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お前のバカで目が覚める! 第1回「民生を起用、ブルーレット奥田家」

【注記】
これは、ぴあが発行していた情報誌「weeklyぴあ」に2003年7月14日号〜12月22日号の半年間連載していたコラムの再録です。文中に出てくる情報や固有名詞はすべて連載当時のものです。現在のポリティカル・コレクトネスや倫理規範に照らし合わせて問題のある表現が数多くあり、私自身の考えも当時から変化している点が多々ありますが、本文は当時のまま掲載し、文末に2023年現在の寸評を追記しました。

民生を起用、ブルーレット奥田家

 なぜ我々は「レイコという名前なのにブスな女」を見ると「反則!」と思ってしまうのだろう。そんな目でひとたび世の中を見渡せば、我々の周りには「名前」という名のテロがあふれている。

 たとえば「ウルトラマンコスモス」。子供向けの特撮ヒーローにあるまじきこの卑猥な名前に、大人ならば誰もが度肝を抜かれたはずだ。

 あるいは、とある実在の劇団の名前にこういうのがある。
「劇団ユンソナ」
 おもしろい。確かにおもしろいが、いいのかこれからもずっとそれで。その名前で売れたいか。偉くなりたいのか「ユンソナ」で。問い詰めたい気持ちでいっぱいだ。いま気付いたけど「ユンソナ」と「コンソメ」って似てるな、字の形が。そんなことを発見して色めきたってる自分がかわいい。

 そんなめくるめくネーミングの世界の中でも、ひときわぬるーいセンスで日本語の切なさを感じさせてくれるのが「小林製薬の商品名」である。「なめらかかと」「サカムケア」など、アエラの中吊りコピーもうろたえるユルユルの語呂合わせ。「しみとり~な」「キズアワワ」など、もはやシャレなのかどうかも判別不能なセンス。その隠し切れない脱力感に、「トイレその後に」の佐藤B作の表情もつらそうだ。

 それでも会議室では、「このたび新発売のデオドラントスプレー、名前は『消せ体臭』でいきましょう」「よかったな阿部。お前の働きかけのおかげだ」「ありがとうございます、部長。さっそく加勢大周にオファー出してきます!」などといった活発なドラマが繰り広げられているに違いない。

 しかし、もし小林製薬が私を商品開発に招聘してくれた暁には、もっと画期的なアイテムの提案をお約束したい。

 たとえば、寝ている間の歯ぎしりを抑え、ついでに歯の再石灰化まで促進してくれる「歯ギシリトール」。さらにそこに、日常生活で不足しがちな各種ミネラルまで配合した「ミネギシトール」。ただしCMには峰岸徹の起用が絶対条件だ。

 着けているのにまるで素肌のような着け心地、放浪の旅先でも安心の「素ナプキン」。あきたこまちから抽出した米ぬかエキス配合で、お好みの長さに切って使える「切りタンポン」。おなじみ佐藤B作が、妻のあめくみちこと夫婦でCM出演する「情事その後に」。

 だめだだめだ。なんだこの高田純次のごときエロオヤジの発想。下ネタにチャレンジジョイしてどうすんだ、俺は。

 まあしかしだ。意味もないのに意味ありげ。そんな姑息な思わせぶりより、小林製薬のすこぶる無垢な意味の浅さが、逆にストイックで気持ちいい。

 そんな、名前をただの名前として受け入れる小林製薬的な意味世界の境地に達したとき、我々ははじめて「レイコなのにブス」な女を、心あたたかく迎え入れてあげられるのである。

(初出:ぴあ『Weeklyぴあ』2003年7月14日号)

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【2023年の追記】

今はなき情報誌『ぴあ』に2003年7月〜12月の半年間連載していたコラムです。

当時まだ大学生だった私がなぜ『ぴあ』で連載していたかというと、かつて『ぴあ』が主催していた次世代のコラムニストを発掘する「ぴあコラム大賞」の第2回で、私が公募初投稿でいきなり大賞をいただき、賞金の代わりに本誌での連載権を獲得したからです。毎週原稿料をもらっていたので、これが名実ともに私のデビュー作となります(ちなみに、「ぴあコラム大賞」はその後第3回であえなく自然消滅しました)。

内容はとにかくノージャンル、ノーテーマで、バカなくだらないギャグだけを展開するというフリースタイルのコラムでした。 業界のルールや約束事をまったく知らず、毎回、芸能人や商品名などの固有名詞をバンバン出してはコケにするという、イキった大学生が調子こいて書いた野放図な原稿だったにもかかわらず(今考えれば、おでんツンツンや回転寿司ペロペロと本質的にはさして変わらないことを全国誌の誌面上でやっていたようなもので、マジ震えが止まりません)、「おもしろくない」という理由で書き直しさせられることはあっても、規制や配慮を理由にNGを出されることは、ついに一度もありませんでした。

まったくの素人の私に、ひたすらフルスロットルで書きたいことを書かせ、それを週刊連載で続けるという足腰を鍛える場を与えてくれた当時の編集者・大澤直樹さん(のちに本誌の編集長になられた方です)にはクソほど感謝しています。

今読み返すと顔から火が出て火だるまになるほど未熟で不謹慎で、その火がSNSに引火して大炎上する予感しかしないバーニングマンのような原稿です。当時の自分ののびのびとしたモラルとデリカシーのなさにはゾクゾクします(もちろん悪い意味で)。

その一方で、今はもう絶対に書けないエネルギーとセンスに満ち溢れていることもまた確かなので、すっかり笑いに対してとろ火になってしまった自分自身への着火剤の意味も込めて、ここに公開します。第1回からド下ネタなのは、さすがにどうにかできなかったのか自分、と思いますが。

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