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魁!!テレビ塾 第5訓『笑っていいとも!グランドフィナーレ 感謝の超特大号』

【注記】
これは、学研「GetNavi」2014年2月号〜2017年5月号に連載していたテレビ評コラムの再録です。番組データ、放送内容はすべて掲載当時のものです。私の主張や持論も現在では変化している点が多々ありますが、本文は当時のまま掲載し、文末に2023年現在の寸評を追記しました。

サングラスの奥に宿る虚無が
芸能人の癒しと救いだった!

 押忍!! ワシが当テレビ塾塾長、福田フクスケである!

 いままで『笑っていいとも!』をまともに見てなかったくせに、いざ終了が決まったら急に“いいともの面白さ”や“タモリの偉大さ”を語り出したそこの諸君! 「いいともー!」と突き上げた拳でそのままアッパーを食らわせたい気持ちは山々だが、ワシの広い心はそんな“ニワカいいとも信者”の存在をも全面的に許そうと思う。

 なぜなら、それが『いいとも』の本質だからだ。お得な情報も役に立つ知識も決して提供せず、ぽっかり空いたお昼の手持ち無沙汰な1時間を、素人の一発芸やそっくりさんといった圧倒的な“意味のなさ”で塗りつぶしていく。

 空虚な営み自体には何の意味も価値も感じられないが、終わったとき初めてそのありがたみや喪失感に気がつく。当たり前の日常が、当たり前でなかったことに気がつかされる。『いいとも』とは、いわば“写経”や“座禅”のようなものだったのだ。

 グランドフィナーレの最後のスピーチで、香取慎吾は虚ろな目つきでひときわ悲しげな様子だった。恨みのこもった目でスタッフに「そもそもなんで終わるんですか?」と問いかけた彼の口調は、それがないと寝られないお気に入りのタオルを奪われた5歳児の取り乱し方によく似ていたはずだ。

 お茶の間のトップアイドルが、本来見せてはいけない胸の内を思わずさらけ出してしまった事実が、『いいとも』とタモリの存在の大きさの証である。何にもこだわらず、とらわれず、すべてを「これでいいのだ」と受け入れて許すタモリの無意味で空虚な懐の大きさは、過剰な意味のプレッシャーに怯える多くの芸能人に救いをもたらしていたのではないだろうか。

◆今月の名言

「ちょっと我慢できずに言います……答えはいらないですけど、そもそもなんで終わるんですか?」(香取慎吾)

『笑っていいとも!グランドフィナーレ 感謝の超特大号』2014年3月31日(月)OA(フジテレビ系)

慎吾にとっても大きな癒やしだったに違いない、タモリと「いいとも」。「終わらないことを目指すバラエティが終わることの残酷さ」という鋭いテレビ評を残した中居君の慧眼も印象的だった。

(初出:学研「GetNavi」2014年6月号)

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【2023年の追記】

『いいとも』の終了ってもう9年前なんですね…。そのことにまず恐れ慄いています。

それにしても、何の速報性もない、役立つ情報もない、グルメも話題のスポットもスキャンダルも取り上げない、ただただ無意味な戯れ事の時間が、お昼の帯番組として31年半も毎日生放送されていたことの特異性を、今になって改めて感じます。そして、それを「アリ」として許容していたのがフジテレビの強みだったんじゃないでしょうか。

その後継番組たる『バイキング』が、初期の「地引き網クッキング」的な企画をやめ、やがて坂上忍1本に絞ってあの形になったのは、すなわちフジテレビが”無駄な遊び”を続ける余力を失っていったこととシンクロする気がしてなりません。そんな”いいともイズム”を受け継いだのが、むしろTBSの『ラヴィット!』だったことも含め隔世の感があります。さて、『ぽかぽか』はどうなるか。

香取慎吾がテレビにあるまじき表情でいいとも終了への疑問を露わにしたその2年後に、あのSMAP退所騒動でテレビにあるまじき謝罪劇が放送されたと思うと、この頃すでに彼の心には相当な闇が蓄積していたんじゃないかと邪推したくなります。

そして奇しくもこの記事をアップするつい数日前、『まつもtoなかい』初回放送で6年ぶりに中居と共演した香取を見ました。中居の療養期間に、元SMAPメンバーのうち香取だけが中居に2ヶ月間毎日メールを送っていたこと、年明けに2人で会っていたことが明かされ、彼の末っ子気質が今なお健在なことに、勝手に感慨のようなものを覚えるのでした。

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