モテたい男子にとってハゲはきわめて切実な問題のはずである。

 私の友人にも、20代半ばにして早くもハゲへの警戒に余念のない男がいる。生え際の後退に怯え、抜け毛の量に一憂し、鏡を見ては「頭皮がもう、死んでいる…」とケンシロウのようなことをつぶやいている。しかも厄介なのは、頭髪に不安を感じていない私にも、「お前は毛の量が多い分、いざハゲたときの速度も人一倍だ」などと根拠のない脅しをかけてくるのだ。

 このように、ハゲに怯える者は、連れションのごとく他人をハゲの道連れにしたがる。そして年寄りの病気自慢のように、悩んでいる割にはどこか誇らしげだ。私はここに、「ハゲる男は男性ホルモンが多い」という俗説が大きく関わっているような気がしてならない。

 つまり、彼らは「ハゲゆく自分」をアピールすることで、「男性ホルモンが多い俺」というオスとしてのプライドを誇示しているのではないか。男って、そういう「男性ホルモン多そう」「精子が濃そう」みたいなイメージに、案外オスとしての自信を左右されちゃうのだ。

 どんなに知力や経済力があっても、屈強で絶倫そうな男に対して、我われは心のどこかで「負けた」と思う。俺の精子濃度を1カルピスとするなら、あいつは3カルピス。そんな「精くらべ」を暗黙のうちにしてい るからだ。だから、「ハゲ=絶倫」というイメージがある限り、彼らは決して「弱者」にはならないのである。「ハゲ」が言葉狩りされる日は、まだ遠い。

(初出:マガジンハウス『POPEYE』2010年4月号)

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【2023年の追記】

実に驚くべきことに、2023年現在をもってしてもなお、「ハゲ」はギリギリ笑える侮蔑語としての地位をうっすらと(ハゲだけに)、根強く(ハゲなのに)キープし続けています。「デブ」や「ブス」がいまやすっかりNGになったのとは対照的です。

確か千原ジュニアだったかと思いますが、いつからか舞台上で「女」と言うだけで、客席が冷えてウケなくなったと語っていました。それ以来、彼は「女の人」や「女性」と丁寧に言うようになったそうです。

お笑い芸人は、誰よりも大衆の空気に敏感な職業です。本人の思想はべつだんアップデートされていなくても、客席が「デブ」や「ブス」で笑わなくなったら、それを察知して使うのをやめる人たちです。つまり、ハゲはまだ「ウケている」ということなのでしょう。悪意の38度線、差別の波打ち際、それが「ハゲ」なのです。

例えば、髪の毛がフサフサの人にあえて「ハゲ!」と言うボケがあったとします。それは悪口として的外れすぎて刺さらないので、「ハゲちゃうわ!」とか「どこ見て言うとんねん!」とツッコめば笑いとして成立します。

しかし、誰が見ても美人だと思うような女性に、ボケでわざと「ブス!」と言っても、それは相手を傷つける罵倒や侮蔑として成立してしまうので、「ブスちゃうやろ!」と返してもちっとも笑えないでしょう。

おそらく、そこが「ハゲ」と「ブス」の決定的な違いなのだと思います。本来、容姿で人を貶めたりいじったりするという意味ではどちらも正しくないはずですが、私たちは「正しさ」とは別の尺度で、「ブス」は女性全体への憎悪や蔑視だが、「ハゲ」はいくら言っても人格や人間性には届かない浅い攻撃だと、無意識にジャッジしているのです。

ただ、それって見方を変えれば、「女性は外見や容姿を貶められることが、人格や人間性を深く傷つけることとイコールになる」と認めることになり、それはそれでセクシズムとルッキズムを受け入れることになってしまうのでは…とも思うんですよね。

もちろん、理念の上ではどんなときも人の外見や容姿をいじるのはNGであり、誰も「ブス!」と言わなくなる社会が理想でしょう。しかし、「ブス!」と言われて「は?ブスちゃうやろ!」とツッコんだら笑いが起きるような社会、すなわち「ブス」が「ハゲ」と同じような意味しか持たなくなることが、本当の意味で男女平等といえるのではないか、と考えてしまう自分もいるにはいるのです(現実的にはそんなふうにならないこともわかっていますが)。

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